長かった残暑もようやく終わり、爽やかな風に、いよいよ本格的な秋の訪れを感じます。耳を澄ませると、秋の虫の声が心地よく聞こえてくるようになりました。子どもたちも季節の移ろいに興味津々です。
先日は懇談会へのご参加ありがとうございました。今回は各クラス保護者同士のディスカッションの時間を拡大することが出来ました。「仕事をしながら子育てをしている仲間と、嬉しい事、難しさを感じている事等を共有し、安心に繋がった」という感想を沢山いただきました。今後も懇談会の持ち方を工夫し、より良い時間になるようにしていきたいと思います。
9月は敬老の日があり、祖父母の方に園児がお手紙を出しました。御丁寧にお返事を下さった方もあり、お孫さんへの大きな愛情が伝わってきました。ご家庭により距離間は様々だと思いますが、子ども達はとても優しいじいじ・ばあばという存在を知ることで、自分の周囲には様々な人がいて、それぞれ違い、それぞれ特徴があるということを自然に学んでいきます。そしてそれは、社会性を正しく育てるためにも大切なことではないでしょうか。恥ずかしながら未だに我が家は祖父母に子育てをサポートしてもらっています。両親には言えないことも、祖父母になら言える。そして様々な経験をしてきた祖父母ならではの関わりは、子どもの迷える心にほんのりと温かい光を灯してくれたことが、何度あった事かわかりません。家族と同じように、保育園にも様々な職員がいます。担任、早番・遅番担当、看護師、栄養士、調理師、事務員等、日常的な直接ケアや衛生的・栄養的・精神的サポート等、職員皆でお子さんと関わらせていただいております。先日の朝4・5歳児のクラスに行き、絵本コーナーで子ども達とお話をしていると、Aさんが、私の膝の中にさっと入ってきました。クラス全体を見渡しながらふとAさんに回していた私の手の力が緩まると、“しっかり抱きしめていて“と言うかのように私の腕を持ち、運び直しました。これは何かあるなと思い、しっかりと両手でぎゅっと抱きしめると「こうしてて!」と一言。「大丈夫?具合悪い?」とおでこに手を当てると「違うよ、ここが痛いの…」と胸に手を当てたのです。「そうなんだ。ここが痛いんだね。」と言いしっかり両手で包み込むと、静かに目を閉じて暫く胸の中にいました。すると「今日の朝ね、ママに怒られたの…」と状況を詳しく話し始めました。お母さんの事情も解った上で、「でも僕は○○だったんだよね」と教えてくれました。朝の集まりの時間になり、友達が椅子に座り始めました。しかしその日は椅子に座ろうとせず、私の膝で話を聞く体制をとりました。迷いながらも私はAさんを受け入れることにしました。きっと「Aさん、集まりだよ!」「椅子に座って」とクラスの友達が声を掛けてくるだろうなと思ったのですが、なんと誰一人そんなことは言わず、いつものように集まりが始まったのです。担任の先生がお話を始めても、こちらを見たり、茶化したりすることもなく、まるでAさんの気持ちをクラス皆が解っているかのようで大変驚きました。担任が瞬時に役割を理解し、普段通り保育を進めてくれたことにも感謝です。適度な距離を保てる私とAさんとの関わりをそこにいた皆が受け入れてくれたのです。生活の中でホッとする場所や人、安らぎの場所や人さえあれば、子どもはいずれまた歩き出せます。ケアを提供するバランスがうまくいくと、子どもの成長環境は安定し、安心して過ごせると言われています。職員間で様々な立場、役割からの子どもの姿を共有し、今後も子ども理解に繋げていきたいと思います。
『私たちは教育者であると同時に、子どもと共に生きる者でありたいと思います。~子どものなかに入り、子どもと同じ目の高さのなか、おもしろさや難しさを感じることも大切にします。背後にあるこれまでの育ちや人間関係をひっくるめて、目の前のその子を受け止め、こころに添いながら、時にただ静かにそばにいてあげたり、そっと抱き寄せたり、笑いあったり、本気で思いをぶつけあったりしながら、人としてつながっていたいものです』~キリスト教保育ハンドブックより~
園長 梶山 美里