「地はお造りになったものに満ちている。」 詩編104章24節
ある人が幼いときに通っていた幼稚園で、子どもたちと先生とで川に遊びにいったそうです。子どもたちがその川で水鳥を見つけました。それを一緒に見ていた先生が、「あの水鳥は神様から水の中に入っても濡れない着物をもらったんだよ」っと子どもたちに話したそうです。その人は、大人になってもその話を忘れないで、水鳥を見るたびにそのことを想い起こされるそうです。
「水鳥は神様から水の中に入っても濡れない着物をもらった」という言葉は、水鳥についての科学的説明ではなく、水鳥によってわたしたち人間の心に映し出される神様の恵みを指し示します。
科学は、この世界にあるものが「どのようにして」そうあるのかを教え(How)、この園で子どもたちと先生方が耳を傾けてお祈りをする聖書の言葉は、この世界にあるものが「なぜ」そうあるのかを教えてくれます(Why)。「なぜ」と問う力が、生きる力となっていきます
「水鳥は神様から水の中に入っても濡れない着物をもらった」という言葉は、水鳥についての科学的説明ではなく、水鳥によってわたしたち人間の心に映し出される神様の恵みを指し示します。
科学は、この世界にあるものが「どのようにして」そうあるのかを教え(How)、この園で子どもたちと先生方が耳を傾けてお祈りをする聖書の言葉は、この世界にあるものが「なぜ」そうあるのかを教えてくれます(Why)。「なぜ」と問う力が、生きる力となっていきます