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8月の聖句

「憐み深い人々は、幸いである、その人たちは憐みを受ける」マタイによる福音書5章7節
日本キリスト教団遠州栄光教会 
牧師 星野 健
 
「憐み深い」という言葉は、ふだん日常会話で使うことはない格調高い言葉なので、少し上から目線の言葉に感じられるかもしれません。本当はそうではなく、憐みとは、誰かの痛みを自分の痛みとして感じ、自分の痛みとして引き受けて、その人と一つになることを意味します。わたしたちにとって本当に難しいことです。その憐みが、わたしたちすべての人間の罪を赦す十字架を背負うために来られたイエス・キリストという方によって、わたしたちの世界に現れました。
 キリストが「幸いである」と言われるのは、幸福とは何かを解説しているのではなく、あなたたちは幸いだと宣言し、祝福してくださる言葉です。神様が本当に変わることがなく、尽きることのない憐みをいつも与えてくださり、子どもたちと一緒にその憐みを生きることができます。
                
*今月号より星野牧師に園だより今月の聖句を担当していただきます。