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2023年度

3月

「   心の育ちを大切に   」

 園庭の河津桜が満開になり、春の訪れを感じます。本当に鮮やかなピンク色がきれいで、それを見る大人も子どもたちも心がほっとしているのが分かります。早いもので今年度も終わろうとしています。この一年でコロナウイルスの感染症としての位置づけが変わり、園での子どもたちの過ごし方も変化の大きかった年だったと思います。子どもたちの育ちに何が大切なのか、それをどのように援助し、支えていくことができるのか…改めて様々なことを考える大事な時でもありました。至らないことが多く、保護者の皆様にはご心配をおかけすることも多かったと思いますが、温かな言葉をかけていただいたり、園運営につきましては多大なるご理解とご協力をいただきましたことに感謝申し上げます。引き続き、子どもたちはもとより、保護者の皆様にも安心して過ごしていただくことのできる園であるために、職員一同尽力していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 さて先日、年長児のお別れ遠足に一緒に連れて行ってもらいました。日頃、なかなか子どもたちとじっくり一緒に過ごすことのない私にとって、とてもとても楽しく幸せな日となりました。あいにく朝から雨降りで、園からバスまでは各自傘をさして歩きましたが、ちょうど交通安全教室で傘をさして歩く練習をしたばかりでしたので、良いタイミングで実践ができました。どの子も良い経験ができたと思います。園内にいると一番大きい年長児ですので、子どもたちに対してついつい「もう大丈夫だよね」「できるもんね」と背中を押すような気持になることが多くなっています。でも、今回のようにじっくりゆっくり一人ひとりと関わると、甘えたい気持ちをちゃんと出してくれることにも気づきました。いつも頑張っているんだよね…と本当に愛おしく感じました。頑張ったり、「あなたなら大丈夫だよ」と励まされたり、背中を押してもらうこともとても大事です。でも、いつもいつもそればかりではダメなんですよね。年明けのタイミングから、年長児の保護者の皆様と「卒園面談」をさせていただいています。短時間ですが、この一年の振り返りや、園での様子、ご家庭での様子、就学に向けてのこと等を共有させていただく大事な時間になっています。その中でもやはり、子どもたちの園での姿と家庭での姿の違いに「やっぱり園では頑張っているんですね」と言われる保護者の方が多いです。どこにいても同じように過ごせたら理想的かもしれませんが、子どもたちなりにわきまえていることがよく分かります。大人も子どももそれは同じですね。私たちは、自分はどんな自分であっても大切にされ、ありのままを愛される存在であることが、目には見えない心の中で大きく育ってほしいといつも願っています。そしてそんな思いで小さな命と大切に関わらせていただきたいと思っています。お互いに心が通い合わずにもやもやすることもあります。でも、様々な関わりの中で長い時間をかけて、小さな子どもたちも周りの大人に心を開き、周りの人たちは信頼できる人たちであると実感できる時が来ると思うのです。「周りの人たちを信じて大丈夫」「困ったときにはきっと誰かが助けてくれる」「自分は一人ではない」と思ってこれからも安心して成長していってほしいと思います。そのためには、まず身近な大人がそのモデルになる必要がありますね。悪かったなと思ったときは「ごめんなさい」が言えたり、子どもに求めることをまず自分ができているかな?自分のことも見つめ直しながら子どもたちと共に成長していける大人でありたいと思います。
 最後に、先日小学校の先生と話す機会がありました。その学校の先生は四月にも同じことをおっしゃっていました。「ひかりの子から来る子どもたちは、みんな優しいですね。」と。何か目に見えることが「できる」とか「できない」ということではなく、目に見えない心の育ちがやはり大切なのだと感じます。一人ひとりの違いを認め合い、自分の素敵なところ、友だちの素敵なところをたくさん見つけあえるような集団でありたいと思います。この三月で40名の年長児がそれぞれの小学校に巣立っていきます。いつでも「ただいま」と笑顔で戻ってきて「おかえり」と迎えられる園でありたいと思います。

