明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い致します。
2025年の干支は乙巳(きのとみ)。「乙(草木がしなやかに成長していく意味)」と「巳(脱皮を繰り返す不老不死の象徴)」から「再生や変化を繰り返しつつ、伸びやかに発展していく」年になるとも言われています。乙と巳に共通するのは、しなやかさや柔軟性、そして成長というキーワードのようです。昨年末から冬休みの間、学童保育で卒園児が登園しています。自由時間は各クラスに入り園児と遊んだり、それぞれの好きな事を進めたりしています。工作本を見ながら黙々と製作を進め、失敗しても何が原因なのかを考え再挑戦する卒園児Aさんの姿から、小さい頃から繰り返し楽しんだ遊び、得意な事をより経験を重ね、深め、Aさんの大きな力になっていることがわかり嬉しく思いました。学童のお楽しみで、宝探しを行いました。一人ひとつずつ園庭に番号札を隠し、皆で探していきます。宝探しと聞くとわくわくしませんか。宝探しゲームは、好奇心・探求心を刺激し、空間認知・考える力の向上にもつながると言われています。「人生は、自分で巧妙に隠したものを見つける宝探しゲーム」という心屋仁之助氏の言葉を思い出しました。『すでにすべてあった。ただ気づいてなかった。それだけのことでした。人生は自分で隠した大切なものを見つける楽しい宝探し。自分で隠してるから、自分で絶対探さなさそうなところを知っているから、巧妙に隠してる。そう、案外「あしもと」に、ね。』私達はとかく既に持っている物や与え続けられている物の存在を忘れてしまい、人と比べたり、出来ない事、苦手な事に注視したりして、反省し落ち込むこともあります。私自身もあれも出来ていない、これも出来なかったと年末振り返りをしました。『おそらく私達は、何かを失うことについては非常に敏感だ。それは苦痛を伴うし、罪悪感や怒りまでおまけとしてついてくるので、時間が経っても何をどの程度失ったのか、いつまでも数え上げる。しかし、既に与えられている恵みについてはほとんどカウントしない、というか出来ない。悪気はないのだが、恵みに気付きにくいのかもしれない。日常の些細なことの中にも、恵みはたくさん潜んでいる。でも、通勤電車が時刻通りに来なかったり、パソコンがフリーズしたりすると、途端にパニックに陥る。今まで出来たことを急に失うなんて、なぜ、今こういう目に私が遭わなくてはならないのかと落ち込む。すでに与えられているが、気付くことなく放置されている「恵み」に目を向けるのは、きれいごとでも、そんなにかっこいいことでもない。また、もっと気楽に生きられる、優位になれる、とういことでもない。それは素朴で、地味な努力によるものだ。当てが外れることや、解決したことのない困難に直面するのは偶然ではなく、何かしら学ぶことがあるはず、という神への信頼に基づいている。』と上田亜樹子牧師も文書の中でおっしゃっていました。新しい年を迎え、「新年の抱負」を立てた方もいるのではないでしょうか。新たな事に挑戦することも素晴らしいですが、今年はわくわくしながら、心の宝探しをしてみませんか。お正月、家族や親族、友人と挨拶を交わし、関わる中でたくさんの方達からの愛を受けて今の私がいることに目を向ける事が出来ました。受けている恵みに目を留め、制限がかかり、迷いながらも子ども達のために本当に大切な事を考える機会をいただいたコロナ渦の学びを活かし、伸びやかに、しなやかに子どもの姿から学び、子ども達と共に成長していきたいと思います。
園長 梶山 美里
2025年の干支は乙巳(きのとみ)。「乙(草木がしなやかに成長していく意味)」と「巳(脱皮を繰り返す不老不死の象徴)」から「再生や変化を繰り返しつつ、伸びやかに発展していく」年になるとも言われています。乙と巳に共通するのは、しなやかさや柔軟性、そして成長というキーワードのようです。昨年末から冬休みの間、学童保育で卒園児が登園しています。自由時間は各クラスに入り園児と遊んだり、それぞれの好きな事を進めたりしています。工作本を見ながら黙々と製作を進め、失敗しても何が原因なのかを考え再挑戦する卒園児Aさんの姿から、小さい頃から繰り返し楽しんだ遊び、得意な事をより経験を重ね、深め、Aさんの大きな力になっていることがわかり嬉しく思いました。学童のお楽しみで、宝探しを行いました。一人ひとつずつ園庭に番号札を隠し、皆で探していきます。宝探しと聞くとわくわくしませんか。宝探しゲームは、好奇心・探求心を刺激し、空間認知・考える力の向上にもつながると言われています。「人生は、自分で巧妙に隠したものを見つける宝探しゲーム」という心屋仁之助氏の言葉を思い出しました。『すでにすべてあった。ただ気づいてなかった。それだけのことでした。人生は自分で隠した大切なものを見つける楽しい宝探し。自分で隠してるから、自分で絶対探さなさそうなところを知っているから、巧妙に隠してる。そう、案外「あしもと」に、ね。』私達はとかく既に持っている物や与え続けられている物の存在を忘れてしまい、人と比べたり、出来ない事、苦手な事に注視したりして、反省し落ち込むこともあります。私自身もあれも出来ていない、これも出来なかったと年末振り返りをしました。『おそらく私達は、何かを失うことについては非常に敏感だ。それは苦痛を伴うし、罪悪感や怒りまでおまけとしてついてくるので、時間が経っても何をどの程度失ったのか、いつまでも数え上げる。しかし、既に与えられている恵みについてはほとんどカウントしない、というか出来ない。悪気はないのだが、恵みに気付きにくいのかもしれない。日常の些細なことの中にも、恵みはたくさん潜んでいる。でも、通勤電車が時刻通りに来なかったり、パソコンがフリーズしたりすると、途端にパニックに陥る。今まで出来たことを急に失うなんて、なぜ、今こういう目に私が遭わなくてはならないのかと落ち込む。すでに与えられているが、気付くことなく放置されている「恵み」に目を向けるのは、きれいごとでも、そんなにかっこいいことでもない。また、もっと気楽に生きられる、優位になれる、とういことでもない。それは素朴で、地味な努力によるものだ。当てが外れることや、解決したことのない困難に直面するのは偶然ではなく、何かしら学ぶことがあるはず、という神への信頼に基づいている。』と上田亜樹子牧師も文書の中でおっしゃっていました。新しい年を迎え、「新年の抱負」を立てた方もいるのではないでしょうか。新たな事に挑戦することも素晴らしいですが、今年はわくわくしながら、心の宝探しをしてみませんか。お正月、家族や親族、友人と挨拶を交わし、関わる中でたくさんの方達からの愛を受けて今の私がいることに目を向ける事が出来ました。受けている恵みに目を留め、制限がかかり、迷いながらも子ども達のために本当に大切な事を考える機会をいただいたコロナ渦の学びを活かし、伸びやかに、しなやかに子どもの姿から学び、子ども達と共に成長していきたいと思います。
園長 梶山 美里