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聖隷三方原病院は、地域医療支援病院として、質の高い地域完結型医療を目指しています。
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「薬剤師として働いて」  薬剤部 奥村知香氏

「薬剤師として働いて」
 薬剤部 奥村知香

 昨年、永年勤続20年を表彰していただいたときに、まず考えたこと・・
それは、この20年を振り返ることではなく、退職するまでのあと10年、薬剤師として何をしていこう・・ということであった。

 小学校の卒業文集で「将来は薬剤師になりたい」と書いてから、私にはその道しかないと思い、中学、高校、そして迷わず大学は薬学部へ進学。今から思えば、強い意志があったというよりは、他に思いつかなかったのかもしれない。でも、よそ見をすることなく突き進めたのはある意味幸せであったのかもしれないとも思う。
きっかけは、母の病気。薬の副作用のために退院が何度も伸び、悲しそうで不安そうな母の顔を見るたびに、薬のことを詳しく教えてくれる人っていないのかな、と思ったことが薬剤師になろうと思ったきっかけであった。
 
 聖隷三方原病院に就職した平成元年、当時は外来患者の薬はすべて院内処方であり、多いときには1日1500~2000枚もの処方箋を調剤していた。まさに戦場のような職場・・仕事が終わって家に帰ると、もう疲れて食欲もない、どこにも出かける気力がない。夜はパンパンに浮腫んだ足をクッションに乗せて寝る毎日であった。直接患者さんへ副作用などを説明したいという私の夢は脆くも崩れ去り、薬剤師の仕事は肉体労働だという現実を突きつけられた。
 ところが、それから10年も経たないうちに、薬剤師が病棟で患者のベッドサイドに立つことになる。
私自身、平成11年には整形外科病棟、次いで循環器病棟、そして現在は精神科病棟などで、毎日のように患者と薬の話をしている。
 病棟業務だけではなく、この20年の間に薬剤師の業務は大きく変化した。
注射薬のセット払い出し、抗がん剤やIVH注射薬の混注、薬物血中濃度解析や副作用報告システムなどの業務を通して、薬剤師としての知識や専門性を活かす場面が格段に増えた。日本病院薬剤師会が確立した専門薬剤師の認定制度を見ても、薬剤師として専門性を評価される時代になってきているのだと痛感する。
患者と直接触れ合う業務がない時代が長く続いた薬剤師が、臨床に弱いという弱点を払拭するためにも、薬学部は4年制から6年制へと変化し、今年度からは、病院と保険薬局あわせて半年間という長い学生実習も始まった。
臨床で薬剤師の専門的な知識が求められる時代へ変化したことを身をもって実感できるのは、制度の変化をすぐに反映させることのできる施設で働くことができるからこそだと、日々感謝している。
 これから薬剤師が活躍する臨床の場はますます増えていくと思われるが、急性期病院である当院で求められるのは、救急室や手術室での、緊急時の薬剤情報提供(用法用量や投与速度、適正投与量など)や注射薬混注などではないかと考える。幅広い専門的な知識と経験を備えることが要求される。
 これからの薬剤師の理想像は、多くの知識を肥やしにした土壌に、ジェネラリストという太い幹、そして専門性という大きな葉をつけ、雨風に耐え抜けるたくましい大木といったところであろうか。

 さて、退職までの10年。私に何ができるかと考えたとき・・薬剤師になりたいという思いになった原点に戻ると、患者のニーズを理解し、とことんそれに応えることができるよう努力していくこと、不安な気持ちでいっぱいだったあの頃の母と同じ思いをする人が一人でも少なくなるよう努力し業務に励むことが、薬剤師としての私にできることであろうと考える。そしてそれが、薬剤師業務の開拓のみならず、聖隷三方原病院が提供する医療の向上につながれば、90周年の作文リレーを書くときには、やり残したことは何もないと満足できるのだろうか・・それとも、やり残したと思うことを後輩に託す準備をしているだろうか。


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