園長 岡田 絵里子

2月

「子どもたちから学ぶこと」

 早いもので今年度も二カ月を残すのみとなりました。先月から、年長児の卒園面談が行われています。これは、子どもたち一人ひとりの今までの育ちを振り返り、もし今もう少し後押ししてあげることでもっと自信を持って新しい生活を迎えられるということがあるのなら、それを園とご家庭で共有していくための大切な時間だと考えています。本当に短い時間ではありますが、「その子」のことだけを考えたり、振り返る時間はとても大事だと思っています。保護者の皆様の子どもたちへの思いも感じられ、生まれてから今までとても大切に育てられてきたことを思います。それと同時に、そんな大切な一人ひとりのお子さんを私たちがお預かりする責任も感じます。ある保護者の方が、「私としてはこうしたらいいのに…と思うことはあるけれど、この子はこの子として人格があって、もう出来上がっている部分もあるんですよね。」とおっしゃっていました。本当にその通りだと思いました。小さい子どもたちは「今」初めての経験をしながら自分で感じて覚えて学んでいます。大人の私たちは、その子どもたちがしようとしていることをすでに経験済みだったりするので「結果」については想像できることが多いかもしれません。でも「感じ方」は違うかもしれません。生まれたその時からそれぞれに人格があり、それが大事にされるべきだということを短時間の保護者の方との話から改めて感じました。
 先日、玄関のドアの不具合で業者の方が見に来て下さっていた時、工具を使って部品を外していました。ちょうどその時間にお迎えがあった子は玄関でお母さんを待ちながら、じっとその様子を見ていました。つい、「危ないからもっとこっちで絵本見て待ってる?」と声をかけてしまった私。その子は部品を外す様子を見ながら「見てる」と一言。大人(私)の都合で「危ないかもしれない」と思い、声をかけたことを反省しました。いつもの玄関のドアのいつもは見えていない部分が外されている…それを見られるタイミングはなかなかありません。子どもにとっては興味津々、何が起こるの?と目が離せない状況であっても不思議はないのです。本当に日常の些細な瞬間でどれだけ大人の都合で声をかけていることが多いか改めて考えさせられました。子どもの思いを理解することは言葉でいうほど簡単なことではなく、その時の自分の気持ちの在り方にも左右されるものだと思います。ただ、子どもの姿に学ぶことは確かに多く、子どもってすごい!と思わされることがたくさんありますね。
 この保護者の方との面談を通して、思い出したことがあります。4月当初、ひかりに子に来て間もない時に、年長児の女の子数人がすぐに私の名前を覚えてくれました。そして毎朝「おはよう」と声をかけてくれ、「大好き」と言ってくれていたのです。私がどんな人か分からないけれど、「新しい園長先生」と認識してくれていた子たちは、こうやって自ら距離を縮めてくれていたのです。それが当時の私にとってどれだけ安心できてホッとできることであったか…今思い返しても胸がいっぱいになります。今、卒園を間近に控えた子どもたちは、期待と不安の中にいます。仲良しのお友だちと同じ学校ではない子、ひかりの子からは一人でその学校に行く子など様々です。子どもと同じように保護者の方も不安を抱えることの多いこの時期ですが、子どもたちは自分で周りと関わる力を身に着けていると思うのです。関わり方やそこに至るまでにかかる時間はそれぞれで、そこを一緒に考えたり応援したりしなくてはいけませんが、それでもこども園で過ごした中で、いつのまにか相手が安心できること、喜ぶことを自分の経験の中から学んでいるのだと思います。子どもは、大人のように言葉で多くのことは語らないけれど、小さな心で受け止めて、考えて行動で示してくれる存在なのだと感じました。

1月

 「 新年あけましておめでとうございます 」                    
 
 新年あけましておめでとうございます。冬季特別保育のご協力をいただきありがとうございます。新しい年の幕開けですね。今年はどんな年になるでしょうか…楽しみに過ごしたいと思います。
 さて、先月は幼児クラス、乳児クラスそれぞれにクリスマスをお祝いいたしました。特に年中児と年長児のクラスではページェント(生誕劇)を通して保護者の皆様にもクリスマスの出来事をお伝えしました。役決めまでの様子は先月のおたよりでもお知らせしましたが、当日を迎えるまでも様々な子どもたちの姿がありました。細かい動作、せりふを覚えることはとても大変だったと思います。自分のことだけでなく、周りの様子や全体の様子を理解し、よく見ていないと自分がせりふを言ったり動くことができません。「〇〇ちゃんが●●って言ったら自分の番」とよく見て、考えていた子どもたち。台本通りにせりふを覚えて言う子、自分なりにアレンジして(本人はアレンジしているつもりはないかもしれませんが)、気持ちを込めてその場面にあったせりふを言う子と様々でした。その時々で出てくる言葉が微妙に違う子もいましたが、その場面にちゃんとあっていました。そんなことも含めて、一回ずつのページェントがどれも一生懸命で素敵なのです。すべて「台本通り」ではなく、子どもたちが自分で考えて行動しているのです。本当にそれがとても大事で、生きていく力につながっていきます。子どもたちがページェントに取り組む姿勢から、改めて大事なことを教えられた思いです。形にとらわれてしまうのはきっと大人の私たちなのだと感じます。子どもたちは自由で柔軟に物事を考えることが得意なのだと思いますが、一方でやはりそれが苦手な子もいることも気にしておかなくてはいけないと思います。一人ひとりの得意・不得意を理解していく必要がありますね。子どもたちは(大人も同じですが)やはり、否定されるのではなく、十分に認められることで伸び伸びと育っていきます。
 先日、静岡市で行われた施設長研修で『「叱る依存」の理解と対応』という講演を聞く機会がありました。講師は臨床心理士であり、公認心理士である村中直人氏です。そもそも人間には「処罰感情の充足」というものが存在し、悪いことをした人に罰を与えることで快感や充足感を得ている、ということでした。ドーパミンが出るため、やめたくてもやめられない、叱らずにはいられないということが起こるようです。「叱る」ことで、相手が何らかの行動を起こし、自分のすることは影響力がある、自分のすることで何か良いことが起こる(例えば、やめてほしい行動を子どもがやめる等)ことで自己効力感を得ているのだそうです。「自己効力感」は必要なものですが、違う形で得たいものですね。この公演を聞いて、自分自身のことも不安に感じました。私はどうだろう?そもそも「怒る」と「叱る」は違うと捉えていました。「怒る」には自分の感情が入り感情的になってしまうこと、「叱る」は冷静に言い聞かせること…と自分の中で分けていたつもりでしたが、どちらも言われた側にはネガティブな感情しか与えないと聞きました。なるほど、確かにどちらもネガティブですよね。今まで敢えて自分の中で使い分けていた「怒る」と「叱る」は結局子どもたちにとって何ら変わらずネガティブな感情しか与えていなかったことになるのだと気づきました。叱られることからは何も学ばない、とおっしゃられていたことも印象的でした。とは言え、叱ってはいけないと言っているのでもありませんでした。自分が「叱る」依存になっていないかに気付き、誰のための、何のために、何を伝えたいのかを振り返ることができたらいいのだと思います。
 子どもたちとの関りを通して、私たち大人が成長させてもらうことはとても多いものです。今年も、みんなが笑顔で過ごせることを願います。今年もよろしくお願いいたします。

