1993年、たった4名の職員で始まった聖隷福祉事業団(以下、聖隷)の訪問看護ステーション事業。社会に求められ、それらに誠実に正確に応え続け、2018年の今、全国18事業所、約270名※の職員で構成される一大事業に成長しました。
国をあげて地域包括ケアシステムの構築が進められている中、在宅サービスの一役を担い最前線で活躍する訪問看護師とステーションをご紹介します。
※2018年7月現在(パート・非常勤職員含む)
※所属、職務は取材当時のものです。
このページの目次
- 聖隷の訪問看護ステーション事業の母 上野 桂子(うえの けいこ)
- 聖隷の訪問看護ステーションを牽引するリーダー 松井 順子(まつい じゅんこ)
- 静岡県初の新卒訪問看護師 河野 瑞穂(こうの みずほ)
- 訪問看護師の一日
- 聖隷の訪問看護ステーションで働くには?
- 聖隷の訪問看護ステーションについてもっと知りたい方はこちら!
「組織は人なり。人は一人では何もできません。私はスタッフにとても恵まれてきました」と振り返る上野
看護師上野が在籍していた聖隷浜松病院では、1977年から脳外科病棟の有志の看護師たちによって訪問看護が始まっていた。1978年、失明した糖尿病患者が退院し、独り暮らしの自宅へ戻ることになった。当時、内科病棟婦長の上野がリーダーとなって、病棟と外来でチームつくり、その患者の在宅生活の支援をボランティアで行った。インシュリンを冷蔵庫にセットしたり、近所のラーメン屋に掛け合い昼食を届けてもらった。聖隷はおろか、国でも在宅サービスなど整備されていない時代。当時では珍しい病棟と外来が連携して地域を巻き込んで訪問した事例である。これが上野と訪問看護との30余年にわたる関わりの始まりであった。
1987年、外来の一部で継続して行われていた訪問看護が、看護部の組織の一つとして位置付けられ「聖隷浜松病院 訪問看護室」が立ち上げられた。その当時、管理婦長であった上野はそこの責任者も兼務した。その当時は利用者の費用負担はなかったが、無償の弊害もあるため、利用者が気を遣わずサービスが受けられることと、より責任をもって訪問看護に取り組むために、交通費として患者から500円をいただくようにした。
1990年、レンタル事業と有償のホームヘルプサービスを運営する「聖隷コミュニティケアセンター」が東京海上火災保険株式会社(現・東京海上日動火災保険株式会社)の協力のもとに立ち上げられた。いよいよ聖隷の在宅サービスが事業として本格的に動き始めた。立ち上げ時は、福祉部長が所長を兼務し、事務職・介護福祉士2名の計4名。医療専門職が不在であったため、以前から在宅医療に関わっていた上野に白羽の矢が立った。上野は白衣を着て接客のために店頭に立った。すると、それを目にした利用者から相談を受けるようになり、訪問へとつながっていった。
1991年、老人訪問看護制度の施行を受け、訪問看護事業として独立した「訪問看護ステーションをつくりたい!」と仲間たちと運営規程やマニュアル作成などステーション立ち上げの準備を整えた。制度施行当初は申請に医師会の意見書が必要となり、準備はできていたものの開設まで9カ月もの期間を要したが、その間に様々な調整や学習ができたことが、その後のステーションの運営に大きく寄与した。こうして1993年1月18日、聖隷初の訪問看護ステーション「訪問看護ステーション住吉」が誕生した。
事業を進めていくうちに、上野たちは開業医との連携をよりよくするため訪問看護ステーションの相談窓口が必要だと医師会と協議した。その結果、医師会と行政が定例で開催している在宅医療委員会に訪問看護ステーションの所長が参加できるようになった。これは「医師、行政と一緒に仕事をしていく。それは全て利用者のために」という上野たちの思いにより実現されたもので、全国的にも画期的でいまだに珍しい取り組みである。
上野たち訪問看護の先駆者たちがバイブルにしている
訪問看護のテキストの一部
