研修医の声 第5期生(2010年3月修了)
2年間の卒後臨床研修を終えて ~研修医の感想~
2008年度研修医(第5期生)

2年前の4月、根拠のない自信と期待で胸膨らませていた自分がいた。研修医の激務に耐え、それなりの仕事をそつなくこなし、根っから悲観的なのに「まぁなんとかなるさ」と楽観的な姿勢を貫こうとしていた自分がいた。案の定、現実はそんなにあまくなかった。
自分の能力の無さにげんなりする毎日。上級医には厳しく怒られ、月6回の当直で眠い目をこすりながら朝の採血をしては失敗し、やっと帰宅できたと思ったら病棟から呼ばれる。週末もなくこの生活が続き、「もう無理」とどん底に落ちそうになったが、一つ気付いた事があった。「自分が一番大変なのではない」。そんな風に思えるようになり、やっと医師になる夢をつかんだことを実感できるようになった。同期・先輩方の何気ないやり取りに支えられ、徐々に仕事での楽しみ・やりがいも感じるようになった。上級医・先輩からの言葉の中からも自分へ伝えようとしているメッセージを見出せるようになった。「患者に責任を持とう」、一つ上の先輩からの一番心に残るメッセージだった。各科を回ることで尊敬できる医師像を貫いており刺激を受ける先生方にも多く出会えた。慣れればなれるほど、多職種の方々へのありがたみを実感するようになった。こんな大きな病院のたった一人の研修医だが、多くの方々に支えられ、温かく見守っていただいたからこそここまで来れたのだと思う。感謝の気持ちでいっぱいです。今後も謙虚さを忘れず、日々精進し、Optimismを忘れずに!
[10年後の自分について]
自分のBackgroundを生かせる場所に身を置き、謙虚に・初心を忘れず・芯を持って。
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当直が一段落して、しばらく呼ばれないと信じて一服しているところです。
研修センターの明かりも消えて、清水先生も帰宅されたみたいです。そういえば今日はあのくしゃみが聞こえなかったな~。
いつも賑やかな研修医室も今は非常に静か。
沢山あるパソコンの画面にスクリーンセーバーの写真が次々に映ります。
歴代研修医の笑顔・変顔・笑顔・・・
振り返ると、やり方だけは覚えても勉強不足で結局役に立たない自分や、患者さんや家族の気持ちが分からない自分など、自己嫌悪に陥ることばかりでした。
しかし、医者という仕事の厳しさと同時に面白さが分かり始めたのもこの2年間でした。
何でも話せる戦友のような同期、刺激的な味(クセ?)のある後輩、こんな風になりたいと思うかっこいい先生や、大事なアドバイスをくれる優しい先生に出会えたことも大きな財産です。
初期研修はもうすぐ終わり、聖隷を離れるのはとても寂しいですが、いつか恩返し出来るようにこれからも貪欲に頑張ろうと思います。
[10年後の自分について]
大切な家族と友人と仕事があり、しかも今ほど眠らなくても大丈夫になっている!