園長 岡田 絵里子

12月

「   うれしいクリスマス   」                        
                                      
 今年もうれしいクリスマスを迎える季節になりました。実は、6月ごろから子どもたちの歌声の中にクリスマスの歌、特にページェント(生誕劇)の中の歌があったのです。異動してきて数か月の私にとって、園庭から聞えてくるクリスマスの歌はとても心が温まり、支えられている気持ちでした。いつでも神さまの存在が身近にあり、そして季節を問わず楽しみなクリスマスであることを実感していました。そして、季節にとらわれていたのは私だな~と思っていたことを今また思い出しました。
 年中児と年長児はイエス様がお生まれになったクリスマスのお話をみんなに伝えたいと、この生誕劇を自分たちで行うことを楽しみにしています。昨年までの経験がありますので「〇〇の役をしたい!」とそれぞれの思いがあります。でもほかの子の思いもあり、時には気持ちがぶつかることも。どの役も大切で、なくてはならない存在です。それは分かっているけれど、自分の思いも通したい。それぞれに葛藤を抱えながらもみんなで作り上げていく生誕劇です。ごっこ遊びを通して色々な役を経験しますので、クリスマス祝会当日がすべてではなく、子どもたちがクリスマスを迎えるまでの大事な過程として見守っていただき、一緒にお祝いしていただけたらありがたいです。また、0歳児クラスから3歳児クラスまでのクラスでも、すべての子どもたちがクリスマスを楽しみにしながらアドベント期間を過ごしていきます。園内にも立派なもみの木が置かれています。少しずつ飾りつけされていきますので、保護者の皆様にも近づいてくるクリスマスを共に楽しみにしていただきたいと思います。
 先日、ほし組の前の絵本コーナーを通りかかった時のことです。数名の男の子たちがいたので声をかけました。すると一人の子が「虫がいるんだよ」と言います。見ると、確かに虫がいてすでに死んでしまっていました。「あ、本当だ、ティッシュ持ってくるね」と何気なく言ったのですが、「本当にさ、この虫かわいそうなんだよ、死んじゃったんだよね…」とつぶやきながらじーっと見ています。何気なくティッシュを持ちにいき、さっと片付けようとしていた私ははっとさせられました。小さな命に思いを向けて、じっと見つめ、何かを感じている姿に大切なことを教えられた気持ちになりました。「そうだよね、かわいそうだね。」と少しだけ一緒に見ながら、どうしようかな?と私も考えました。「このままだと踏まれちゃうかもしれないね、どうしようか?」と声をかけながら、最終的には一緒にそっとティッシュにくるみ、私が預かりました。子どもたちは、大人の私たちが見過ごしてしまうような小さな物や出来事に注目していることがよくあります。そこにどのような感情があり、何を思っているか分かりにくいこともありますが、でも言葉に表せない何かを感じていることは確かです。今回、最後までその子と一緒に虫をどうするか考えられたら良かったなと心残りもありましたが、やさしい気持ちに触れられたことがとてもうれしい日となりました。
 このような子どもたちの純粋で真っすぐなやさしい気持ちを大切にしながら、イエス様がお生まれになったうれしいクリスマスを迎えたいと思います。

