理事 日下部行宏(2022年12月号)聖隷の人づくりの源流
聖隷の職員は成熟した人が多い。これが、聖隷という組織の強さ、発展の原動力だと思います。
先日、偶然にも私が聖隷三方原病院で診療放射線技師長であった頃の総看護部長とお会いする機会がありました。懐かしい思いと、私自身が職業人生の終盤を迎え、最近考えていた聖隷の人づくりへの思いが一気に溢れ出してきました。何故なら、今から40年前になりますが、手作り研修と称し、看護部を中心に行動科学的組織論を軸にした自立した人づくりを行ってきた中心人物にお会いしたからです。
先日、偶然にも私が聖隷三方原病院で診療放射線技師長であった頃の総看護部長とお会いする機会がありました。懐かしい思いと、私自身が職業人生の終盤を迎え、最近考えていた聖隷の人づくりへの思いが一気に溢れ出してきました。何故なら、今から40年前になりますが、手作り研修と称し、看護部を中心に行動科学的組織論を軸にした自立した人づくりを行ってきた中心人物にお会いしたからです。
接遇研修での講義の様子(法人本部)
聖隷の人づくりの根幹は、理念である「隣人愛」を実践できる組織を作ることです。そのためには、社会に貢献できる人、変化に対応できる人、人を大切にする人、自立した人が必要です。つまり”成熟した人”を作り上げていくことに繋がります。
成熟した人になるために重要なのは、学び方を修得することです。知識教育が既に作られた食事を目の前に出される形の学習であるとするなら、食事の作り方を学んでおけば、与えられた食材で食事を作ることができる。すなわち、成長の仕方を学んでおけば、いつでもどこでも成長できる、これが聖隷の人づくりの源流です。
成熟した人になるために重要なのは、学び方を修得することです。知識教育が既に作られた食事を目の前に出される形の学習であるとするなら、食事の作り方を学んでおけば、与えられた食材で食事を作ることができる。すなわち、成長の仕方を学んでおけば、いつでもどこでも成長できる、これが聖隷の人づくりの源流です。
接遇研修での演習(体験学習)
聖隷には階層別研修や職種別専門研修等があります。研修では講義の他、演習(体験学習)を行っています。講義は、既に作られた食事を出す形の学習であるとすれば、体験学習は食事の作り方を学びます。体験学習の主人公は自分自身であり、体験したことに講義での理論(知識)を結びつけ、自分の中に落とし込み、人生や仕事で実践して成長していきます。自分で食事が作れるようになるのと同じように、成熟した人は、課題が生じた際に、どうしたら解決ができるのか自ら考え、自ら行動し、結果が出せるようになります。このようにして、私自身も聖隷の研修を通して成長させてもらいました。組織が人を育て、人が組織を作ることを繰り返し、成熟した人の集まりとなれば、組織がより一層強くなります。
成長するための方法を修得しておけば、いつでもどこでも成長できる、人生そのものから学ぶ意味がそこにあると感じています。聖隷の中だけに役に立つ人づくりではなく、どこの組織でも通用する人材育成を目的に、管理職がファシリテーターとなり、侃侃諤諤と日々、切磋琢磨し研修(成長の場)を提供してきたことが、今の聖隷を作り上げたと言っても過言ではないと思っています。
40年前に “どんな人が聖隷人として必要か、どんな聖隷人を育てるべきか”を考え、手作りで研修をスタートし“成熟した人”作りが脈々と受け継がれ、聖隷の組織の拡大、発展と共に、多くの人が育ち、多くの自立した職員が直面する課題に立ち向かってきました。
一方で、多くの職員と接する中で、仕事に対する考え方の変化や自立した人材が育ちにくくなっていることを危惧しています。長年行ってきた人材育成は、聖隷の人づくりの文化であり、継承し続けていく必要がありますが、人材育成そのものがアメリカの経営学者であるアージリスの云う金属疲労を起こしてはいないか、組織の人づくりに対する課題を含め今一度原点(源流)に戻り、未来の聖隷のために“人事ポリシー”を考えるべき時かもしれません。
成長するための方法を修得しておけば、いつでもどこでも成長できる、人生そのものから学ぶ意味がそこにあると感じています。聖隷の中だけに役に立つ人づくりではなく、どこの組織でも通用する人材育成を目的に、管理職がファシリテーターとなり、侃侃諤諤と日々、切磋琢磨し研修(成長の場)を提供してきたことが、今の聖隷を作り上げたと言っても過言ではないと思っています。
40年前に “どんな人が聖隷人として必要か、どんな聖隷人を育てるべきか”を考え、手作りで研修をスタートし“成熟した人”作りが脈々と受け継がれ、聖隷の組織の拡大、発展と共に、多くの人が育ち、多くの自立した職員が直面する課題に立ち向かってきました。
一方で、多くの職員と接する中で、仕事に対する考え方の変化や自立した人材が育ちにくくなっていることを危惧しています。長年行ってきた人材育成は、聖隷の人づくりの文化であり、継承し続けていく必要がありますが、人材育成そのものがアメリカの経営学者であるアージリスの云う金属疲労を起こしてはいないか、組織の人づくりに対する課題を含め今一度原点(源流)に戻り、未来の聖隷のために“人事ポリシー”を考えるべき時かもしれません。