「これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。」
マルコによる福音書 12章11節
聖隷三方原病院 池谷明高
イエスの十字架の死と復活の出来事、それは死から起こされること。とらわれているものから自由にされることです。終わりだと思ったところが始まり、失うと同時に与えられるものがある。見えていなかったものが見えるようにされ、希望を見出します。物事の一部しか捉えられない、またこうあるべきと思い込んでいる私達には気づけないこと、だから不思議に見えるのです。誰かによって気づかされる。他者の存在があってこそ救われるのです。
聖書が示す愛とは、この他者によって命を与えられること。こどもたちも私達もすべて、母親の胎内で命を与えられ、成長します。胎を出た後も、家族や友人、学校、この社会で私達は守られ、育てられます。この私達を包み込み、命を養い生かすのが愛なのです。わかばもこの神の愛に満たされています。私達を支える誰かに出会わせてくれます。何度倒れても、何度でも起こされます。神の愛に包まれて、こどもたちも私達も絶えず命を、希望を与えられ、歩んでいきます。そして互いに愛し合う、赦し合う、与え合う中で豊かに成長していくのです。
イエスの十字架の死と復活の出来事、それは死から起こされること。とらわれているものから自由にされることです。終わりだと思ったところが始まり、失うと同時に与えられるものがある。見えていなかったものが見えるようにされ、希望を見出します。物事の一部しか捉えられない、またこうあるべきと思い込んでいる私達には気づけないこと、だから不思議に見えるのです。誰かによって気づかされる。他者の存在があってこそ救われるのです。
聖書が示す愛とは、この他者によって命を与えられること。こどもたちも私達もすべて、母親の胎内で命を与えられ、成長します。胎を出た後も、家族や友人、学校、この社会で私達は守られ、育てられます。この私達を包み込み、命を養い生かすのが愛なのです。わかばもこの神の愛に満たされています。私達を支える誰かに出会わせてくれます。何度倒れても、何度でも起こされます。神の愛に包まれて、こどもたちも私達も絶えず命を、希望を与えられ、歩んでいきます。そして互いに愛し合う、赦し合う、与え合う中で豊かに成長していくのです。