園長 岡田 絵里子

11月

「 考えてやってみること 」

 園周辺の田んぼの稲刈りも終わり、秋本番です。私自身、こんなに間近で稲刈りの様子を見たことはなかったので、子どもたちと一緒に夢中でその様子を見学させてもらいました。ひかりの子で育つ子どもたちにとっては毎年の秋の風景である稲刈りですが、自然の恵み、季節の移り変わり、そしてそこでお仕事される方々に改めて感謝する時を大切にしたいと感じました。 
 さて今年度も半分が過ぎました。子どもたち一人ひとり、身体も大きくたくましくなり、できるようになったことも目に見えて実感することがあるのではないでしょうか。それと同時に、目には見えにくい「心」の成長も確実にしている子どもたちです。先日、1歳前後の子が3人芝生に座り松ぼっくりを掌に載せている写真を見ながら、職員で勉強会をしました。私だったら、その姿を微笑ましく思いながら、きっと「松ぼっくりだね。どうぞってするの?」や「松ぼっくりどうぞ、だって」とすぐに声をかけてしまうだろうと思いました。そんな風に思ったのは私だけではなかったのですが、本当に「どうぞってしたいのかな?」という声も。私たちはその瞬間の切り取った場面だけを見て、子どもの気持ちを決めつけていることが多いことにも気づかさせられます。すぐに声をかけてしまいがちな私たちですが、それは子どもにとってどう感じるものなのか?勝手な決めつけになっていないだろうか…という振り返りにもなりました。そんなことを感じながら、改めて子どもたちの姿をゆっくり見てみると、本当に面白いなと感じますし、こんなに小さくてもちゃんと考えてるんだよね、と感心させられることがいっぱいです。
 外で遊ぶことが増え、玄関から靴を履いて外に出る0歳、1歳の子たち。かわいらしい声が聞こえてくるので私もお手伝いをさせてもらうことがあります。ある日、こりす組の子たちが外から帰ってきました。どんどん自分で靴を脱いで階段の下でスタンバイする子、玄関に座り込んで脱がせてほしいとアピールする子、自分のことよりお友だちのお手伝いをする子、様々です。Aくんは遊び疲れて戻ってきて、私に助けを求めてくれたので靴を脱がせるお手伝いをしたあと、「靴箱はどこかな?どこにしまう?」と聞くと自分で靴を持っていきました。ちゃんと分かっています。ところが、自分の場所に他の子の靴が入っていたのです。困っている様子だったのですが何か考えているようだったのでそのまま見守ってみました。右隣の靴箱は空いていましたが適当にそこに入れるのではなく、「自分の」所に入れるために、間違って入っていた靴をぎゅうぎゅう押し込んで、なんとか自分の靴も所定の所に入れていました。「できた!」と言わんばかりの笑顔に私もつられて笑顔。間違って入っていた靴を出すというところまではいきませんでしたが、それは1歳児の成長過程。自分の物を決められた場所に戻すことが分かっているだけで素晴らしいと思いました。ぎゅうぎゅうと押し込まれた靴はその後私が元に戻しましたが、戻そうと思った靴箱にさらに違う子の靴が入っていました。きっと、そこでも子ども自身が考えて、空いている所に靴を入れた結果だったんだなと1歳児ならではの出来事を微笑ましく感じました。
 こうして、本当に些細な場面での気づきはたくさんあるものです。日々の生活の中で見逃してしまうにはもったいない子どもたちの成長の瞬間がたくさんあることを意識していきたいと思います。
 今月は収穫感謝祭があります。間近で稲刈りを見た子どもたちですので、きっと感じることがあることと思います。各ご家庭からもお気持ちで結構ですので身近な果物や野菜を持ってきていただけたらと思います。それらを囲んで収穫感謝の礼拝をおこなう予定です。そして、だんだんとクリスマスにも思いを向けて過ごしていきたいと思っています。

園長 岡田 絵里子

10月

「子どもたちの心持ちを考える 」

 ようやく朝夕には涼しい風が吹くようになりましたね。今年の夏は暑すぎて元気がなかった事務所前の朝顔が、今になってきれいに咲いています。季節外れの朝顔ですが、こうやって一生懸命花を咲かせてくれていると思うと心が癒されます。
 今年度も半分が過ぎました。年度の後半も、子どもたちの成長を信じ、応援しながら一人ひとりに合った関わりをしていきたいと思います。
先月の防災訓練では保護者の皆様にも引き渡し訓練のご協力をいただきありがとうございました。地震だけでなく最近は水害も心配されます。子どもたちの命を守ることができるように、誰もが安全に過ごせるような環境を整えていきたいと思います。子どもたちと行った防災訓練では、ホールに非常用品を出して、子どもたちと見て、触って過ごしました。乳児クラスの子どもたちも見学にきて、幼児クラスのお兄さん、お姉さんたちの様子をじっと見ていました。そして、実際に簡易トイレに座ってみる子も…
いくらトイレだと言われても初めて見る簡易トイレ。最初は「座ってみる?」の声にも表情は硬く、首を振ります。でも実際に担任が座ってみせると、表情が和らいで「座ってみる!」と座っていました。ひょいっと子どもを抱き上げて大人が座らせることはできるかもしれませんが、子どもの「やってみてもいいかな」「大丈夫そう、やってみよう」の気持ちを確認することがとても大事だと改めて思います。
 このような場面は日常の中にたくさんあるものです。でも、私たちは無意識に子どもを動かしてしまうことがあるのではないでしょうか。自分の目の前の子どもたちはこの瞬間なにを考えているのか?どうしたいと思っているのか?そんな視点で私たちが立ち止まって子どもの気持ちを考えられるように…
のねらいで、様々な子どもの様子の写真を使って職員同士で話し合う時間を持っています。保育雑誌等の写真を使うことが多いので、その子の性格や状況が全く分からない中でその子は何をしたいのか?何を考えているのだろうか?とみんなで出し合っています。その前後の様子も環境も全く分からない状況で考える難しさはありますが、写真に写っている背景も含めてその状況を想像し、子どもの気持ちも想像します。そこで出し合うことに正解はなく、ただ様々な子どもの気持ちを考えてみることになりますが、それをやってみることで私たちがいかに思い込みで普段子どもたちと関わっていることが多いかということにも気づきます。
 ある冊子に次のような一文があります。『大人の善悪の判断をすぐに持ち込まない』と。私たちは何かの場面を見かけた瞬間に子どもに声をかけていることが多々あります。そしてそれはどちらかというと否定的な言葉が多いように思うのです。「危ないからやめて」「だめだよ」等々。本当に危険なことは瞬間的に止めなくてはいけません。ただ、「その子」を否定するのではなく「その行為」を注意し何がいけないかを教えてあげる必要があります。やめてほしいことを伝えるよりも、してほしいことを言葉で伝えるほうがずっと子どもに届きやすいものです。子どもにしてほしいことを伝え、その姿が見られるときにたくさん褒めてあげたいですね。子どものマイナス面ばかり見るのではなく、良いところをいっぱい見つけ、そのことを言葉にして伝えてもらったら、きっと自信をつけていくでしょう。大人も一緒ですね。大人はたくさんのことを経験してきていますので、子どもがしようとしていることが想像できたり、その先に起こりそうなことも予想がつきます。でも、子どもは初めてのことが多く、自分で経験して一つひとつを学んでいきます。もし思ったような結果ではなかったら、きっと子ども自身がもう一度考えてやってみることでしょう。あきらめずにもう一回チャレンジできる気持ちを支えてあげるのが私たちの役割だと思います。「この子は今、何を思っているのかな?」「何をしようとしているのかな?」の気持ちで、子どもの気づき、育ちを信じて待ちたいと思います。

