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聖隷の始まりは

プールが始まり、夏本番です。先日は、プール掃除などの奉仕作業へのご協力をありがとうございました。お陰様で、園内がきれいになりました。また、畑ではじゃがいもや玉ねぎを収穫することができ、感謝です。年長児のお泊り保育の夕食の材料に持っていこうと思います。夏野菜やじゃがいものクッキングを楽しみにしている子どもたちです。
先日29日、浜松市中区和合町に、新たに増築が決定しました聖隷こども園めぐみ(仮称)の起工式が行われました。浜松市からの要請を受けて、待機児童の解消の観点から、160名定員のこども園として平成29年度より児童の受け入れを開始します。園長は5年前までこうのとり保育園の園長をしていた内藤かず子先生です。
聖隷福祉事業団の保育園は現在、浜松地区に6ヶ園、磐田地区に3ヶ園で合わせて、9ヶ園です。磐田市においても待機児を解消するために増改築を行ってきました。ニーズに合わせて、学童保育等の新たな事業展開も行っております。そのために、昨年度、聖隷の保育園・こども園全体で、20名程の新しい職員も採用し、今年度も20名程の新人採用を考えています。新しい職員が増える中、事業団で行われる新人職員研修のみでなく、保育園独自の保育職の新人研修を年2回企画しています。研修では、主任を交えてグループワークを行い、他園の職員と意見交換することで子どもを見方や子育て支援の在り方等の学びを深めていきます。人間形成の土台となる乳幼児期に子どもたちの成長に関わることは幸せなことではありますが、子どもの生命を預かる責任ある仕事であることをしっかりと心に刻み、職員の成長を見守りたいと考えています。その研修の中で、“聖隷の理念と歴史”についても取り上げています。
保護者の皆様は、聖隷の起源をご存じでしょうか。1930年(昭和5年)、それは昭和初期のことでした。当時、不治の病と忌み嫌われていた結核に苦しむひとりの青年を引き取り、看病した長谷川保をはじめとする数名の若者たち。それがすべての始まりでした。そして、重度の結核患者の方々を、松林に点在する粗末な小屋でお世話をしたのです。これが現在の浜松市北区の三方原町です。
聖隷の創設者である故長谷川保氏の“創設のこころ”の中で『貧しくて結核を病み“天地の間に身の置き所もない”と悲嘆にくれている、桑原某という青年があった。この窮状を見るにしのびず、相協力して一個の病室を建て、彼をあたたかく迎え入れた数名のクリスチャン青年の愛が、今日の聖隷福祉事業団設立の端緒となったのである。』(聖隷ホームページより)と記されています。迫害を受けていたにも関わらず、青年たちは、不治の病と忌み嫌われていた結核患者を招き入れ、自分たちも貧しく食するものも少ない中、患者の残食を温めなおして食べていたのです。そうした生活の中で、接する人々に大きな感動を与え、同情者、理解者は日に日に加わっていったのです。青年たちをそのように突き動かしたのは一体何だったのでしょうか。おそらく彼らが行動に移さなければ何も生まれなかったでしょう。そのような状況下にあっても希望を失うことなく、信仰と愛をもって生きていく真の強さを感じます。神様の愛は深く、人間にはできないであろうことも実現させてくださるのです。聖隷の理念がその事実に基づいて生まれたものであるということをしっかりと心に留め、仕事に誇りを持って、保育にあたりたいと考えます。
この夏も夏ならではのあそびを存分に楽しみ、感謝と喜びをもって過ごしていきたいと思います。

園長 永島 弘美