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被災地を訪れて

園長 鈴木勝子
 2017年のカレンダーも残すところ1枚となりました。保護者の皆さまにとってこの一年はどんな年だったでしょうか。
 つい先日宮城県岩沼市の視察研修に参加して参りました。岩沼市は平成23年3月11日の東日本大震災により甚大な被害に遭った地域です。市全体の面積のなんと48%が津波による浸水被害に遭い181名の方が命を落とされたそうです。震災から6年の月日が経って復興はかなり進んでいましたが、実際に被災された方々のお話からはとても大変な6年であったと今更ながら思い知ることができました。
 震災当時の岩沼市立東保育所に勤務されていた職員の方々から被災された時の様子や避難の様子、その後の防災体制や非常時に備えての訓練、非常持ち出し品、防災用品等々の具体的な話をお聞きすることができました。
岩沼市立東保育所は海岸線から約1.5㎞の所にあり園舎は築40年の木造で小学校、児童館と隣接していたそうです。地震発生時pm2:46保育所では午睡後間もない時間帯で小さいクラスの子どもはまだパジャマの子もいたそうです。3日くらい前に地震の避難訓練をしたばかりで大きな揺れを感じると年齢の大きな子はすぐに机の下に入り小さな子は職員が部屋の中央に集め毛布や布団で身を守る。長い揺れがあり、収まるのを待ち子どもたちを誘導して第一避難場所の園庭に避難。パジャマの子を急いで着替えさせジャンバーを着せて散布カーに乗せ、園庭に出てクラスごとに人数確認をする。他の職員は非常持ち出し品を運ぶ、おやつや食料を持つ職員、おむつや着替えを持つ職員と訓練時の役割をしっかりと確認して連携して行動したそうです。園庭で避難している間に次々と保護者への引き渡しを行いその都度人数把握をしっかりと行い、第二避難場所の小学校の体育館に向かう。pm3:30頃には102名いた子どもが40名に減り体育館でおやつのおにぎりを食べていると“津波が迫っている。体育館では危ない”と情報があり小学校の3階の1室に避難したそうです。体育館は地域の人でいっぱいでしたが子どもたちに帽子を裏に被らせ黄色の帽子を目印にして「こっちだよ!」と大きな声をかけながら離れないように誘導しスムーズに移動したそうです。その後間もなく校庭に土煙立てながら津波が迫って来たそうです。保育所と児童館の子ども達に教室の1室を借りてその日は23名の子どもたちが保育士と一晩過ごしたそうです。その間も余震が何度もありましたが保育士は子どもたちが不安にならないよう、手遊びや歌を歌って気を紛らせたり、小さな子がぐずると抱っこやおんぶでなだめたりしながら時間を過ごし、非常食の乾パンや水を分けあいながら食べたそうです。電気もなく、眠るときはかなり冷え込んだので数人のグループでかたまり、その周りを保育士が囲い温め、子どもたちは疲れもあり人肌のぬくもりで寝むり始めたそうです。小学校の教頭先生が保健室の布団や毛布等用意してくださったり余震の中、ローソクが倒れないように一晩中手で持っていてくれたお父さんもいらっしゃったそうです。翌朝8:30頃から残った子たちの保護者が必死の思いでお迎えに来られたそうです。こうして一晩共に避難した子どもさんを全員、無事に保護者に引き渡すことが出来たそうですが、3月11日たまたま耳鼻科に受診するために園を早退した兄弟が地震後に自宅に帰り、津波にのみ込まれて亡くなったそうです。その後園が再開できるまでにはかなり時間を要したようです。また、子ども達のおねしょや夜泣き等心のケアが必要となり、職員も専門の研修を受けたそうです。静岡県西部地域は大きな地震の想定が何年も前から言われ続けています。幼い子ども達の命を預かる立場の人間として、とても他人ごとではありません。日ごろから備えと職員・子どもの防災意識や地域や小学校との連携の重要性を改めて感じました。
 そして、岩沼市と地域住民が力を合わせて話し合いや協議を重ね、復興に向けてコミュニティを維持しつつ新たなまちづくりを進められて復興住宅や多重防御として新たな海岸防潮堤やかさ上げ道路、避難道路等の整備の様子を視察してきました。また、海岸沿いの地域は地盤の沈下により震災後は宅地禁止区域となった地域をメモリアルパークとして避難の丘を作り、防災教育の場とするための追悼の碑や津波の高さに合わせて作ったモニュメント、樹木が生長して防御林となるよう植樹を行ったりと「歴史的な遺産として千年先まで人々のいのちを守る」との願いを込めて造成工事が進められている“千年希望の丘”の視察もしてきました。大きな災害を経て必死で立ち向かい、後世にも伝えようとしている人たちのお話を聞いて、心から「この出来事を決して無駄にはできない。私たちにも何かお手伝いできる事はないだろうか」と思いました。子ども達、職員とも見聴きしてきたことを共有しクリスマスの献金に繋げていきたいと思います。