園長 岡田 絵里子

9月

「 日 常 の 生 活 の 中 で 育 つ こ と 」

  今 年 の 夏 は 例 年 以 上 の 暑 さ で 、 ニ ュ ー ス で も こ の 暑 さ の 話 題 が 多 か っ た よ う に 思 い ま す 。 日 の 入 り が 早 く な り 朝 夕 は 少 し 秋 の 風 を 感 じ る こ と も あ り ま す が 、 油 断 せ ず 引 き 続 き 熱 中 症 対 策 を し て い き た い と 思 い ま す 。 ま た 先 月 は 夏 季 特 別 保 育 に ご 協 力 い た だ き あ り が と う ご ざ い ま し た 。 台 風 の 影 響 も 心 配 さ れ ま し た が 、 大 き な 被 害 が な く ほ っ と し な が ら も 、 被 災 さ れ た 方 た ち が い る こ と も 忘 れ ず に 過 ご し た い と 思 い ま す 。 夏 休 み の 期 間 中 、 小 学 生 の 学 童 保 育 の 利 用 が あ り ま し た 。 ひ か り の 子 の 卒 園 児 が あ ち こ ち の 小 学 校 か ら 来 て い ま す が 、 久 し ぶ り に 会 う 職 員 や 友 だ ち に 見 せ て く れ る 笑 顔 が な ん と も 言 え ず 心 温 ま る も の で し た 。 小 さ い 子 た ち の お 部 屋 に 手 伝 い に 行 き た い と 申 し 出 て く れ た り 、 合 同 礼 拝 の 時 は ホ ー ル を 譲 っ て く れ た り と 、 自 分 た ち が 過 ご し た 園 だ か ら こ そ 気 づ く こ と や 分 か る こ と が あ る ん だ と う れ し く 思 い ま し た 。 合 同 礼 拝 の あ る 日 、 私 が ピ ア ノ で 讃 美 歌 を 弾 い て い ま し た 。 小 学 生 の 子 た ち が 足 を 止 め て 「 う み で お よ ぐ 」 の 讃 美 歌 を 口 ず さ み 、 ま た 前 奏 曲 を 聴 い て 「 あ 、 こ れ 礼 拝 の 時 に 聴 い た こ と が あ る 」 と 言 っ て い ま し た 。 小 学 校 で は 聖 書 や 讃 美 歌 に 触 れ る 機 会 が ほ と ん ど な く な っ て し ま う 子 が 多 い と 思 い ま す が 、 子 ど も た ち は 幼 少 期 の こ と を 全 身 の ど こ か で 記 憶 し て い て く れ る の だ と 実 感 し ま し た 。 日 常 的 に 聴 く 曲 、 歌 は も ち ろ ん で す が 、 私 た ち の 言 葉 や 表 情 、 態 度 は 常 に 意 識 せ ず と も 子 ど も た ち に 発 信 し て い ま す 。 そ れ が 子 ど も た ち へ ど の よ う な 影 響 を 与 え て い く の だ ろ う か と 専 門 性 を も っ て 意 識 し て い か な く て は い け な い と 思 っ て い ま す 。 先 日 、 牧 師 先 生 が 合 同 礼 拝 の お 話 に 来 て く れ た 時 の こ と で す 。『 ノ ア の 箱 舟 』 の お 話 で し た 。 神 様 が す べ て の 物 を 造 っ て く だ さ っ た こ と を 改 め て 聞 き な が ら 、 子 ど も た ち か ら た く さ ん の 動 物 の 名 前 が 出 て き て 、 喜 ん で 聖 書 の お 話 を 聞 い て い る 姿 が あ り ま し た 。 最 後 、 礼 拝 が 終 わ っ て 退 場 す る と き に 、 一 人 の 女 の 子 が パ ッ と 先 生 の 方 を 振 り 返 っ て 「 あ り が と う 」 と 言 っ た の で す 。 場 所 が 離 れ て い た こ と も あ り ま す が 、 先 生 ご 自 身 に は 届 か な い く ら い の 声 で し た 。 そ の 日 は 私 が た ま た ま 近 く に い た の で そ の 声 も 表 情 も 見 る こ と が で き ま し た 。「 あ り が と う 」 は 心 か ら の 声 だ っ た と 思 う の で す 。 気 づ い て も ら い た い と 思 っ て 言 っ た と い う よ り 、 伝 え た い と 思 っ た よ う な 感 じ で す 。 大 人 が 「 あ り が と う は ? 」 と 促 さ な く て も 、 子 ど も た ち は ち ゃ ん と 言 え る の で す 。 つ い 、「 あ り が と う 」「 ご め ん な さ い 」 等 を 口 に 出 し て 言 え る こ と を 求 め て し ま い が ち で す が 、 そ の 前 に 周 り の 大 人 が 子 ど も た ち に 対 し て 誠 意 を 持 っ て 挨 拶 を し た り 、「 あ り が と う 」「 ご め ん な さ い 」 が 言 え て い る だ ろ う か ? と 考 え た り も し ま す 。 子 ど も に し て ほ し い こ と を 、 そ も そ も 大 人 が し て い る の か な ? た だ 言 わ せ て い る だ け に な っ て い な い か な ? そ ん な ふ う に 自 分 の 言 動 を 振 り 返 る こ と が と て も 大 事 で す 。 子 ど も た ち か ら 学 ぶ こ と は 本 当 に 多 い も の で す 。 今 の 環 境 、 経 験 、 関 わ り が こ の 先 も そ の 子 の 一 部 で 根 付 い て い く こ と を 思 い な が ら 、 大 切 に 関 わ っ て い き た い と 思 い ま す。

