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創立のこころ

更新日:2015年11月2日

貧しくて結核を病み“天地の間に身の置き所もない”と悲嘆にくれている、桑原某という青年があった。

この窮状を見るにしのびず、相協力して一個の病室を建て、彼をあたたかく迎え入れた数名のクリスチャン青年の愛が、今日の聖隷福祉事業団設立の端緒となったのである。

時に1930(昭和5)年5月であった。地におちた一粒の麦にも似たこの愛の業は、その後不幸な病者からたってと懇願されるままに、次第にみとるべき人の数を増し、悲しむべき発展を続けた。

1931(昭和6)年、入野村蜆塚(現浜松市)の松林のなかに粗末なバラックの病舎が建てられ、その名をベテルホーム(神の家)と称した。病苦と飢えと迫害に安らう所もない悲惨な結核患者の運命を、日毎にみる若きキリスト者達は持てるものすべてを投じ病者の善き友とならんと懸命の努力を傾けた。

療養所としてようやく形を整えてきた頃、病菌の伝播、地域発展の阻害等を理由に付近の住民から烈しい反対運動が起こってきた。しかし、ホームの人達は誠心を尽くして反対の理由なきを説き、理解を請うと共に暴挙に対しては一歩も退かなかった。

この迫害の中にあって、粗末な病舎に満足して病を養う患者の安らかな顔、何の酬いも受けず、極度の窮乏の中で患者の残飯を食し、裸足で看護に専心する若きキリスト教徒達。この一群は、接する人々に大きな感動を与えた。同情者、理解者は日に日に加わり、そこから多くの援助がおくられた。なかでも、医師渡辺兼四郎先生の献身的な応援は、聖隷事業集団の歴史と共にながく称えられなければならない。

ベテルホームの事業は、次第に世の人々に知られるようになった。
賀川豊彦先生の主宰するイエスの友会は、ホーム敷地購入の募金運動を全国の会員に呼びかけその強力な援助を結集、三方原村の一角(現浜松市)と中川村(現浜松市細江町)に跨る広大な県有林の払い下げを受けることに成功した。

そして、1937(昭和12)年3月移転し、聖隷保養園と改称したのである。しかるに又々、地元村民の間から施設破壊の襲撃直前に至るほどの反対運動が起こってきた。加えて経営困難、百人近い患者と職員を抱えて、その日の食糧の調達すら困難となった。

1939(昭和14)年12月24日、刀折れ矢尽き、園長長谷川保はついに事業閉鎖の決意をした。しかるに翌25日、クリスマスの記念すべき日、天皇陛下より思いもよらぬ多額の御下賜金を拝受したのである。

まさに潰えんとしたこの人道的事業は危機一髪、劇的に救われた。

(1974年 長谷川 保 記)