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【最新号】聖隷浜松病院 総看護部長

「人を信じ、愛し、尊重する」のモットーを大切に自分らしく成長し続ける

 JR浜松駅から街中を抜け、バスで約15分。聖隷浜松病院は、周りを見渡す高台に建つ。現在、救急救命センター災害拠点病院総合周産期母子医療センターを始めとする多くの認定取得施設でもある。2006年より10年がかりで行った大規模な改築工事を経て、病床数は750床、65の診療科を持ち、医師223人、看護師860人、助産師112人、外来患者数は年間50万人近くにのぼる。この巨大な総合病院全体を牽引する総看護部長森本俊子の素顔に迫る。

※職員数は2018年4月現在のもの。


i am 「森本 俊子」

周りとの関りから見出した夢

森本1歳頃、父親と

 小中学校時代、森本は夢多き少女だった。「バスガイドになって人を楽しませながら各地を巡りたいし、綺麗な着物で上品に立ち振る舞う旅館の女将も憧れる。通訳として世界中の人たちと話してもみたい」。毎年、小学校の夏休みになると、母親の実家近くの相良海岸で祖父や兄弟、従兄弟たちと一緒に海水浴に出かけて、真っ黒に日焼けするまで遊ぶのが大好きだった。いつも楽しみにしていたが、脳卒中による左半身麻痺が残る祖父は、年を重ねるにつれ杖歩行もできなくなり、遂には寝たきりになってしまった。祖母が祖父の世話をし、往診の医師と看護師が家を訪れるようになった。手際よく医師の介助をし、祖父母に優しい言葉をかけ支えてくれる看護師の姿が心に残った。高校生になった頃、森本が体調を崩した際、病院受診の補助をしてくれた、看護師の叔母の凛とした姿にも影響を受け、「安心して暮らすための手伝いをする仕事があるんだな」「人の役に立てる人間になりたい」と医療の仕事にも興味を抱くようになった。森本は夢を絞り切れず進路を決めかねていたが、大学受験を控え、父親に相談した。「これからは女性も手に職を付け、自活する時代。社会で自律して(※1)生きていける道を選びなさい」との言葉をもらい、自分の環境を踏まえ考え抜いた末、「看護師になろう」と決意。看護学校へ進んだ。

看護学校へ、聖隷浜松病院での助産師との出会い

1990年ICM(国際助産師連盟)の学会にて英語で取り組みを発表

 看護学校での勉強は面白く、家族にも話して聞かせるうち、体育教師志望だった妹がいつの間にか保健師への道を選ぶほどであった。そのような中、森本は実習先の聖隷浜松病院で運命の出会いをする。それは助産師だった。助産師は、生命が誕生する場面に立ち会える喜びや感動を得ることができると同時に、母子の命を守るという大きな役割がある。辛い陣痛を乗り越え初めて対面する母子の幸せ溢れる姿や、凛とした姿勢で臨む分娩介助に感動した。しなやかに母子を支える姿は、医療者の中でもひときわかっこよくかつ頼もしく感じられた。「私もこんな役割を担える助産師になりたい」と志を立て、助産師を目指すようになった。
 実習中、小児科で抗がん剤治療を受ける少女と出会った。幼くして病気と闘う少女は精神的に安定せず、森本は接触を拒まれた。今まで子供に好かれると思っていただけに落ち込み、辛かった。先輩看護師と相談しながら、遊ぶ道具を作る、そばにいるだけにするなど、自分の関わり方を変えた。子供が好きなだけでは務まらないことやコミュニケーションの取り方の重要性を身を持って実感した。
 22歳の時に助産師として聖隷浜松病院に入職。母子のために何ができるかを日々考えていた。入職して5年が経った1989年頃は、父親の積極的な育児参加が求められてはいたものの、男性にお産や育児を学ぶ機会は少なかったため、産科病棟でこれから赤ちゃんを迎える夫婦を対象に産前教育として「ほのぼのパパママクラス」と称した両親学級を開いた。活動のリーダーとなっていた森本は、企画運営の大変さを知る一方、強いやりがいを感じ、活動を積極的に拡げていった。また、退院してからの生活に不安を抱える母親に対しては、退院後の生活相談に乗り、森本たちが地域の保健師や助産師に連絡をとって、母親がフォローを受けられる環境づくりをした。現在では「地域包括ケアシステム」として国からも強く推進されている取り組みである。

