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ホーム  > 今月の聖句  > ぶどうの枝として

ぶどうの枝として

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」(ヨハネ15:5)     宝塚栄光教会牧師 岩間 洋


 イエス様は、ご自分のことをいろいろな物にたとえられました。そのうちの一つが、「ぶどうの木」です。教会の猫の額ぐらいの庭に、ぶどうの木が植わっています。枝の先には見事な実が成っていて、鳥が取っていかないように袋が掛けられており、収穫を待っています。ぶどうの枝と言っても、蔓(つる)のような細いものです。ぶどうの枝は、観賞用にも建築材料にもなりません。ぶどうの枝の使命は、実を結ぶことだけです。ぶどうの枝が実を結ぶための条件は、ぶどうの木、すなわち幹にしっかりと繋がっていることです。当然のことですが、ぶどうの枝が幹から離れていたら、実を結ぶことはできません。
 同じように、私たちは、イエス様というぶどうの木にしっかり繋がっていなければ、神様に喜ばれる歩みをなすことはできません。イエス様に繋がるとは、イエス様を信じる、イエス様に信頼するということです。結実のある豊かな人生を送ろうとして自分で頑張るのではなく、イエス様にすべてをお任せするのです。そこから、結実のある豊かな人生が開かれていきます。