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『御言葉に導かれて』

 


白い息を吐きながら園庭で遊ぶ子ども達を見ると、なんだかこちらも心がポカポカしてきます。もうすぐ子ども達が春を連れて来てくれるのではないかと楽しみにしている今日この頃です。
 2021年初めての礼拝(幼児3クラスを2回に分散して行っています)でこんなお話をさせていただきました。『お正月にいとこがおばあちゃんの家に集まりました。Yちゃんがクリスマスに教会で頂いた聖書の物語が描かれている「聖書かるた」を皆で楽しみます。しかし、教会でたくさん、聖書のお話を聞いていたYちゃんは、かるたを取るたび、説明をする為反感をかってしまいます。悲しくなってしまったYちゃん…それを見ていたおばあちゃんが「みんなも、かるたを作ってみたらどう?」と投げかけ、かるた作りが始まりました。分厚い聖書をめくりながら「あ」の文字から順番に、聖書の言葉をそのまま画用紙に書きます。選んだ言葉から思いつくままに別の画用紙に絵を描きます。いとこ皆でオリジナルの聖書かるた作りを楽しみましたが、その日には完成しませんでした。分担して持ち帰り、来年のお正月はこのかるたを皆で楽しもう!と約束をした。』というお話でした。礼拝後、直ぐに「先生!聖書どこにあるの?」という声が聞こえて来ました。そしてその後担任が紙の準備をしている姿が見えました…
 2週間後バームクーヘンの空き箱が素敵に変身し、「手作り聖書かるた」が私の所に届いたのです。あまりに嬉しく、早速子ども達と聖書かるたを楽しみました。「これね、私が描いたの」「これは○○ちゃんが描いたのだよね」「聖書から言葉を探すのが難しかった字だよ」「このお話は礼拝で聞いたよね」と作った時のエピソード等も聞かせてくれながら楽しくかるた取りを行いました。聖書の中の難しい言葉を選んでいる物もあり驚きました。担任に聞いてみると、礼拝後に興味を持った子ども達が聖書を見ながら作り始め、それを見て少しずつクラス内に広がっていった。「あ」~「ん」までの文字を聖書から探すのは難しく担任も一緒に関わり、なかなか見つからない文字は言葉の途中の文字を拾うことも提案したとか。絵は言葉から想像して描いた子もいれば、聖書絵本等を見ながら描いた子もいた。他クラスでも楽しめる聖書かるたを卒園製作に繋げていこうかと考えている。と話してくれました。カードの大きさや形はそれぞれですが、子ども達の気持ちがいっぱい詰まったオリジナルかるたです。園生活の様々な場面で神さまのお話に触れ、クリスマス祝会では、はじめてのクリスマスのお話を仲間と創り上げ、立派に演じて魅せてくれた年長児だからこその作品だと感動しました。
 今年は感染症対策をしながら行事や保育の本当の意味を再確認し、「子ども主体」という観点で教育・保育を見直してきました。仲間を尊重し、話し、共感し合いながら、1つ1つ創り上げてきた経験の積み重ねがこのかるたにも活かされていることを感じ、つながりのある保育(保育の連続性)を大切にしてきた表れだと嬉しく思いました。かるたの中に「御言葉は、わたしの道の光」という言葉がありました。新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい続け、まるで暗闇のなかにいるような心の状態のなかですが、神さまは前に進めるように、光を灯して道を照らし出してくださっています。私達はいつも神さまに支えられ導かれているのです。「一歩先の光」を信じて、主を賛美し、歩みたいと願います。そして時に大人を救ってくれる子ども達の感性に支えられながら、そのことから得られる感動を保育者の醍醐味として頑張る栄養に変換し、大変な局面を、皆で力を合わせて
進んでいきたいと思います。

園長 梶山 美里