助産師としての自分を見つめ直す

聖隷浜松病院 外来での看護を可視化した書籍(左)
 助産師の活躍を目指し執筆に参加した書籍(右)

 助産師としての仕事の中で、次第に「地域で子育て支援をしたい」と考えるようになった。母子に寄り添い質の高い助産ケアを行うためには、もっと広い視野と技術を身につけなくては通用しない、また一から看護を学びたいという気持ちが込み上げてきた。自分の道に迷い、助産師専攻科時代の恩師に相談をすると、助産師という仕事の幅、可能性や役割について改めて教えてくれた。「助産師産科での仕事が全てではなく、母親、これから母親になる人、その家族など全てに関わることができ、寄り添うことができる存在。たとえ内科耳鼻科など、どの科にいても母子に関わる機会がある以上、助産師の視点を活かす場面がある」と。長いトンネルの先に一筋の光が見えた。
 その後森本は、助産師という枠にとらわれることなく、病院に関わる全てのことに貪欲に取り組んだ。当時の聖隷浜松病院の管理婦長は、現場の看護師が最善を尽くすために行う看護を提供する仕組みを整えて、看護が適正に評価され、対価を得る「母乳指導」等を導入し、次なる看護への投資に繋げ、看護の活躍の幅を広げていった。森本は、その背中を見て管理者としての姿勢を学んだ。

「やらまいか精神」で学生と社会人の二足のわらじに挑戦

 森本は看護次長となっても更なる看護の可能性を追求し続けていた。看護管理者としてのスキルを磨くために認定看護管理者(※2)の資格を取得した。また、大学院で最新の知識を学び入職してくる助産師を統括する立場になり、新たな目標ができた。「自分も最新の医療事情を学び、より時代に合った助産師を育てたい」。同僚である次長の田島と二人、働きながら大学院へ通い、日々研鑽を積んだ。平日の昼は看護の現場、夜や週末は大学院や図書館に通い、修士論文に向き合った。あまりの多忙さからか両立には苦労をしたものの、管理室の仲間や家族の協力により、やり抜くことができた。「二人三脚で成し遂げたから」と、卒業式には夫と娘が保護者として出席してくれた。森本が大学院で学んでいる頃、聖隷浜松病院では大規模なリニューアル工事が山場を迎えていた。よりリスクの高い母子にも対応し、妊産婦が本来持っている「産む力」を引出し、安全、安心して過ごせる総合周産期母子医療センター(※3)の環境整備に奔走した。森本の思いが実現したものとして、大きく3つが挙げられる。1つ目は、個室化された分娩室(LDR)を新たに多く設けたこと。2つ目は、 新生児集中治療室(NICU)を長時間にわたり面会しても疲れないよう居心地の良い造りにしたこと。3つ目は、院内助産システムCOCO(※4)を創設したこと。一方、次長として、救急でかかる患者をスムーズに受け入れるため病床の再編成も進めるなど、病院全体の課題にも取り組んだ。必要なことは先駆的に取り入れる聖隷浜松病院の「やらまいか精神※5」に背中を押され、どんな人にも、それぞれに合ったケアを提供できる仕組みを構築していった。

支えてくれた愛娘と大学院の修了式

院内助産システムCOCOの初出産は
静岡新聞に掲載された
(2011年11月9日)

