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子どもの姿から考える

園長 平野春江
夏至の候、日の出から日没まで長くなるこの時期は、降園の様子を拝見しておりますと、いつもよりも親子でゆったりと会話を楽しんだり、絵本コーナーで1~2冊絵本を読んでから、家路へと向かう姿も見られます。
 さて、今月は、幼児の子ども達の礼拝の様子と、そこに集う子ども達の姿と保育教諭の関わりについてお伝えします。幼児(3,4,5歳児)になると、週の始まりの月曜日に礼拝をまもります。お話は、日本基督教団 中遠教会の牧師 兵藤辰也先生や園長、主幹保育教諭が行います。クラス礼拝や行事等の時には、保育教諭がお話をすることもあります。今は(7月現在)4歳児(ぱんだ組)と5歳児(きりん組)が合同礼拝を行い、3歳児(ひつじ組)は、クラス礼拝を行っております。3歳児は、子どもの育ちを見ながら、今後、合同礼拝に参加してまいります。礼拝をするということは、そこにおいて神様と出会うということです。礼拝の中で、神様が子ども達やそこに集う者たちへ語りかけて下さいます。皆で聖句を唱え、お話を聴き、讃美歌を一緒に歌い、お祈りをする中で、子どもは目には見えない神様の存在を身近に感じ、安心を覚えていきます。お話は、聖書の物語や身近な事柄を題材にする時もあります。キリスト教の精神を基本理念としているこども園では、この礼拝を大切な時と捉えております。そして、子ども達が礼拝に参列する喜びを感じられることを何よりも大事にしております。礼拝の始めには心を整えて神様と向き合うために「目を閉じてピアノの綺麗な音を聴きましょう」と司会の保育教諭が呼びかけるところから始まります。その呼びかけに実際に目を閉じてピアノの音色に耳を傾ける子どもの姿があります。しかし、そこに集う全ての子ども達がお心を静かにできるわけではありません。今を生きている子ども達は、その時々で様々な感情が心の内にあり、安定して礼拝に向かうことができる時もあれば、気持ちが落ちつかずに、座っている時にも体が動いてしまったり、お話をしてしまったり、時には離席してしまうこともあります。そのような子どもの内なる感情の表れを保育教諭は、専門の目で捉えます。一般的に考えますと、お話を聴くときには、姿勢を正し、目を見て静かにすることが望ましい姿です。しかし、先にも述べましたように、子どもの様々な感情の表れとして起きている行動であるため、目に見える子どもの姿(行動)のみを捉えて判断し、望ましい姿に導いていくことだけでは、その場を整えたとしても本当の意味での解決にはなりません。保育教諭は、1日の終わりに、その日の教育・保育の振り返りを個人または、仲間と共に行いますが、その際に『今日の礼拝の時にA君は、どうしていつもよりも落ち着かなかったのだろう』と子どもの心もちを考えます。子どもの行動には、必ず何かしらの理由があります。そこを考えていきます。礼拝の前にお友達と何かあったかな…その日の朝に、ご家族の方と何かあったかな…会場の温度が暑かったかな…等考えられる要因を探ります。時には、お子様の姿を保護者の方にも共有し、家庭での様子等の情報を頂くこともございます。とても時間を要することですが、これらの振り返りを通して一人ひとりの子ども達の理解へと繋げております。
 子ども一人ひとりの成長には、その子にふさわしい時があり、生活環境によって、退行したり、とまどったり、急に変化したり、さまざまな様相の中で成長の筋道をたどってまいります。私たち保育教諭は、保護者の皆様と共に、お子様一人ひとりの内に秘めている能力や資質を、その子にふさわしい時に引き出していけるように今後も、心を籠めて教育・保育を行ってまいります。
~聖隷こども園こうのとり豊田 教育・保育理念より~
一人ひとりの違いに気付き、お互いを認め合いながら共に主体的に生活する。