園 長 岡 田 絵 里 子

8月

「命に触れる」

 梅雨明けし、今年も夏本番です。土曜日はお忙しい中、夏まつりにご参加いただきありがとうございました。開催方法について、ご理解とご協力をいただき感謝いたします。この夏も気温が高い日が多く、戸外遊びどころかプール遊びもままならない日があります。色々と工夫をしながらも安全に楽しむことを第一に考慮して当日の気温や湿度等に応じて判断させていただいています。水遊び以外にも子どもたちがワクワク心躍るような経験をさせてあげたいと、先日も職員で話し合いの場を設けました。夏の過ごし方も変化させていかなくてはいけないと思っています。
 先月は年長児(そら組)のお泊り保育が行われました。初めて家族と離れてお泊りをする子が多い中、子どもたちが自分のことを自分で行い、友だちと協力し合い、またいつも一緒にいて当たり前の家族のことを思うような経験ができるようにと開催しています。今年は、金曜日の昼間に大型バスに乗って森町のアクティ森に出発。バスに乗るだけでウキウキの様子でした。アクティ森ではアユつかみ体験。人工的に作られた浅い川の中で、かなり活きの良いアユを捕まえるのですが、私は全くかすりもしませんでした。大人数の子どもたちに追いかけられたアユは、だんだん元気がなくなってきたところで捕まえられる…という感じでした。子どもたちは自分で捕まえたアユを塩焼きにしてくださる担当の方に「お願いします」と持っていきます。そうすると、その場でお腹を開き、内臓を取り出す作業をしているので子どもたちはくぎ付けです。ついさっきまで「アユ捕まえたー」と元気いっぱいだった子どもたちも、動きが止まります。「なにしてるの?」の質問に担当の方が「こうやってお腹の中の内臓を取り出すんだよ。そうすると苦くなくておいしくなるからね。」「ほら、この小さいのが心臓だよ、動いているのが分かる?」と丁寧に説明しながら見せてくれました。すぐに心臓の動きは止まってしまいます。血も流れ、さっきまで動いていたアユが目の前で動かなくなるのをじーっと見る子どもたち。何を感じている?どう思った?と私もその場にいながら子どもの心を探っていました。「かわいそう…」とつぶやく子に、その担当の方は「そうだよね。でも、おいしく全部食べてあげてね。この命がみんなの元気な体になるからね。」と。しばらく見つめていた子も、「うん!」とどこか安心したような表情でその場を去っていきました。たくさんの言葉はなくても、子どもは目の前で起こっていることをそのまま見て、感じて、かけてもらった言葉で何か納得していたような感じがしました。多くの言葉であれこれ説明するよりも、子どもが言葉にならない何かを感じているのであれば、それをそのまま見守ったり、共感することがとても大事だと改めて感じた瞬間でした。そのあと、串にさして塩焼きにしている所も実際に見ることができました。実際のアユの塩焼きを手にした子は「どこからどうやって食べるの?」と四苦八苦していましたが、大人が食べるのを見ながらいただくことができました。そして「いただきます」「ありがとう」の声がいつも以上に心に響きました。
 夏はセミやカブト虫など小さな生き物と触れる機会がとても多くなります。子どもたちの虫への扱いを見ていると「そんなに強く持ったらつぶれちゃう」とヒヤヒヤすることもあるのではないでしょうか。私もかつてはそうでした。そして子どものしようとすることを止めてしまったこともあります。でも、そうやって直接「命」に触れ、向き合うことで初めて知ることがあるのです。今月は終戦記念日もあります。命や平和について考える機会も持ちたいものです。