共に成長し続ける聖隷浜松病院の「看護の語り」と「共育」

葉には利用者の声、実には改善事例が可視化された「リンゴの木」

 聖隷浜松病院の看護には、継続的に看護の質を追求する風土が醸成されている。キーワードは「共育(ともいく)※6」。一人ひとりが看護部理念のもとに、共に育み、高め合う「看護の語りの文化」がある。看護師同士が気軽に語り合い、それぞれの看護を認め合うことで達成感が生まれ、さらにより良い看護を提供していく原動力となっている。また、現場での継続的な質改善活動にも力を入れており、その一例としてNICUの待合にあるリンゴの木の掲示が挙げられる。患者が改善希望を「リンゴの葉」に記入して木に貼り、それを受けて病棟が対策を取り、改善ができたら「リンゴの実」を付ける、というもの。現場の看護師が患者の声を聴くため始めた取り組みで、相互理解に努める姿が可視化されており、森本のお気に入りのスポットである。ワークシェアも進み、それぞれが職能を大切にしつつ自分らしく働く。看護部は、約4割が働く母親でもある。自分自身の母としての顔も大切にしながら、看護師としてどう生きていくか。森本は、スタッフがこの職業を通して自分らしく成長できるよう、職位に関係なく、ざっくばらんに人の話を聞くことを心掛けている。森本のモットーは「人を信じ、愛し、尊重する」こと。明るい性格が手伝ってか、院内を歩けば、積極的に声を掛け、すれ違う職員、患者からも声がかかり、仕事の話や家庭の話、道案内まで世話を焼く。小児科で、子供たちのために院内でのヒーローショーや、高校受験の手配をしたこともあった。周りの意見を吸い上げ、持ち前のポジティブさと「やらまいか精神」で積極的に取り組む姿勢を、今後も貫いていく。

夢を持つことを忘れず、地域のため、病院のため、母子のために

信頼するC5病棟の同僚と

 現在は、総看護部長として患者やその家族が聖隷浜松病院に「来てよかった」と思え、看護師一人ひとりが目指す看護を行え、いきいきと働けるよう、管理者としてできること、すべきことを模索している。必要な人へ看護の力をいかに届けるか、健やかな暮らしを支えるために絶えず奮闘する日々。自分が生まれた時の話を母親から聞いて森本に憧れ、助産師の道を選んだ者や、幼くして聖隷浜松病院で治療し病気を乗り越えた者たちが、一人また一人と「聖隷浜松病院で働きたい」と門を叩く。どんな時も真摯に向き合ってきたことが患者に届いているように感じられ、森本は「看護冥利に尽きる」と言う。多くの仲間を得て、培い続けたスキルと広い視野を武器に活動を続けるが、手がける分野や資格、役職が増えても、必ず「助産師です」と名乗り続けるほどこの職業に思い入れが強い。
 「引退したら、地域で母親たちが気軽に集まれる場所を作りたいわ。仲間と一緒に、楽しみながら社会と繋がり続けたい。いつまでも自分らしく、夢を持つ心を忘れずにね」。 屈託のないひまわりのような笑顔で語る森本は、仲間の、母子の、そして自身の未来をこれからも明るく照らしていく。






 
※1・・・他からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動すること。
※2・・・多様なニーズを持つ個人、家族及び地域住民に対して、質の高い組織的看護サービスを提供することを
     目指し、管理者として優れた資質を持ち、組織を改革・発展させることができる能力を有すると認められた看護師。
※3・・・母体・胎児集中治療管理(M-FICU)を含む産科病棟および新生児集中治療室(NICU)を備えた医療機関
     のこと。母体の救急救命への対応、ハイリスク妊娠に対する医療、高度な医療行為を常時担う。聖隷浜松病院は、
     救急救命センターの指定も受けているため、母体の脳疾患等の対応も可能。
※4・・・聖隷浜松病院内にあり、助産師が主となって妊娠期から分娩、産褥期までを担当するシステム。必要時には医師と連携しケアを行う。
※5・・・「やってみよう」「やってやろうじゃないか」を意味する遠州地方の方言。新しいことに果敢にチャレンジする精神を表す。
※6・・・聖隷浜松病院看護部における自分を磨き、成長し合う組織風土のこと。

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聖隷浜松病院 施設概要

所在地〒430-8558 静岡県浜松市中区住吉2-12-12
電話番号053-474-2222FAX053-471-6050
開設日1962年3月5日定員・定床数750床
施設種別•医療施設
•助産施設
ホームページこちらをご覧ください


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 聖隷浜松病院は、1962年の開設当初から高度急性期医療を目指し、常に地域ニーズを先取りした病院づくりに取り組んでいます。循環器センター救命救急センター総合周産期母子医療センターをはじめとする高度急性期医療、先進医療や専門医療を積極的に展開し、診療科・部門を超えて職種横断的に作られたセンター組織が、 機能性の高さと連携する力で患者さんの抱える問題の解決に当たっています。

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