「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」
コリントの信徒への手紙一3章6節
聖書の精神に基づく教育について考えるときに、必ず「成長させてくださったのは神です」という言葉が取り上げられます。それは言うまでもなく、だから何もしないでいいということではありません。種を植え、水を注ぐ働きがあります。でも、子どもたちの成長という豊かな祝福をまっすぐ見つめたら、それはわたしが植えたからだ、わたしが水をあげたからだと言えるでしょうか。
聖書の言に向きあい祈るとき、ほんとうはわたしたちの目の前にあるものが、その目に見える命よりもずっと大きな恵みのなかで生かされ、育まれていることが見えてきます。
そのことが見えてきたとき、小さなものより大きなもの、弱いものより強いものにだけ向く心が、痛みや破れのなかからも成長させてくださる神の恵みへ開かれて、わたしたちの種を植え、水を注ぐ小さな働きは、成長させてくださる神と一緒に豊かな実りを喜び祝う祝福に満たされます。
聖書の言に向きあい祈るとき、ほんとうはわたしたちの目の前にあるものが、その目に見える命よりもずっと大きな恵みのなかで生かされ、育まれていることが見えてきます。
そのことが見えてきたとき、小さなものより大きなもの、弱いものより強いものにだけ向く心が、痛みや破れのなかからも成長させてくださる神の恵みへ開かれて、わたしたちの種を植え、水を注ぐ小さな働きは、成長させてくださる神と一緒に豊かな実りを喜び祝う祝福に満たされます。