園長 岡田 絵里子

7月

「子どもをまんなかに」                         
 
 梅雨明けの待ち遠しい今日この頃ですが、曇り空でも蒸し暑い日にはプール遊び(水遊び)を楽しんでいます。この夏も水の事故には十分気を付けて水遊びを行っていきたいと思います。保護者の皆様には、水遊びの可否をコドモンにてお知らせいただいておりますが、引き続きご協力お願いいたします。この「水遊び」、つい子どもたちは水遊びが大好きだと思ってしまいがちですが、中にはこれを苦手と思う子もいるということを心にとめておきたいと思います。少しずつその子のペースで水に慣れ、「楽しい」と自ら感じ、水に触れることができる時を待ってあげたいものですね。
 先日、「こどもを守る こども家庭庁の役割」というテーマで、こども家庭庁成育局生育基盤企画課 教育・保育専門官である馬場耕一郎氏のお話を聞く機会がありました。過去に起こった子どもたちを取り巻く悲しい事故の事例から、どのように子どもたちを守ることができたのか、それらを生かして今後どうするべきか、ということから「子どもをまんなかに」の意味を改めて考えさせられました。乳幼児期の子どもは、「安心したい」「満たされたい」「遊びたい」「関わってみたい」「認められたい」存在です。それをどれだけ私たちが本当の意味で理解し、関わっているだろうかと振り返ることが必要だと感じます。子どもの気持ちを理解し、共感したいと思って、「〇〇したかったんだね」と声をかけることがあります。「そうじゃない」と自分の気持ちを説明できる子はいいのですが、うまく説明できない子にとっては、ちょっと違うんだけど…と思っても訂正が難しいだろうと思います。良かれと思って、子どもの気持ちに寄り添いたいと思ってかけている言葉も、もしかすると私自身の決めつけだったこともあるかもしれないと思うことがあります。ずい分前のことになりますが、どこか不機嫌そうで、少し寂しそうで、そして怒っているようにも見える表情でテラスに座っている男の子がいた時に、たまたま通りかかった私はすぐに「どうかした?」と顔を覗き込んで声をかけました。でも園庭の一点を見つめていて私の声には反応しません。どうしようかな~と思って私が周りを見回すと、近くを掃除しながらその子の様子を見守ってくれている職員がいました。「何があったかは分からないけれど、何か自分で考えているように見えるからちょっと様子を見守ってみようと思って…」と教えてくれました。そうだったのか、と思って私もそれ以上声をかけるのをやめて、少し離れたところから様子を見ていました。その子は、時々下を向き、時々顔を上げて園庭の方を見ていたのですが、そのうちかぶっていた帽子のつばをぐっと上げて自分から園庭にいる友だちの方に走っていきました。そのあとは笑顔でいつも通り。何か気持ちが害されることがあって、自分の中で葛藤していたのだろうと思います。「なにかあったの?」「いやなことがあったなら言ってごらん」とどうにか話を聞きだして、解決のお手伝いをしたいと思いがちだった自分に気づいた出来事でした。「子どもをまんなかに」考えるということは、一人ひとりがその時に置かれた状況を思いながら、子どもが自分で考えて解決しようとしたり、その状況に折り合いをつけることを見守ることでもあります。「待つ」ことも子どもを大切にするためにはとても重要なことですね。
子どもたちは、目に見えないところで少しずつ成長を重ねています。行きつ戻りつしながら様々な経験を自分のものにしています。そこに関わる私たち大人が、その子の「今」を大事に受け止めて、その存在を大切にしたいと思います。

園長 岡田 絵里子

6月

「子どもってすごい」                          

 今年は早い梅雨入りとなりました。雨降りが続くと憂鬱な気持ちになりそうですが、子どもたちはどんな日も全身で楽しみを見つけています。自然の恵みに感謝をしながら、雨の季節ならではの楽しみをたくさん見つけていきたいと思います。
 先日は、幼児クラスの親子遠足にご参加いただきありがとうございました。この日は晴天に恵まれ、親子で楽しい時間を過ごしていただけたのではないでしょうか。また、友だちとの関わりも感じていただけたことと思います。どの子もとても嬉しそうな表情が印象的でした。今後も保護者の皆様と一緒にお子さんの姿を共有し、成長を喜び合えたらと思いますのでよろしくお願いいたします。
 5月のある日、りんご組でカードゲームを一緒にさせてもらいました。「お菓子の家」というゲームで、カードが入っている箱とカードで家の壁と屋根を作り、順番に屋根の部分のカードを引いていきます。最終的に屋根を崩したら負けのゲームです。真ん中の空いた箱の上にカードを落ちないように並べて屋根を作る時、私はカードが落ちないように、箱の四隅からカードを置いてきれいに並べるようにしていましたが、子どもたちは変に考え込むことなくどんどん適当に(そう見える)カードを置くのです。思わず「あ、それじゃあうまく屋根ができないよ」と言いかけ、手を出しかけたのですが我慢してみました。案の定屋根が崩れてやり直し。でもまた同じように置き、また崩れる。それを何度か繰り返すうちに、適当に置いているように見えるのですが微妙に位置を変えてバランスをとりながら置き直していたのです。やっと屋根が完成してようやく本来のゲームがスタートするのですが、その準備のところから子どもにとっては大切なゲーム。常々、子どものすることには意味がある、子どもの姿をじっくり観て、何をしようとしているのか理解したい、その姿を待ちたいと思っているにも関わらず、カードの置き方が自分のやり方と違うと感じた瞬間に子どものすることを制止しようとする自分がいたことに気づきました。今回は気づきましたが、気づかずに制止していること、否定していることはものすごく多いのではないかと思いました。大人が自分の経験で分かっていること、知っていることも、子どもたちは何度もうまくいかない経験をして、自分で考えて工夫をして「自分でできる」ことを習得していくのです。一つのやり方にこだわっていた私に比べて、子どもたちは柔軟に色々な並べ方を試していました。本当に子どもってすごい!と実感した瞬間でした。箱の四隅にカードを置かなくても、適当に置いているように見えてもちゃんと屋根は完成するのです。子どもの姿をじっくり観ることで気づかされることがたくさんありますね。
 今月は「花の日」があります。一つひとつの花が色も形も香りも違うように、子どもたちも一人ひとりが違います。どの花も、どの子も神様が大切にしてくださる存在。そんなことを改めて心に留めながら「花の日」を迎えたいと思います。

