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ホーム  > 園長コラム  > 自然に身を委ねた保育のありかたを求めて

自然に身を委ねた保育のありかたを求めて

園長 平野春江

 涼秋とは名ばかりの残暑厳しい日が続き、もうしばらくはシャワー等をしながらさっぱりした心地良さを体感できるようにしていきたいと思います。
 さて、先月は保護者会役員の皆様のご協力を頂きながら小規模ではありますが夕涼み会ごっこを開催することができました。乳児クラスから順番に一日1クラスずつ設定し降園時に玄関先にて、ゲーム屋、駄菓子屋、くじ引き屋、ヨーヨー屋等の出店が並び、ひと時の時間を親子で楽しんで頂きました。幼児の子ども達は、「あと2回寝たら、僕たちの番だよね。」等と自分のクラスの日を指折り数えて楽しみに待つ姿があり、待ち遠しい思いと共に期待が膨らみ、待つ時間も楽しみの一つになっているように感じられました。開催後のアンケートでは『子どもが自分のお財布から考えながらお金を出して買い物をしている姿を見て可愛らしく、そして成長を感じて胸が熱くなりました』『先生方や役員の保護者の方々、お忙しい中準備していただきありがとうございました』等、保護者の皆様から温かなメッセージを沢山頂きました。保護者会役員の皆様、保護者の皆様ご協力ありがとうございました。
 さて、保護者の皆様は、倉橋惣三という方をご存じでしょうか。おそらく教育・保育に携わる人の中で知らない方はいないのではないでしょうか。日本の大正時代から昭和時代にかけての日本の教育者で東京女高師附属幼稚園の主事を長年務め幼児教育発展にご尽力された方です。有名な著書に『育ての心』『幼稚園雑草』等があります。おおよそ100年前の時代の幼児教育についての著書にも関わらず現代の幼児教育・保育に相通ずるものがあり、私も折に触れて読む愛読書となっています。今回は著書『育ての心(上)』の秋晴をご紹介させて頂きます。
秋晴
 秋晴の好季が来た。子どもたちのために恵まれた戸外の季節だ。一日半日の日光をも無駄にしてはならない。春の日はなごやかに、秋の日は硬い。春の草は柔らかく、秋の草は粗い。春にやさしく迎えた子どもたちに、自然は、もうそろそろ此のくらいの訓練を与えようとしているのか。秋の気は澄み、空は高い。子どもたちをして一ぱいに胸をはらせよ。子どもたちをして高々と上を仰がしめよ。~とにかく貴重な秋晴だ。一年三百六十五日、晴日幾日かある。今や、その、そのシーズンだ。
 100年も前の日本で、今よりも自然が豊富に在る時でさえ、倉橋惣三は幼児教育者に対して『外へ外へ』を推奨しています。四季を重んじ、ましてや過ごしやすい秋の一日、半日さえも大切に自然の中で過ごすべきであると述べています。「教室(保育室)で絵画ばかりをしていてはいけない。机や椅子をお庭に出して外で絵画をすればよい。」と幼児教育者の視点を変えるメッセージも述べています。現代社会において、ここ数年は、新型コロナウイルス感染対策のため、園外保育や園の散歩の機会が奪われている状況にあります。戸外遊び、園外保育や散歩等を通して自然体験等をより豊かに経験するために、コロナ禍ではありますが今年度は、感染防止や安全対策をしながら、五感を使って秋の自然を存分に楽しめるように職員間で話し合いを持ちました。「天気の良い日には、毎日のように散歩にいけるといいね。」「クラスごとだけではなく行きたい子が選んで行ける環境をつくりたいね。」「公園の広場で礼拝もしたいね。」「園庭でおやつや給食も食べたいね。」等…。やりたいことがどんどん溢れてきて職員もわくわくが止まらない状態です。こうのとり豊田は、近隣の環境にも恵まれており、一歩園を出ただけでも自然に出会うことができます。まずは、近隣の散歩から始まり、クラスごとや異年齢等で楽しんでいきたいと思います。神様が創造された自然に子ども達と共に身を委ねた保育のあり方を求めていきたいと思っております。教育・保育の様子はコドモンのドキュメンテーションで毎日配信していきますね。