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【最新号】聖隷予防検診センター 診療放射線技師

画像で表現し、がん早期発見の最後の砦となる

 東名高速道路浜松西インターから10分。三方原台地特有の赤土の畑を車窓から眺め、松並木を抜けると、芝生が青々と茂る運動場から元気な高校生たちの声が聞こえてくる。聖隷予防検診センターは、聖隷三方原病院や福祉施設、聖隷学園が集まる巨大医療福祉・教育ゾーンの一角にある健康診断施設である。人間ドックの利用者で賑わう玄関を抜け4階に上がると最新のマンモ装置を備えた婦人科フロアにたどり着く。そこでは真っ白な検査着に身を包んだ齋藤が、今日も優しく受診者の名前を呼んでいる。


i am「齋藤 忍」

自信のない自分に差し込んだ光「診療放射線技師」との出会い

兄とよく遊ぶ男勝りな少女だった

 齋藤は、厳格な父に、三歩下がって寄り添う専業主婦の母、2歳離れた兄の4人家族の中で育った。小学生のころから理数科目が得意だったが、優秀な兄には敵わない。何につけてもつい兄と比べ、「自分には何もない、自分にも誇れるものを見つけたい」と考えていた。高校1年の冬、兄の友人から大学のパンフレットをもらい、診療放射線技師(以下、放射線技師)の存在を知った。好きな理系を生かし、人とも関ることができ、かつ人の役にも立てる。「この資格が取れたなら自分にも自信が持てるのでは」と目の前が開けた。だが、父は「女が放射線なんて」と猛反対。父は妹を原爆で亡くしている。放射線は怖いものという認識が強かったのだろう。そんな父の気持ちを覆したのは、母だった。母は美容師の資格を持っていたが、結婚後は家庭に入っており、娘の何かをやりたいという気持ちを大変嬉しく思っていた。齋藤は母の後押しを受け、生まれ育った愛知を飛び出し、放射線技術を学ぶため、1990年に徳島へと旅立った。後に、父から「あの時母さんが『自分が育てた子を信じないの!』と初めて父さんに歯向かったんだ。だからお前を放射線技師の道へ行かせたんだぞ」と聞かされた。当時、理系の女子は大変珍しく、齋藤が通う大学の放射線科の女子生徒は先輩2人、同級生は齋藤を含め5人。放射線業界は男性社会であり、就職の求人も「男性のみ」のところが多かった。

男性社会の放射線業界で女性技師として働くということ

聖隷三方原病院の上司、同僚と(入職4年目ころ)

 就職は実家がある愛知に戻ろうかと考えていたが、大学を通じて参加した聖隷三方原病院での実習でビジョンが一変。活気に溢れ、あっという間にすぎる刺激的な毎日に惹かれ、1993年に入職。レントゲン撮影を担当するようになった。聖隷三方原病院では性別関係なく仕事を任せてもらえることが何より嬉しかった。だが、当時は「放射線技師は男性」のイメージが強く、患者さんからは「女ができるのか」という目で見られることも多かった。鮮明に覚えているのは、再撮影をした男性に「だから女なんかに撮られたくなかったんだ」と吐き捨てられたこと。「技術が未熟だから失敗した」のではなく「女だから失敗した」と言われたのが悔しく、暗いレントゲン室で人知れず泣いた。齋藤は負けまいと、技師としての腕を磨くため、人一倍場数を踏み、経験を積むよう日々レントゲン撮影に向き合った。介助が必要な患者さんの時には、男性技師がさりげなく体重がかかる方の補助に回ってくれた。齋藤は力仕事で世話になっている恩を返したいと、課員の白衣を洗濯に出す手配は自分の仕事と決め、今の自分にできる目の前のことに勤しんだ。入職して10年が過ぎた頃、「お姉さんがやってくれるの?こんな大きな機械を操れる女性がいるのね」と応援してくれる患者さんも増えてきた。齋藤は性別を問わず、確かな技術を持ち戦える技師になることが大事だと考えていた。

