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平和といのち

園長 鈴木勝子
 厳しい残暑の中にも、空を見上げると高い空にうろこ雲が浮かび園庭ではトンボが飛び交うようになり、少しずつ秋の気配が感じられるようになりました。8月は夏期特別保育のご協力ありがとうございました。おかげをもちまして、職員もこの期間にまとめて研修に参加したり厚生休暇をとることができました。この期間に限らず、お仕事等のお休みの時に家庭保育のご協力もありがとうございました。
 長いお休みをご家族で過ごすことは、子どもだけでなく保護者の皆さんにとっても心も身体もリラックスできる、癒しの時となったのではないでしょうか。
 先日は北朝鮮によるミサイル発射・通過の政府発表があり、歴史上の負の出来事が再び繰り返されるのではないか。と日本中の人が不安な思いを抱いたのではないでしょうか。園では、毎年8月の幼児礼拝の中で戦争について触れ、平和について考える時をもっています。
 とは言え、子ども達にはわかりやすく国と国とのいさかい(戦争)を身近な友達との関わりに例えてお話をしています。
 子ども達は園に通うことで親子関係中心の家庭という狭い世界から家族以外のほんの少し広い世界を経験します。そこはまだ小さな社会ですが、そこでの出来事は大人社会の縮図でもあります。時にはさっきまで仲良く遊んでいたお友達と急に喧嘩が始まってしまうことが起こります。見ていると、相手が傷つくようなことを言ったり、時には手や足が出てしまう場合もあります。子ども同士の喧嘩が始まった時、保育教諭はなぜそうしたのか、またその時どういう気持ちだったのかを聞きます。すると多くの場合「○○ちゃんが××したから」という返事が返ってきます。この「××」の部分には「先に叩いた」とか「悪口を言った」などの言葉が入ります。つまり子ども達は「叩かれたら叩き返して良い」、「悪口を言われたら言い返して良い」と考えているのです。子ども達は何故このような考え方をするのでしょうか。それは、私たち大人が無意識的にこのような発想を持っているからではないでしょうか。
 それに対して『互いに愛し合いなさい』という当園の聖句は、相手の「痛み」を互いに受け止める。簡単に言うと、相手の立場に立つことができるかどうか。ということだと考えます。夫婦や親子、家族の間だけでなく、人々が互いに愛情を持って関わり合うことができたら、争いごとは起こらず、起こってもすぐに解決することができるのではないでしょうか。子どもの小さな社会から身近な平和について考えてみました。今、大人の世界でも平和とは何かが問われているように思います。

 先日、4歳クラスの男児が「先生見て!」と得意気にトンボを手に見せてくれました。「すごいね!どうやって捕まえたの?」「学童さんが捕まえてくれた!」と嬉しそうに教えてくれました。「虫かごに入れてあげなきゃね!」と言うと「ううん!逃がしてあげるからいい!」との返事が返ってきました。せっかく捕まえてもらったのに?と思っていると、「だって、エサないと弱っちゃうもん」との事でした。
 子ども達は、この夏もザリガニから始まりセミやカブトムシなど小さな生き物にたくさん触れ、図鑑を広げて、「エサは何かな?」「どうやって飼うのかな?」と真剣に考え話し合い、でも死んでしまって土に返すという経験を繰り返していました。生き物は一度死んでしまったらバーチャル世界のように再び生き返ることはない。ということを小さな生き物の命を犠牲にして学びました。そして「逃がしてあげるからいい!」という言葉になったのだと思います。命の大切さを知ることで平和についてより深く考えることに繋がりますね。
 この夏も子ども達は様々な経験を通して考え学び、心も体もたくましく成長しました。