園長 岡田 絵里子

5月

「少しずつ・・・」                           

 新年度が始まり1ヶ月がたちました。先日は大変お忙しい中、各クラスの連絡会にご参加いただきありがとうございました。感染症対策で縮小されていた連絡会ですが、今回は保護者の皆様同士もお話しできる時間が少し持てたのではないかと思います。これからも何かお気づきのこと等ありましたら、いつでもお声かけください。  
 さて、新入園のお子さんも、そうでないお子さんも、どの子も新しい環境での生活が始まり戸惑いもあったかと思います。そして、保護者の皆様も心配の尽きない毎日だったのではないでしょうか。園庭にこいのぼりが気持ちよさそうに泳ぎ始めたころからは、子どもたちの笑顔、笑い声が増えてきたと感じています。「お母さんが良かった~」と訴える声も聞こえますが、そうやって自分の気持ちを言葉や態度(もちろん泣くことも)で表現できることはとても大事なことだと感じています。自分の訴えをいつでも聴いてもらえる環境、受け止めてもらえる安心感があることが大事ですね。今はまだ、少しずつ周りの大人との信頼関係を築き、安心の輪を広げていく時期です。お互いの存在をしっかり感じてその子にとっての「安全基地」から少しずつ外の世界に足を1歩踏み出せるように見守っていきたいと思います。私自身、まだまだお子さんの名前とお顔が一致しないことが多い中ですが、その都度「お名前教えてください」と声を掛けて教えてもらっています。年長くらいになると、私の名前を覚えて呼んでくれたりするようになり、名前を呼んでもらえることがこんなにも安心することなんだと改めて気づきました。「受け入れてもらえている」と感じるのかもしれません。これは大人も子どもも同じですね。1人ひとりの名前を私たちも大切に呼んでいきたいなと思った瞬間でした。
 先日、今年度初めて4.5歳児の合同礼拝で遠州教会の石井佑二牧師のお話を聴きました。「光の子らしく歩みなさい」という聖書の箇所のお話です。「真っ暗な中では周りが見えないよね…」とおっしゃるとすぐに反応した子どもたちは「お日様が出てると明るいよね」「電気付けたらいいよ」と思いつくことを色々と教えてくれました。「悲しい気持ちで、心が暗くなっている人がいたらどうしたらいいかな?」そんな問いかけには「助けてあげる」「どうしたの?って聞いてみる」と。そして先生の幼少期の少し困った体験を聞くと「でもさ、イエス様が見ててくれたんじゃない?」という声もありました。それを聞いていた他の子が「けどさ、神様は見えないんだよね」と。「神様は空の雲に隠れているんだよ」と言っている子もいました。子どもたちのそのやり取りを聞きながら、目に見えない存在の神様ですが、しっかり身近に感じているのだと感じました。
 目に見えない物・ことを想像することは簡単ではないかもしれません。でも、私たちは子どもの目には見えにくい部分の成長も大事にしなくてはいけないと思うのです。うまくできないけれど「自分でやってみたい」という気持ちも立派な成長です。自分のことよりお友だちのお世話をしたくなることも。子どもの行動には必ず理由があります。目に見えにくい「心」に思いを寄せて、「少しずつ」の子どもたちの成長を喜んでいきたいと思います。

園長 岡田 絵里子

4月

入園進級おめでとうございます

 温かい春の陽ざしの中で、今年度がスタートいたしました。ご入園・ご進級おめでとうございます。
 私は、この4月に人事異動により聖隷こども園わかばから参りました岡田絵里子と申します。この聖隷こども園ひかりの子が、子どもたち一人ひとりと保護者の皆様にとって安心できる場であり、お互いが大切にされる場であるように改めて努めて参りますので、いたらないことも多いと思いますがよろしくお願いいたします。
 さて、今年度は34名の新しい子どもたちを迎えました。それと同時に新しく配属された職員も複数名います。皆様よろしくお願いいたします。この新しい出会いを大切にしながら、子どもたちの世界が広がっていくことを願っています。
 こども園での乳幼児期は、人生における「根っこ」が育つ時期だと思います。この時期はたくさんの人たちに愛されて大切にされ、ありのままを受け止めてもらえる経験を十分にしてほしいと思っています。大人の側から見ると一見「困ったな」「やめてほしいな」と思えるような行動も、実はその子にとっての探索であり、次へつながる学びの場面であることがほとんどです。ひやっとする瞬間もありますので、つい否定的な言葉をかけてしまうこともあるかもしれませんが、その子が何をしようとしていたのかほんの少し立ち止まって、その子の心持を考えたいと思うのです。そして「何がしたかったの?」「どうしたかったの?」と聞き、寄り添っていくことが大事であると思います。結果的にその行動がやめてほしいことであるのなら、どうしたら良かったかを一緒に考えたり、教えていってあげたいと思います。子どもたちに「してほしい行動」を具体的に分かりやすく伝え、それができたらすぐに褒めてあげてください。大人も一生懸命伝えているのに、伝わらない、どうして分かってくれないの?ともやもやすることが減ってくると思います。時間はかかりますが、子どもの気持ちを理解しようとしながら、一緒に考えてくれる大人が近くにいることは安心感につながって、その子の成長に必要な根っこの部分が力強く広がっていくと思います。そして、いつかその子らしさが花開き、実がなる時が必ず来ると信じています。その「いつか」はこども園時代ではないかもしれませんが、ゆっくりじっくりその子のペースで成長していく姿を大事に見守り、支えていくことができたらと思います。
 ありのままを受け止めてもらえる環境は、子どもだけでなく大人にとっても必要であると思っています。新生活が始まって落ち着かないのは子どもだけでなく、保護者の皆様もきっと同じですね。不安なこと、心配なことがありましたらいつでも職員に声をかけてください。ひかりの子で過ごすすべての人が愛に包まれて安心して過ごすことができたらと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

園長 岡田 絵里子