マンモグラフィのスペシャリスト、齋藤の誕生

効率よく検査でき、より多くの人に検査を受けてもらうことができる

 第一子を出産した後は、聖隷予防検診センター(以下、予検センター) へ異動となった。乳がん検診におけるマンモグラフィ(以下、マンモ)検査が国から推奨されたことに伴い、予検センターではマンモ検査の本格導入が決まった。旗揚げメンバーに加わり、新たなスタートを切った齋藤は、新しい知識を仕入れるため、各勉強会に足繁く通い、従来の様式に比べ作業効率もよく、低被ばくであるFPD搭載型デジタルマンモグラフィシステム(※1)に目を付けた。このシステムは従来の様式と全く手法が異なるため敬遠されていたが、導入のメリットを各所に説明して回った。そうして齋藤の思いは通じ、FPD搭載型デジタルマンモ装置の導入にこぎつけた。 
 朝から晩までせわしなく活動していた齋藤だが、当時息子はまだ幼かった。出勤時泣く姿に後ろ髪をひかれる日々だったが、母が全面的にバックアップし、支えてくれた。母は地元愛知から浜松に引っ越し、孫を保育園に預けてから、職場のある愛知へと出勤する日々を過ごしていた。母に末期がんがみつかったのは、その最中であった。母に付き添うため退職を考えたが、同僚や、かつての上司にも「協力するから甘えろ」と力強い言葉をもらい、涙が溢れた。何より背中を押したのは、「私なんかのために辞めるより、大きな仕事を任せてくださった皆さんに恩返しをすることを考えなさい」という母の言葉だった。「お母さん、じゃあ、ずっと付き添ってはあげられないけど、仕事を続けてみるよ」。齋藤は再び自分の仕事と向き合う覚悟を決めた。予検センターが全国で初めてFPD搭載型デジタルマンモ装置で施設画像認定(※2)を取得したのは2005年。母が亡くなった2年後だった。こうしてFPD搭載型デジタルマンモ装置の有用性が立証されたことを皮切りに、聖隷全施設にこのシステムが広まっていった。

齋藤を救った 息子の熱意

高校野球最後の試合後に。同じ釜の飯を食べたチームメイトとそのご父兄で集合。

 過去に職場の係長や静岡県放射線技師会の部会長など、聖隷内外を問わずさまざまな役職を務めてきた齋藤であったが、そこに至るまでは多くの困難があった。
 中でも受け持つ役職の数が増え始めたころ、自分の能力以上のことを求められ、それに応えられず苦しんでいた時期があった。そんな時に、小学生の息子が野球を始めたいと言い出したのだ。もうこれ以上無理だと息子に野球を諦めさせようとしたが、息子は泣きながら「やりたい!」と訴えた。結局、息子の熱意に負けて野球を始めさせたが、そこには奇跡の巡り合せが待っていた。野球チームの母親たちは、家庭環境を問わず「お互い様」の意識が高い人ばかりが集まっていた。仕事で試合時のお茶当番ができない人がいれば、専業主婦の人が「時間の自由がきくから」と代わってくれる。また自分の子どものひとりが怪我をして、他の兄弟の世話まで手が回らない時は、別の人が子ども預かるという助け合いの輪ができていた。
 試合中に母親同士で話に夢中になり、「ちゃんと試合見てるの?」と子どもたちから叱られたこともあった。みんな、似た者同士で気が合い、野球以外の時間も交流が増えていった。聖隷以外の世界を知らず八方ふさがりになっていた齋藤にとって、彼女らとの交流がいつの間にか息抜きと楽しみの場となり、気が付けば仕事のプレッシャーも軽くなっていた。息子の野球が、齋藤を苦しみから救い出してくれたのだった。

女性の 女性による 女性のための検診

 辛い時期から抜け出した齋藤は、後輩たちにも一つの場所に留まらずさまざまな世界を見てほしいと考えている。齋藤は「静岡県マンモグラフィ講習会」の講師として、また事務局としても若手育成の講習会を企画・開催している。この講師の経験がきっかけで、聖隷外に活動の範囲を広げることができた。また、聖隷の放射線部は放射線技師の施設間ローテーションや人事交流を積極的に行っており、多方面に目を向けることができる。それが個人のブラッシュアップ、ひいては聖隷の放射線部門全体の質の向上につながるのだ。
 齋藤も自身の個性を活かした活動をしている。女性職員で構成される「聖隷予防検診センター女性検診推進プロジェクト」のリーダーがその一つだ。多くの女性に婦人科検診を受けてもらうきっかけづくり、場づくりを医師を含むさまざまな職種のスタッフを巻き込んで進めている。
 齋藤もそうであるが、プロジェクトメンバーは主婦、母親など職員以外の顔も持つ。そんな彼女たちだから発想できた企画が「ファーストママ検診」だ。30代、40代の母親は家族優先で自分のことを後回しにしがちだが、乳がん発生率は30代から40代が最も高いと言われている。そこで一つの取り組みとして、母親が自由になりやすい日中に短時間で受診できる検診を立ち上げた。また、聖隷、企業、NPO法人で共同して、買い物ついでに店舗の駐車場で乳がん検診ができる「出張乳がん検診」も開催した。
 一放射線技師としては、静岡県放射線技師会の乳腺画像部会部会長を2009年から6年間勤め上げた。齋藤が放射線技師になったころ、男性社会であった放射線技師の世界。しかし2018年の今は違う。多くの女性技師も活躍している。乳腺に関する疾患は女性特有のものであるため、女性の目線で理解したうえで、女性技師の部会参加を歓迎し、活動しやすい体制づくりを行った。

