脱ステロイドを目指した最新治療を、患者さん一人ひとりにテーラーメイド医療で。リウマチで悩む患者さんと寄り添い続けたい。
JR保土ヶ谷駅から循環バスで約3分、小高い丘の上に立つ聖隷横浜病院は、2003年に国立横浜東病院の経営移譲を受け開設。横浜市の中核的医療機関として急性期医療を担う聖隷横浜病院に、2016年リウマチ・膠原病センターが設立された。そこで、リウマチ・膠原病などの全身性自己免疫疾患で悩む患者を救うべく、多職種で構成された診療チームを率いるセンター長の山田秀裕に迫る。
「2018年度版 患者が選ぶ名医ランキング いざというとき頼れる医師ガイド※1」に掲載されました!
高校の卒業レポートと師が引き合わせたリウマチ医への道
飲み会をエサに釣られ、山田は大学3年生から医事振興会に加わった。医事振興会とは、無医地区※2医療に共感する医師が、へき地で住民の健康診断をし、その結果を持って医学生が家庭訪問をして健康指導を行う団体だった。しかし山田たち学生が懸命に血圧や食生活について説明をしたところで、住民は耳を傾けてくれなった。それより、夜、住民と囲炉裏を囲み、一杯飲みながら話をする方が理解し合えた。何軒も家庭訪問をしているうちに、酔いつぶれて雪の中で寝てしまったこともあった。医療者と患者という付き合いではなく、人間同士の付き合いの大切さ。この活動での経験が、山田の医療者としての礎となった。
医師として、人として、最も幸せな時間を過ごした米国留学
米国留学中、ギリシャ人とドイツ人の親友と。
世界中から集まった研究者と共同研究をしたが、その中で日本人は山田一人であった。ドイツ人、ポーランド人、ギリシャ人、イタリア人、みんな話好きの酒好きで、飲みニケーションが好きな山田はすぐに彼らと意気投合。研究以外の時間は彼らと過ごした。バーや各々の自宅に集い、互いの国の話をして親交を深めた。ドイツ人から1989年に崩壊したベルリンの壁についての新鮮な意見や、ポーランド人からはロシアの見方を聞いたりと、山田が知らなかった世界を彼らは見せてくれた。もちろん彼らは日本についての質問もしてくる。説明ができなかった山田は、必死になって日本の歴史・文化の勉強をした。すると、知らなかった日本の良さが見えてきた。「高校時代は苦手だった歴史でしたが、アメリカで生きた勉強をしました。研究の論文よりも歴史の勉強をしたかもしれないです」と笑いながら山田は話す。また、料理上手な妻の手料理が評判となり、山田の家では毎週末ホームパーティーが開かれ、世界中から集まった研究者たちの親睦はより深まっていった。
米国滞在最終日に、アメリカ国立衛生研究所でお世話になった
Ballow博士とその家族と。
渡米前、山田は日本人と世界の人々は異なると思っていた。しかし世界中の人々と友人になり、時にはその友人たちに支えられピンチを乗り越えた山田の考え方は変わった。相手の事を思いやる気持ちは万国共通。良い人もいればそうでない人もいる。そして日本の歴史文化の良さを外に出て初めてみつけた。米国で経験したこと、感じたことは、山田のその後の人生の価値観や行動の規範となった。
学生たちと共に成長した聖マリアンナ医科大学時代
2001年 聖マリアンナ医科大学時代。
当時の教え子である5年生たちと。
3年間の米国生活に終止符を打ち、1992年から山田は聖マリアンナ医科大学の難病治療研究センターに籍をおいた。多くの医師は研究をしていたが、山田は臨床を担当した。全国から患者が受診する医療機関で、希少な症例も多く、有意義な臨床経験であった。また、病棟長でもあった山田は若手医師の指導も行い、病棟で急変があれば、夜中でも駆けつけた。若手医師が育ってくると、呼ばれる回数が減ってくる。肌で感じる成長が嬉しかった。また、彼らと共に研究もした。研究は夜遅くまで続き精神的にも身体的にも辛い。しかしそれを乗り越え、良い研究結果が出て論文が評価され、教え子たちがアメリカや欧州のリウマチ学会で発表が出来た時、その瞬間が指導者として最も嬉しい瞬間だったと言う。そんな山田の後進育成ポリシーは「医療については一緒に責任を負う、プライベートの相談は一緒に酒を飲む」だ。かつての本間教授の面影が垣間見える。
聖マリアンナ医科大学から聖隷へ 臨床で行えるすべてを今
聖隷横浜病院 リウマチ・膠原病センターのスタッフと。
(前列:医療秘書と看護師 後列:医師)