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医師国家試験を終え、聖隷浜松病院に入職した日より早2年が経過した。全国から様々な人が集まり刺激が多い当院を研修先として選択したが、2年間が経った今でもその選択は間違っていないだろうと思う。
医師として勤務するなかで感じていることとして、経験が非常に重要なファクターを占めているという点がある。
机上で学ぶことも勿論重要であるが、実際に行った際の感触や直感が手技や治療に影響する部分が大きいのではないかと感じた。この2年間で様々な科で学ぶ中、診察、処方、手技など多くの対処法を実際に経験することができ、その経験に対しメモをとる、記憶に刻む中自分の糧になっていることを感じた。
これからもひとつでも多くのことを経験し、成長していきたいと思う。
[10年後の自分について]
stay foolish、stay hungry
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「医師」という言葉を改めて振り返ってみました。辞書をひいて調べてみると、「医」病気やけがを治すこと。医術。また、それを行う人。例文:医は仁術である。(医術は単なる技術ではなく、人を救う道である。)「師」技術・技芸などを表す語に付けてその道の専門家であることを表す。まさにprofessional。
医師になって早いもので2年が過ぎました。この最初の一歩を聖隷浜松病院で過ごすことができ大変嬉しいです。12人の同期と共に様々な人々に出会い、様々な経験をし、様々な時間を過ごしてきました。2年の研修を終えそれぞれがまた新しい道へと旅立とうとしております。
どの分野においても技術の継承というものは根気と努力を要する作業であると思われます。当院で研修された先輩方代々の教えを受け継ぎ、微力ではありますが自分も後輩達へその教えや思いを伝えてきたつもりです。今後当院で研修される先生方が聖隷浜松病院の伝統と文化を大切にし益々発展されることを願っております。
自分を医師として育てて下さいました全ての方々に大変感謝しております。有難うございました。そして今後も努力と素直な気持ちを忘れずに精進していく次第です。
[10年後の自分について]
のんびり、のほほん、ほのぼの。
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小学校の卒業文集に、「人に喜びを与えられる医者になりたい」、と書いた。理由はなかった。何故だろう、考えてもわからない。理由がない事が大きな理由で、きっと運命だったり使命だったり、そんな見えない力がそこには働いているんじゃないかと思った。以来時にはつまづきながらも、たくさんの夢と一緒にほとんど迷うことはなくここまでたどり着いた。
しかし医者になったとはいえ、実際は不釣合いなでっかい看板を掲げたちんちくりんな研修医。いきなり背負ったその重圧感に戸惑い、逃げ腰になっては「ただの見学者か」と怒られ、大きく出ては謙虚さが足りなかったと自己嫌悪に陥った。余裕がなく、周囲への気配りができず吐きそうになるような見たくない自分の嫌な部分に、何度も何度も目を向けさせられた。自分を見失い、悶々とした。
自分は人並みはずれた能力があるわけでも、慈愛あふれる心豊かな人間でもない。「信念」なんてものを掲げてみるがうすっぺらい。今は無力感ばかりで中途半端な自分にもどかしさやら不安やらを抱いてしまうけれども、初心を信じて努力し、誤れば直して辛抱しながら少しずつ進んでいくしかないのだと思う。いつか振り返った時に、やっぱり自分のやってきたことは間違っていなかったんだ、とそう思えるように。
聖隷浜松病院での2年間はずっと医者を志してきた自分を見つめ直す時間だった。悩み落ち込む事もあったけれど、改めてやっぱりこの道を進んで生きたいと思っている。
そして未熟過ぎる私がここまでこれたのも、いろんな形で支えて下さった周囲の方々のおかげより他にない。とても貴重な2年間となった。本当にありがとうございました。
研修医1年目の夏だっただろうか、実家から小包が届いた。家族が旅行に行った先のお土産を中心に、すきまを埋めようとお菓子やら日常品がぎっしりつまったその箱の中に、私の年齢+60歳つまり87歳になる祖父からの贈り物が紛れ込んでいた。開けてみるとそれは漆塗りの真っ赤な箸だった。端のほうにだるまの絵が描いてある、その名も「七転び八起き箸」。その箸と一緒に入っていた紙に書かれていた言葉。
「七転八起」
人生に夢があるのではなく 夢が人生を作る
高い夢 大きい夢ほど 困難 障害も大きい
これらを乗り切る苦労を 楽しみに変えてくれるのも また夢である
七転八起 七つ転んで 八つ起きれば 一歩の前進
一歩 一歩 夢に向かって歩いていこう
[10年後の自分について]
「キラキラ」していたい。そしてもう少し優しくなっていたい。
