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経験から感じる・考える

園長 大塚 麻紀子
私の通勤途中には、たくさんの向日葵が咲いている場所があり、進行方向である東を向いて色鮮やかな黄色がとてもきれいに輝いています。こうのとり東に近づくと、田んぼのおかげで視界が広がり入道雲が根元から見えてより大きく感じたり、セミの鳴き声がBGMになったり、夏だなぁ~と毎朝実感しています。
保育の仕事を始めた頃から、天気予報は週末ではなく平日を気にする習慣が身につきました。保育の計画を立てる上で、気温や降水確率など気候も配慮する点の一つであるため、保育者あるあるだと思います。昨今は新型コロナウイルス感染症の状況についての情報収集も加わり、私にとってあたりまえの情報収集習慣になってきました。『あたりまえ』とは一般的に当然で誰もがそうあるべきと思うことを意味するようですが、人によってあたりまえの理解の仕方は、とても多様性があるとも言われ、矛盾感に戸惑うこともあります。
先日の5歳児お泊り保育では、そんな『あたりまえ』に毎日のように言っている「いただきます」の意味について、たくさん感じる・考える経験がありました。自然の中での体験の場を求めて出かけたアクティ森では、子どもたちがアユのつかみ取り体験をしました。子どもたちは生きた魚に触れる、うまく掴めない、でも捕まえたい!!と、夢中でした。普段の虫採り遊びと同じ体験ですが、今回はその後食べる『命を頂く=いただきます』の直接的な経験へと繋がります。食べるための準備としてスタッフの方が子どもたちの目の前で、さっきまで元気に泳いで生きていたアユを捌きはじめました。内臓の処理をする中で、まだ動いている心臓を目にした子どもたち。取り出したばかりはまだ動いていたようで、釘付けになってそれを見て、言葉にならない思いを感じていることが表情から汲み取れたと、子どもの様子に注目していた職員が後から話してくれました。櫛を刺して焼かれはじめると、今度はいい匂いがしてくる…、おいしそうと思う気持ちもまた自然に湧いてくる感情です。焼きあがったアユの塩焼きを目の前にすると、おいしそう!おいしいと喜ぶ声、複雑な表情のまま食べたらおいしいと気づく子、初めての魚の丸焼き姿と顔がついていることに、怖いと浮かない表情など、様々な反応が見られました。
夜の礼拝では、この経験と重なる絵本を担任が読んでくれました。多くの言葉で語らずとも、担任の読む言葉に耳を傾け、絵を目で追い、その日の経験にも思いを馳せながら、子どもたちの真剣な表情がとても印象的でした。私たちは食べ物のおかげ(頂いたいのち)で生かされているということを言葉で教え伝えることも大切ですが、この日のように、様々な経験を通して、言葉ではうまく説明ができないけれど、当たり前に言っていた「いただきます」に込められた思いについて、子どもたちなりに気付いたことでしょう。感じる・考える=経験を通した学びの機会を、園生活の中でたくさん作っていけたらと思います。

7月末より、園内での感染症対応について続けて配信させていただいております。度重なる自粛等のお願いで、保護者の皆様には、ご迷惑をおかけしておりますが、ご理解ご協力に、感謝いたします。