組織を超えて知識と技術の交流をする

ドッジボール大会にも出場するなど結束力の強い静岡県放射線技師会(写真は聖隷のメンバー)

自分の利益は他人の利益、「自利利他」の精神で健康に貢献をする

乳がんの早期発見のため、ピンクリボン運動を広め続ける

 多方面で活動する齋藤の根底には、共通して「早期がんをみつけ、救える命を助けることが検診で働く者、マンモ検診に携わる者の使命である」という思いがある。
 放射線技師の最重要ミッションは、画像で表現して医師へ患者の情報を伝えること。病院の放射線技師は、医師が病気の診断に必要な画像を撮り、予検センターをはじめとする健康診断施設の放射線技師は、「ない」前提の病気を探し出すための画像を撮る。発見が難しいがんもゼロではなく、「ないものを探し出す怖さ」もある。しかし検診で早期発見ができればより多くの命を助けることができる。早期発見の最後の砦となるべく、齋藤は「もっとしっかりとした画像」を常に意識しながら一回一回撮影をしている。
 最後に、がんにならないために私たちが何をすればよいのか齋藤に聞いた。「自身の健康を過信せず、年に一回のチェックのつもりで年齢に関係なく検診を受けてくださいね。そのために、私たちもさまざまなニーズに応えられるようなサービスを提供していきます」とのこと。
 「マンモだけでなく乳房エコーもできるようになりたい。聖隷内外問わず若手放射線技師の撮影技術向上の教育も引き続きしていきます。これからも立場が変わればそれに合わせて自分を変えていく。今はまだ道半ばですよ」と、齋藤にはやるべきことがまだまだあるようだ。 
 幼いころ、出勤する齋藤を追い「かあか!かあか!」と泣いていた息子は、高校球児(投手)となり、来春高校を卒業する。大学進学後も野球を続ける息子を今と変わらず応援していくつもりだ。息子のグローブには、齋藤の座右の銘でもある「自利利他」が刺しゅうされている。

※1・・・エックス線を電気信号に変換し、パネルに画像を映し出すフラットパネルディテクタ(=FPD)を搭載したマンモグラフィ装置。従来のマンモグラフィ検査はスクリーンで光に変えてフィルムを感光させていた。
※2・・・良い画質を得ることを目的とし、マンモグラフィ施設・画像・線量評価を行って認証を与える活動を2001年から日本乳がん検診精度管理中央機構が行っている。
日本乳がん検診精度管理中央機構公式ホームページ参照)

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聖隷予防検診センター 施設概要

所在地〒433-8558 静岡県浜松市北区三方原町3453-1
電話番号053-439-1111 FAX053-438-2948
開設日1976年2月定員・定床数11床(宿泊人間ドック)
施設種別•医療施設
•健診事業及び診療所
ホームページこちらをご覧ください。
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聖隷福祉事業団で診療放射線技師として一緒に働きませんか?

 聖隷福祉事業団の事業は、昭和初期、結核は死に至る病としておそれられていた時代に結核患者さんのお世話をすることから始まり、その後に診療所から病院へと充実した医療機関となりました。
 また、結核の予防対策として始まった結核検診の仕事は、のちに成人病予防、人間ドック、労働安全衛生、健康増進等の事業を包括した保健事業部へと発展しました。
 さらには、介護保険対応の入所施設、在宅サービス事業、有料老人ホーム事業等、医療、保健、福祉、介護サービスを柱とした総合的なヒューマンサービスを提供する「複合体」となっています。

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