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12月の聖句

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」
ルカによる福音書 第2章11節より


聖隷三方原病院   池谷明高
 クリスマスは、イエス・キリストが生まれたことをお祝いする日ですが、それは私達にとって、どんな意味があるのでしょうか。
生まれたということは、この世界を救うとされる方が、幼子の姿で現れたということ。小さく、弱く、また裸ですから、何も持たない姿です。しかも馬小屋で、飼い葉桶に寝かせられていました。この世界を救う方にしては、決してふさわしい姿とは言えないでしょう。
救いは、いかにもというような場所や時ではなく、もしかして見落としてしまうような、これが救いなのか、と思うような形で現れるのです。救いとは、自分が求めているものが与えられるのではなく、自分に必要な物が与えられるということ。それも今、すでに与えられているということに気付くことです。小さな事、取るに足らないと思うようなことも、大事な意味や働きがあるのです。そして見ようとすれば見えてきます。こうでなければ、こうあるべき、という思いから離れれば、必ず見えてくるのです。
私達もこども達と出会っています。自分の子であると同時に、与えられた、託された子です。その子を通して、多くのことを教えられ、与えられます。そしてまさに救いを、希望を示されています。そのことを覚えて、クリスマスをお祝いしたいと思います。今まさに戦争の犠牲となっている世界の小さなこどもたちのために、また私達のこどものために、平和が来ますように、平和が守られますようにと、切に祈り願うものであります。