グローバルナビゲーションへ

本文へ

ローカルナビゲーションへ

フッターへ



ホーム  > 園長コラム  > 「神さまからの一番美しい贈り物」

「神さまからの一番美しい贈り物」

 昨年3月東京目黒区で、5歳の宍戸結愛さんの『きょうよりもっともっとあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください』とノートに記されて、躾と称した虐待死に続いて、今年1月に千葉県での小学4年生の栗原心愛さんが『お父さんにぼう力をうけています・・・先生なんとかなりませんか』とアンケートに記しながら、父親の虐待によって死亡した報道は、誰もが心が痛み、胸が締め付けられる思いだったのではないでしょうか。
 2000年に「児童虐待の防止に関する法律」(通称「児童虐待防止法」)が成立されました。理由としては1990年度から1999年度に児童相談所における虐待に関する相談処理件数が1,101件から11,631件と年々増加し10倍になったことでした。
 この時に示された虐待とは1.身体的虐待(児童の身体に外傷を生じ、又は生じる恐れのある暴行を加えること) 2.精神的虐待(児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと) 3.性的虐待(児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をすること) 4.育児放棄(児童の心身の発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置その他保護者としての監護を著しく怠ること)でした。
 私たち親や大人は、子どもをしっかり保護し、育てることは当然です。しかし親や大人のその時々の感情や価値観で虐待とも思われる言動を上記の4つの虐待に限らず、子どもにしていることもあるのではないでしょうか?
子育てをしていて、一度決めたこと(約束)がきちんと出来ない(守れない)のは本人の意志が弱いからだ、子どものためにと親が思ったことに子どもは従うべきだ、簡単な目標よりも高めな目標の方が本人のために良い、また子どもの評価(成績など)が悪いのは親の責任等々は一歩間違う(過度になりすぎる)と「(教育)虐待」にも繋がりかねません。
「いやいや、私はそんなことは思っていません」と言いながらも、就学を前にすると学校に行って困らないようにと、嫌がる子どもにひらがなを教えたり、数称を、分けも分からず言わせたりしていることも見かけたことがありました。子どもが興味をもって取り組んでいる間はいいのですが、それが過度になると出来ないことが、いつの間にか「なぜ、できない!」となり、子どもが間違えたり嫌がったりすれば子どもをど突き(叩き)、「おまえはバカか!」と言葉を浴びせ、エスカレートしていくことはどの親、大人もありうることです。
 カトリック修道女のマザーテレサは『子どもは、神さまからの、この世への、この国への、家族へのいちばん美しい贈り物です』と言われました。子どもは親の所有物ではありません。神さまからの一番美しい贈り物なのです。マザーテレサの言葉は、「親や大人は多くの恵みを子どもから与えられていることを忘れてはいけない。子どもは、親や大人が生きるのに必要であり、とても大切なものであり何ものにも変えがたい美しいもの」と言われているようにも思います。
また聖書には『イエスはこれを見て憤り(弟子たちが子どもを排除しようとしたこと)、弟子たちに言われた。『子ども達をわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たち(子ども)のものである。』<マルコによる福音書10:1>とあります。神さまから私たち親や大人に贈られた美しい贈り物を大切にしたいと思います。