「心の清い人々は、幸いである。その人たちは神を見る。」(マタイ5:8)
宝塚栄光教会牧師 岩間 洋
イエス・キリストが山の上で弟子たちに語られた言葉の一節です。神は霊なるお方ですから、形に表すことはできません。目には見えませんし、手でも触れられません。けれどもキリストは、「その人たちは神を見る」と言われました。どういうことでしょうか。霊なる神は、肉の眼では見ることはできません。しかし、霊の目で見ることができます。心霊体験などというものではなく、心の深いところで神を知ることができるということです。
では、どういう人が心で神を知ることができるのでしょうか。キリストは「心の清い人々は」と言われました。心が清い人とは、品行方正な人、清廉潔白な人というよりも、キリストを信じて罪が赦された人のことです。罪を持ったままでは、神が分かりません。キリストの十字架によって罪が赦されたら、神がどれほど恵み深いお方か、真実に富んでおられるお方かがわかります。私たちも、キリストによって心を清くされ、いつも神の愛と真実を体験しながら歩む者となりたいですね。
では、どういう人が心で神を知ることができるのでしょうか。キリストは「心の清い人々は」と言われました。心が清い人とは、品行方正な人、清廉潔白な人というよりも、キリストを信じて罪が赦された人のことです。罪を持ったままでは、神が分かりません。キリストの十字架によって罪が赦されたら、神がどれほど恵み深いお方か、真実に富んでおられるお方かがわかります。私たちも、キリストによって心を清くされ、いつも神の愛と真実を体験しながら歩む者となりたいですね。