「見よ、それは極めて良かった。」
創世記1章31節
聖隷三方原病院 池谷 明高
聖書の冒頭には、神様がこの世界を創造された場面が描かれています。神様は御自分が創造された全てのものを御覧になって、「極めて良かった」と語られます。どんなものも、神様がその存在を与えられた価値を持つものとされています。また神様を信じる者は、神様のからだの一部とされます。神様の体の一部ということは、どんな人間もかけがえのない存在なのです。誰もが神様の大切な何かの働きを担っています。全体の中でこそ、その役割や意味が見えてきます。しかし自己中心的に生き、自分の利益だけを求めれば、神様から離れてしまえば、その意味は見い出せないかもしれません。
私達の一日一日も、失敗や挫折も、また与えられている仕事も、人生全体を眺めた時にこそ、その意味、重みが見えてきます。私達の手にするもの、経験するもので、意味のないものなど何一つありません。木だけではなく森全体を見る見方、心の目で見る見方を、こどもたちと一緒に常に持ちたいと思います。
聖書の冒頭には、神様がこの世界を創造された場面が描かれています。神様は御自分が創造された全てのものを御覧になって、「極めて良かった」と語られます。どんなものも、神様がその存在を与えられた価値を持つものとされています。また神様を信じる者は、神様のからだの一部とされます。神様の体の一部ということは、どんな人間もかけがえのない存在なのです。誰もが神様の大切な何かの働きを担っています。全体の中でこそ、その役割や意味が見えてきます。しかし自己中心的に生き、自分の利益だけを求めれば、神様から離れてしまえば、その意味は見い出せないかもしれません。
私達の一日一日も、失敗や挫折も、また与えられている仕事も、人生全体を眺めた時にこそ、その意味、重みが見えてきます。私達の手にするもの、経験するもので、意味のないものなど何一つありません。木だけではなく森全体を見る見方、心の目で見る見方を、こどもたちと一緒に常に持ちたいと思います。