訪問看護は誰のためにあるのかを忘れないでほしいと上野は言う。訪問看護は生活している利用者が培ってきた方法や思いに寄り添って「支援」をする。それを見失ってはいけない。決して「指導」であってはならない。そして信頼関係ができてきたら、より良い方法を「提案」する。利用者は病棟ではなく、自宅で日常生活を営む素人である。例えば、病棟にはいくらでもある医療器具だが、自宅にはあるはずもない。しかし、工夫一つで家庭用品は医療器具に変身する。ケリーパート(洗髪器)は浮き輪にゴミ袋を貼り付けて自作できるし、ガーグルベース※はカップラーメンの空き容器で代用できる。そして、素人が24時間自宅で看ているのはとても不安なこと。電話一つでも、掛けてよいかをためらってしまう。だから「それぐらい大丈夫よ!」と言わずに「どうしたいですか?すぐ伺いましょうか?」と素人の目線・立場で対応をすることを忘れてはならない。
また、管理者を経験してきた上野は、「訪問看護ステーションは地域住民のためにつくるものであり、訪問看護ステーションの管理者は病院でいう、院長・看護部長・事務長の役割を果たしている」という認識が重要であると考えて運営をしてきた。
「患者の思いに添い、“帰りたい”を支えたい」。数人の看護師たちで始めた事業は、今や約270人規模までに拡大した。自宅で生活をしたい利用者がいる限り、聖隷の訪問看護師はどこへでも訪問をし、利用者を支え続ける。
※洗面所に行けない患者がベッドサイドでうがいや嘔吐をした後などに受け取る簡易式の容器。
聖隷の訪問看護のポリシーと将来の展望、そして松井自身の訪問看護に対する思いを語ってもらった。
優しく親しみやすい物腰の中にも、揺るがない訪問看護の信念が垣間見える部長の松井。
また、「断らない」を実現するために不可欠なのは人材である。そのために柔軟な働き方を模索し、工夫してきた。聖隷の訪問看護師はフルタイム、パートタイム、子育て中など様々な働き方をしている。この根底にあるのは「暮らしの中でサービスを提供しているから、職員の暮らしも見える。だから、働きやすい環境がどうしたらつくれるかをみんなで協力して作る」という考え方だ。例えば“週2日午前中のみの勤務” は遠慮してしまう働き方である。しかし、互いに支えあって就業を継続することで人材が確保され、それがひいては利用者様への「断らない」体制づくりにつながっているという。
訪問看護ステーションが属する在宅・福祉サービス事業部トップ、常務の津幡(中央)と全国の所長たち
入職1年目、病棟当直の時にペアを組んでいる先輩を気遣い、先回りをして先輩の担当患者の血圧を測定しておいた。ところが、先輩から叱責をうけた。「あなたが患者さんのケアができるように育てるのが私の仕事。そして患者さんのケアができるようになるのがあなたの仕事。私を手伝うことが、あなたの仕事ではありません。あなたのために教育をしているのではありません。一人で看護はできません。皆が質の高い看護ができるようになって、それが利用者のためになるのです」と。それ以降「一人で看護はできない」というポリシーが松井の全ての仕事の根幹にある。だから、良いサービスができるようになる教育やシステムを構築し、聖隷の内外問わずに展開して、どの利用者様にも質の高いケアができるようにしていきたいと考えている。
最終的に提供されるサービスのために。自分の知識や技術を伝え、次世代を育てていくことが今の自身の役割であると松井は思っている。
「訪問看護師に興味があるけど、敷居が高そう・・・」そう思っているあなたに読んでいただきたい河野からのメッセージです。
訪問看護をやりたい!という強い気持ちと周囲のサポートのおかでで、ここまで成長することができました。
訪問看護師として働く仲間が増えればなと思っています。
学生のとき急性期の総合病院でアルバイトをしていました。多くの患者さんと関わることができてよかったのですが、患者さんのケアの他にも多くの業務があり、患者さんひとりひとりとゆっくり関ることができず、もどかしく感じました。この当時から訪問看護には関心を持っていて、訪問看護であれば訪問している間は1対1で関われるのではと思いました。しかし、技術も経験も求められる分野であるため、新卒の私は経験を積んでからだと思っていました。
ある日大学の教授から、新卒看護師の育成プログラムがあること、他県では新卒で訪問看護師として働いている方もいることを教えてもらいました。「病院と在宅で環境や考え方が大きく異なるため、訪問看護師として働きたいならば、最初から入っていけば生活を見る視点や在宅の考え方が養えますよ」と教授から背中を押していただきました。受入れてくださる施設の方々も「訪問看護師として働けるようにサポートするよ」と言ってくださり、大学卒業後の進路を訪問看護ステーションに決めました。