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この原稿を書いている12月、これまでに書いた(+これから書く)退院サマリを数えたら276件ありました。中には再入院の人もいますが、2年間に250人以上の入院患者さんを担当していました。1回限りの外来患者さんも含めると膨大な患者さんと接してきたことになります。元気に退院していく人もいれば、不幸な形で病院を出て行く人もいました。患者さんの姿に自分が励まされたこともあれば、腹が立つことも沢山ありました。どれだけ一所懸命に本を読んでも分からなかったことが、実際に一回鮮烈な印象を受けた瞬間に自然と頭に入っていくことはよくありました。今の医師としての自分はこれら膨大な患者さんを礎に作られていると言っても過言ではありません。又、一人では医療をすることは不可能で、他の医師、看護師等、みんなで協力していかなくて医療は成り立ちません。未熟な研修医で迷惑をかけることばかりでしたが、周囲の人たちに温かく支えていただいたおかげで、多くの患者さんを救い、支えていくことができました。ありがとうございました。どんな時でも出会った人たちへの感謝を忘れず、いつかは自分が感謝される人間になれるように今後も努力を続けていきます。
[10年後の自分について]
マニアックな病気を見つけて喜んだり、治らない患者さんのフォローに苦心したりして、それなりに忙しく仕事していると思います。打鍵器を振って、MMTをとる傍らで試験管も振っているかもしれません。
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同期の皆さん、2年間の初期研修お疲れ様でした。さて、記念誌に何を残そうか非常に悩みましたが、自分が変わったところを振り返ってみたいと思います。
変わったところ。
社会人としての自覚がでたところ。1年目の序盤はあまりに自覚のレベルが低く、今となってはお恥ずかしい限りですが、今冷静にその事実を振り返ることが出来るのが収穫だと思います。本気で怒ってくれた先生方、有り難うございます。
人の病気や死に関して客観的に物事を考え、捉えるようになったところ。患者・家族の気持ちを考えて医療をすすめなければ!!という根本的なところは変わってませんが、良い意味でも悪い意味でも冷静になれるようになりました。これは本当に良し悪しです。
専攻する科が外科になった。いろんな意味で影響を強く受けました。今は満足しています。
まだまだダメなところも多くありますが、これからは一人前の医者を目指すべく頑張っていきます。同期の皆さんも頑張ってください。
[10年後の自分について]
一人前の医者として立派に働いている
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正直この2年間はしんどかった。
医師免許は持っている。しかし、点滴採血も出来ない、社会人としての心構えが全くなっていない。当初あらゆる面において0点であった。
本当によく怒られた。
何も出来ない自分が大嫌いだった。
毎日朝が来るのが怖かった。
しかし、幸いなことに私は負けず嫌いであった。何度も心が折れそうになったが、負けず嫌いな性格に加え、上級医、同期、研修センターの方々等多くの人からの支えにより何とか立ち直る事ができた。
そして、
当初に比べれば医師っぽい振る舞いが出来るようになっていた。
もっと色んなことを知りたい、出来るようになりたいという気持ちが日に日に強くなっていった。
毎日頭を悩ませ続けたYさんが退院した。その後、「先生に会いに来た」と病棟に顔を出してくれた。その顔は、以前とは想像がつかないほどふっくらとしていた。医師になった喜びをこの時初めて実感した。
月日は早いもので2年間の初期研修を終えようとしている。
最近、「優しいね」と言われるようになった。
社会人になる前までの自分を思い出しても、「優しさ」なんてかけらもなかった。どちらかというと、人の言う事なんて全く受け入れない、プライド高き人間であった。
この2年間の様々な経験により、その性格がいつのまにかガラリと変わってしまった様だ。よく言えば「謙虚さ」の獲得、悪く言えば「自信」喪失といったとこであろうか。
医師は、「謙虚さ」と「自信」をバランスよく兼ね備えていなければならない。私はこの2年間である程度「謙虚さ」を獲得できた。しかし、医療のプロとしての「自信」はまだまだ持てず、かなりアンバランスな状態である。このバランスをいかに是正できるかが、今後の課題だと思っている。このバランスがいつか絶妙なものになるよう、派手さはないけれど、地道にコツコツと、努力を重ねて生きたい。
[10年後の自分について]
子供の運動会でビデオ撮影に没頭する父親
体重55kg前後で軽快に走る市民ランナー
呼吸器内科医として大成・・・?
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