新外来棟の建築工事が進む聖隷横浜病院では、地域ニーズをいかに的確にとらえ、質の高い医療を提供していくか、将来構想を入念に描いている最中である。今、山田は医師として自分がやってきた診療の質を高めていきたいと使命感にあふれてもいる。診療はもちろん医師の仕事ではあるが、医師一人では最善の医療を提供できないことを長い経験から身に染みてわかっている。病理医、看護師、薬剤師、臨床検査技師、医療ソーシャルワーカーそして医療情報管理課さらには、清掃スタッフまで、多くの職種の連携・協力がなければ、ほころびが出て、患者に影響が出てしまう。2016年新天地の聖隷横浜病院で山田は仲間づくりからスタートした。
高い専門性と最新薬を駆使したリウマチ治療
山田に早期発見の重要性と初期症状を感じたときのアドバイスはないか聞くと、「関節が痛くて1週間以上改善しない・こわばりがある場合や、起床時の歩き始めに足の指に痛みがあるときには、リウマチ専門医の診察を受けるべきです。リウマチ専門医でない整形外科ですと、鎮痛薬が処方されてしまうことが多いです。それは、一時的に痛みを感じさせなくしているだけで、根本原因の炎症は止められていません。リウマチの関節炎は鎮痛剤だけでは全く抑えられません。それを数カ月繰り返している間に関節破壊が進行してしまいます。リウマチは早期発見できれば、寛解(かんかい)※3を目指すことができます。ガン治療と同様に進行してしまってからでは難しいため、早期発見が重要です」と教えてくれた。山田は、早期発見のためにも気軽にリウマチ科を受診することを薦めている。
ステロイドを使わない、使ったとしても極限まで量を抑えて、別の新しい薬を使いこなす。研究してきた実績とともに、日本人の患者に最善の薬を処方する。さらに、看護師が患者の気持ち、症状を丁寧にヒアリングするリウマチ看護外来※5では、リウマチ治療のメインは薬剤であるため薬剤師とも連携して患者への繰り返しの説明を行っている。リウマチ看護外来もまだまだマンパワー不足でもある。安全で質の高い医療の提供に、山田は各職種の強みを生かした最善の道を模索している。
医師としての人生をかけ、リウマチ治療の未来を切り拓きたい
山田のリウマチ診療の方針は、ステロイド漬けによる合併症の防止だ。「当院の中でしっかりとやっていくのは当然であるが、私は横浜市内だけでなく神奈川県内にも、脱ステロイドの治療法を広めていきたい」という強い使命感のもと診療にあたる。2017年5月、山田は神奈川県内科医学会でリウマチ・膠原病対策委員会を立ち上げた。その委員会を起点に、リウマチ・膠原病治療の底上げを図っていきたいと志は高い。併せて地域の開業医との連携も不可欠であるため、神奈川県内科医学会を中心に、講演会を年に複数回開催し、症例検討等を通じ地域の医療の質向上に尽力している。
新しい世界を切り拓(ひら)く明治維新の志士に心を動かされ医師を志し、尊敬する師を目標にリウマチ医となった青年は、30余年たった今でもなお、患者をリウマチの苦しみから救うべく、仲間と共に前へ前へとその道を切り拓いていく。
※1 ・・・2017年6月 「桜の花出版」より発行。
※2・・・医療機関のない地域で、当該地区の中心的な場所を起点として、おおむね半径4㎞の区域内に50人以上が居住している地区であって、
かつ容易に医療機関を利用することができない地区。
※3・・・リウマチの症状である腫れや痛みがきえた状態。
※4・・・患者の個人差に配慮して各個人に最適な医療を提供すること。
※5・・・2016年10月に日本で初めて開設された。看護師4名で構成。体調・リウマチの症状の確認、自己注射治療への支援、
新しい治療が開始時の説明などを行っている。医師に言いにくい不安や相談事を解決できるように一緒に考え、患者が安全に治療が継続でき、
リウマチとうまくつきあって生活できるよう支援する。
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所在地 | 〒240-8521 神奈川県横浜市保土ケ谷区岩井町215 | ||
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電話番号 | 045-715-3111 | FAX | 045-715-3387 |
開設日 | 2003年3月 | 定員・定床数 | 300床 |
施設種別 |
| ホームページ | こちらをご覧ください |
2019年完成予定の新外来棟
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