利用者様も新入職員を育てる育成スタッフのお一人です。
働く前は、利用者様やご家族が新人の自分を受入れてくださるかが最も不安でしたが、暖かく迎えて応援してくださる方がたくさんいらっしゃいました。利用者様から教えていただくこと、学ばせていただくことが多くあります。教育体制も手厚く、教育プログラムを私のペースに合わせて丁寧に進めてくださり、研修にもよく参加させてもらっています。訪問をして判断に迷う時には、事務所に電話をしていつでも相談ができ、緊急でなければ一旦持ち帰り職場や、他職種の方に相談できます。訪問するのは一人ですが、チームで利用者様を看ています。
利用者様から「がんばったね」「成長したね」「頼もしくなったね」と声をかけていただくことがあり、先輩方はもちろんのこと、利用者様やご家族にも私は育てていただいているのだと日々感じています。
新卒でも訪問看護をやりたいと思う気持ちと周囲のサポートがあれば大丈夫なんだと今は思っています。
シミュレーターを使用して、実践に近い状況で手技の研修をうけます。
最初の1か月は雰囲気になれるために、先輩に同行して見学をするのがメインです。同時に挨拶や名刺の渡し方など社会人としての基本的マナーも教わりました。
1か月半くらいからバイタルサインの測定、記録の書き方、清拭の仕方、口腔ケアなど先輩とマンツーマンで基礎技術を学習。先輩の体やシミュレーターで練習をして合格になれば、先輩と同行訪問をして利用者様にケアを行い、その後の振り返りを繰り返し、3ヶ月後に独り立ちしました。その他に、ステーション以外の施設へ技術研修にも参加しました。入職年度の10月、病院研修で点滴や注射、多くの患者さんのおむつ交換など様々なことをやって自信がつき、11月頃から一人でも自信をもって訪問できるようになってきました。
④今後、どのような看護師になりたいですか。
先輩のいいところを全てもらいたいです!(笑)利用者様やご家族のちょっとした変化に気付き、必要なケアをタイムリーに提供できる、細やかな看護師になりたいです。「今日、河野さんが来てくれてよかった」と言ってもらえるようになりたいです。利用者様が自分らしさを大切にしながらご自宅で生活できるようにお手伝いができればと思っています。
⑤これから訪問看護師を目指している方へメッセージをお願いします。
訪問看護はとても暖かい領域です。その方が生きてきた過程や大切にしてきたことを教えていただき、そこから色々な事を学ばさせていただいています。人間として成長できます。利用者様と、ご自宅で生活する「喜び」を一緒に味わい、困難には一緒に立ち向かい、悲しいことも共有していけることに魅力を感じています。利用者様・職場・看護協会・研修を受け入れてくださる施設の皆さま、多くの方に支えられ新人の私でも楽しく仕事をさせていただいています。そんな素敵な訪問看護なので、訪問看護師として働く仲間が増えればなと思っています。私ももっと成長できるようがんばっていきます。
①朝 出発前に利用者様についての引き継ぎなどをします。
②引き継ぎが終了し次第、利用者様宅へ出発します。
③午前中 数件の利用者様を訪問。こちらは気管切開をした寝たきりの利用者様です。吸引処置などを施します。
④午後 数件の利用者様を訪問。こちらの利用者様は車いすバスケットボールの選手です。体調・排泄支援・リハビリで訪問しています。
予定をしていた利用者様への訪問が終了したら帰所します。
- これから訪問する利用者様の情報が記載されたファイル
- 聴診器
- パルスオキシメーター(酸素飽和度測定器)
- 体温計
- タブレット端末(2017年から全ステーションに導入され、利用者情報が記録されている)
- 血圧計
- 看護師としての“観察力”
ブランクがあるけど、大丈夫かな?未経験だけどできるのかしら?
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また関東・浜松・関西地域のステーションを1事業所ずつご紹介。それぞれ、地域にあった特徴的な活動をしています。