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与えられている賜物を信じて

年長組の子どもたちが作った寄せ植えがきれいに花を咲かせています。チューリップも芽を出しました。
一鉢一鉢どれも個性的です。花がらを摘んでいる私の傍に来た数人の子どもたちは「見て。このお花は私がえらんだの。色合いがきれいでしょ」「これがぼくの。この花は取ってもいいのでしょ。色水できるよ」「お水あげたよ」と花に寄せる思いが感じられ、毎日のお世話をしている子どもたちの姿が目に浮かびました。
3月は、年長組27名の子どもたちが、巣立ちの時を迎えます。かるみあでは11日に2名、こども園では24日に25名が卒園の日を迎えます。新たな門出を在園児と共に、心を込めてお祝いしたいと思います。

先日、こども園の年長組の子どもたちと卒園遠足に出かけました。子どもたちの成長を嬉しく思う一日でした。
ステンドグラス美術館には70枚程の聖画(ステンドグラス)が飾られていて、受付の方は「子どもたちには難しいと思いますが」と話されました。ところが、子どもたちは目を輝かせて、「これがマリア様。青いお洋服を着ているね。」「ヨセフさんとマリアさん、赤ちゃんのイエス様も!」「ヘロデ王はどれ?」「あっ羊飼いだ」と驚くほど興味深くよく見ていました。聖画の話をすると、礼拝の話や絵本を思い出して話し出す子どもたち。マリアさん、ヨセフさん、イエス様のことも身近に感じているようでした。お天気にも恵まれ、美術館に光が差し込み、ステンドグラスの聖画が本当に綺麗でした。「私は羊飼いをやりました」と受付の方に、堂々と話している子どもの姿が印象に残りました。
花鳥園でお弁当をいただきました。その後のこと、トイレに行っていて遅くなった友だちA子の荷物のあと片付けをしていたH子。帰ってきたA子は自分で片づけていたかのように、急いでリュックを背負いH子とふたりでみんなのところに走っていく姿がありました。友だちのことも自分のことと同じように大切に思えることは幸せです。
A子に何も言わないH子の姿を愛しく感じた私でした。

先日読んだキリスト教保育冊子に、卒園式での出来事が掲載されていました。卒園児の中で、“大きくなったら何になりたい”の問いに、「優しい人になりたい」と卒園式で語った子どものことがエピソードとして取り上げられていました。以前にも掲載させていただいたかもしれません。『「優しい人になりたい」というのは、「他者との関係性において自分がどう生きていくか」を表明されたのです。自己完結型ではなく、他者との関係において初めて成立する「生き方」だからです。‐中略‐「愛する」という言葉は、幼児にとってはリアリティのない言葉かもしれません。しかし、この園児さんは「優しくしてもらった。大切にしてもらった。」ことが、ご自分の人生の中で一番嬉しいことだった、だから今度は「人に優しくありたい」という思いをもたれたのでしょう。』-牧師の言葉の一部抜粋- 
私は心動かされる思いで読みました。
こうのとり富丘で巣立っていく子どもたちには、“愛されて育つ”経験を幼いときに十分してもらいたいと思います。キリスト教保育はこうするという方法があるわけではありません。しかし、その中心には、必ず神様がいらっしゃいます。私たち人間には限界があります。子どもたちひとりひとりに寄り添いきれない日もあるでしょう。そんな時は、保護者同士で、職員同士で、そして保護者と職員とで補い合って支え合って進みましょう。
子どもたちは、神様から頂いた賜物を持っています。それは私たち大人も同じです。神様の御手の中で、守られ愛されて過ごす日々。ご家族や周りの人たちからも愛されて、成長する子どもたち。力いっぱいやった後は神様にゆだねて、私たちも自分に与えられている賜物を信じて生きていきたいと思います。
園長 永島弘美