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クリスマスを迎える

 


11月の収穫感謝祭には、野菜や果物の持ち寄りをありがとうございました。いつも私たちを支えて下さる方々そして近隣の方々にも感謝の気持ちを届けることができました。そして、“あおぞらひろば”では、役員の皆様そしてヨセフの会の皆様の協力のもと、楽しく思い出に残る一日となりました。お越しいただいたお客様そして他園の職員の皆様、一生懸命に手伝ってくれた卒園した子どもたちの働きにも感謝です。

 クリスマスツリーにトップスターが付けられ、真っ赤なリンゴが飾られました。このリンゴは、私たちのために、イエス様の流された血を意味し“神様の愛”を表しています。子どもたちは、「これは本物のリンゴ?」と聞いては、そっと触れてみたり、鼻を近づけて匂いをかいでみたりしています。アドベント(待降節)を迎え、クランツ(玄関に置いてある杉で作られた円形のもので、4本のローソクが立てられています)の一本目のローソクに灯をともし、本日、礼拝を行いました。献金箱を持ち帰りますので、献金へのご協力をよろしくお願いいたします。クリスマスを待つアドベントの期間に少しずつクリスマスツリーの飾りも増えていきます。アドベントカレンダーを楽しみにめくりながら、クリスマスまでの一日一日を楽しみに待ちたいと思います。

キリスト教保育冊子の中に、『ひとり一人を大切にする保育は、キリスト教保育でなくてもよく言われることだが、キリスト教保育は、何が違うのか。それは、ひとり一人を神様に愛されているかけがえのない存在として考えるところ。しかし、子どもが本当に愛されていると感じているか。現実に身近な大人から愛されているという実感がないと神様の愛もわからないもの。子どもにも存在不安はある。キリスト教保育から始まった誕生日会は命が与えられていることや自分の存在を実感する日。』-抜粋-と綴られていました。
神の御子イエス様は、神様の子どもでありながら、この世に人としてお生まれになります。ですので、イエス様にも私たちと同じように誕生日があります。子どもたちは、自分も同じように誕生日があることと重ね合わせます。さらに、私たちは、本来、神様から自由な意思を与えられ、自身の思いを持って生きることがゆるされています。自分と同じ人間は、他にひとりもいません。多様性も神様からプレゼントされたものなのです。私たちは、唯一無二の存在として生まれてくるのです。ただ、神の御子イエス様と大きく違うのは、イエス様は、私たちの罪を贖うためにこの世にお生まれになったというところです。それほどまでに、神様は私たちを深く愛してくださっています。そして、神様は私たちひとり一人に、必要だと思うものは、お与えになるのです。
クリスマスを迎える12月。身近な人たちと心を合わせて、日本中の世界中の人たちのことを考えて、子どもたちと一緒に、自分にできることをしていきたいと思います。保護者の皆様のご協力をどうぞよろしくお願い致します。

園長 永島弘美