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ホーム  > 園長コラム  > 『祈る』

『祈る』

心地よい秋風が吹き抜け、虫の音色も変化し、稲穂も刈り取りの時期を迎えます。
子どもたちも成長し、今年度、入園した子どもたちも保育園に慣れ親しんでいる姿が嬉しいこの頃です。

 先日、保護者の方から、お子さんがひとりで静かに神様にお祈りをしていたことをお聞きしました。飼っているインコの元気がなくなり、死を予感したそうです。家族皆で、とても心配していたようです。でも大丈夫。
翌朝、インコは生きていました。3歳児クラスのAくんは、その時の思いをそして気持ちを神様に伝えました。前の夜のインコの様子も、次の日の姿も神様に丁寧にお話ししていたようです。それもひとりで静かにお祈りをして、伝えていたのです。
 私は聖隷福祉事業団に就職してから、キリスト教保育の中で『祈る』ということを経験しました。教会では、牧師の説教を通して、迷いの中にある私が変えられていく経験もしています。心から感謝をしています。
 マザーテレサは「私たちすべてに必要なことは祈ることです。祈ることで誘惑に打ち勝つ強さを得るでしょう。祈ることで、思い煩いで一杯の心から、周りの人のことを考える心へと変えられていくからです。」と語っています。私自身、何をどうすればいいのか、何を一番に考えればいいのか等迷ったときに、神様に祈ります。祈ることで考えられるようになり、迷いがとけていく経験を何度もしています。また、目に見えた状況が変わらなくても心が救われたことも多いです。その時にわからないことも、後になってわかるようになることもたくさんあります。目に見えるものに惑わされることも多い現代社会の中で、本当に大切にするべきものは何なのかを見極めていく必要があります。
このAくんのように静かに神様と1対1で向かい合い、相対して心を集中することはとても大切なお祈りの姿勢だと思います。嬉しい時にも悲しい時にも祈ることを忘れず、神様との対話の中で、自身の身体の奥底にある心の声や気持ちと向き合うことは、生きていく上で重要な意味を持ちます。幼い子どもたちは、気持ちを言葉で十分に表現できないこともあると思います。感情的になっていたら、よけいにそうでしょう。それは、私たち大人にも同じことが言えますね。神様との対話は自分との対話でもあるのです。神様はお話を必ず聞いてくださいます。自分の中にある奥底に隠れている気持ちに気づかせてくれます。未熟な私たちですが、神様は、それをまるごと受け止めてくださるのです。そして、私たちは“かけがえのない自分を生きていく”ことができるのです。私は、そこに『祈る』意味があると思います。

*近隣の方で希望している方がいらっしゃると保護者の方からもお問い合わせをいただきましたので、2020年
4月に開園する聖隷福祉事業団の新しい施設について、ご案内させていただきます。
新園は、聖隷こども園こうのとり富丘複合施設として開園致します。
事務所の窓口にも、パンフレットが置いてありますので、どうぞ、ご自由にお持ちください。

園長 永島弘美