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視線の共有

園長 平野春江
 寒い中にも春の足音が聞こえてくるような日和の中、子ども達は戸外で元気に体を動かして遊ぶ姿が見られております。さて、先日、人類学者であり総合研究大学院学長・教授であられます長谷川眞理子氏の講演を聴く機会がございました。大変興味深い内容でしたので、すぐに同氏著書の『世界は美しくて不思議に満ちている「共感」から考えるヒトの進化』を購入し拝読致しました。子育てに関連する大切なことが書かれておりましたのでご紹介します。
 動物のコミュニケーションのほとんどは発信者の状態を表す信号であり、受け手がそれに応じて適切な行動をとることで成り立っている。しかし、ヒトの言語コミュニケーションは発信者の心的状態であれ、発信者の世界についての認識であれ、信号(情報)そのものだけではなく、信号を発しているものと受信しているものとが、心的表象を共有しようとしているのである。例えば、赤ちゃんとお母さんが一緒に散歩していて、犬に出会ったとしよう。赤ちゃんは、犬を指さして「わんわん」と言う。そしてお母さんの目を見る。お母さんは、赤ちゃんの目を見て、指さしの方向を見て、「そうね、わんわんね」と言う。それに答えて、赤ちゃんがまた「わんわん」と言う。このきわめて単純なコミュニケーションの中には、ヒトの言語コミュニケーションの真髄が凝縮されている。このコミュニケーションが行われるには、赤ちゃんと母親との間に、三項関係の理解と呼ばれるものが成り立っていなければならない。つまり、「赤ちゃん」が「犬」を見る、「お母さん」も「犬」を見る、そしてお互いの視線を共有することで、双方が「赤ちゃん」「お母さん」「犬」の三項の関係を理解しているのである。このコミュニケーションを論理的に書けば、「私は、あなたが犬を見ていることを知っている、ということをあなたは知っている、ということを私は知っている」となる。こうして、世界に関する認識を共有してうなづくことは、誰にとっても心地よいことであり、ヒトは、赤ん坊のころからそれを欲するのである。
 先日、ひよこ組(0歳児)の子ども達が大好きな絵本を保育教諭にいつものように読んでもらっていました。私も子どもの横に座って一緒に聴いていると、途中電車が出てくる場面になりました。するとAちゃんが嬉しそうに「がたんごとんがたんごとん」と言って私の目を見ました。私もそれに応じ『がたんごとんがたんごとんだね』というように笑顔でうなづきました。Aちゃんは、それに答えてまた「がたんごとんがたんごとん」と言って楽しみました。お互いに心地よい時間を共有しました。この言語コミュニケーションは、乳児だけに限らず、子どもも大人も同様です。特に子どもは、身近な安心できる大人に必ず共有を求めます。『そうだよね』『だいじょうぶだよね』・・・と振り返って目を見ます。その時に目を合わせて応じてあげることでコミュニケーションが図られ、その毎日の積み重ねにより豊かな「こころ」が育まれてまいります。ご家庭において家事をしながらお子様の発信の全てに応じることは難しいこともあることでしょう。それに加えて現代社会は、ネットやスマホの普及により、時には、お子様の発信に気付かずに画面を見入っているなんてこともあるかもしれません。子どもの発信に気付くことのできる感度を持ち合わせていたいですね。3月には、乳児の親子を対象にした『わくわくフェスタ』を計画しております。日頃、園で楽しんでいる遊びのコーナーを設けて親子で楽しんでいただきます。是非、お子様からの『嬉しい』『楽しい』の発信に温かなまなざしで応答し、共有をして頂き心地よい時間をお過ごし下さい。皆様のご参加をお待ち致しております。