グローバルナビゲーションへ

本文へ

ローカルナビゲーションへ

フッターへ



役員がつづるコラム「膠漆之心」

理事長:青木善治(2024年4月号)新入職員の皆さんへ~ひとりではない、仲間の大切さ~


春光うららかな季節を迎え、桜の便りに心弾ませる季節となりました。新入職員の皆さんには、社会人としての最初の一歩に聖隷福祉事業団を選んでいただき、本当にありがとうございます。

頼もしい新入職員の皆さん
(2024年度辞令交付式)

また、今年は元日より能登半島地震が発生し、被災された皆さまへ心よりお見舞い申し上げるとともに、被災地の1日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。災害支援として聖隷三方原病院・聖隷浜松病院からのDMAT(災害派遣医療チーム)、各高齢者施設からの静岡DWAT(災害派遣福祉チーム)、浜松市リハビリテーション病院からのJRAT(日本災害リハビリテーション支援協会)の派遣など各支援団体を通して多くの聖隷職員が支援に手を挙げて出動してくれています。そして、現地では各県の支援チームと連携し被災地のために貢献していることを大変誇りに感じています。
また、これらの支援には、支援に送り出す職員の各職場の協力と理解が不可欠ですし、直接的に支援ができない職員の皆さんも含めて多くの募金協力を頂きました。
この場をお借りして職員の皆さんに感謝申し上げます。

写真右が秋山さん

さて、今年新たに我々の仲間となっていただいた皆さんへ私自身の経験談を踏まえ、お伝えしたいことがあります。
昔(というと私自身古い人間に感じて嫌ですが昔です)、聖隷では職員旅行や、秋山さんという大変世話好きな職員が計画した、「秋山観光」という冠をつけたスキー旅行がありました。
その旅行は、様々な部署から、ぜひ行きたいという人が集まり企画されました。
職員食堂の運営をしてくれていた坪井さんが握ってくれた夜食用のおにぎりを持って、大型バス1台に相乗りし、夜行で長野県の乗鞍にある「金山ヒュッテ(現在も互助会指定保養所となっています)」へ向かいました。

金山ヒュッテにて

現在では、あまりない形の職員同士の旅行ではないかなと思います。でも、この旅行があったからこそ、様々な職種の方と交流することができ、コミュニケーションが取りやすくなり、仕事上にも大変活かされていたと感じます。そして、そこで育まれた仲間意識によって、お互いへの思いやり、助け合いの心を持つ事の大切さも得る事ができました(今の聖隷では階層別研修において、様々な職種とのコミュニケーションを取ることができます)。

そして、この仲間とは「心を合わせて何かに一緒に取り組む相手」といえます。仲間意識は、役割をともにしたり、目的達成のために影響・関与し合ったりする関係性のなかで育まれます。
是非、皆さんにも、聖隷で多くの仲間をつくり、その大切な仲間とともに、未来の聖隷をつくっていってほしいと思います。

奄美佳南園 創立50周年を迎えるにあたって

皆さんは最南端の聖隷の施設がどこにあるのかご存知でしょうか。
答えは、鹿児島県奄美大島です。
奄美大島では、特別養護老人ホーム「奄美佳南園」、児童発達支援センター「のぞみ園」や「聖隷かがやき」、保育所の「春日保育園」の4施設と在宅事業も展開しています。
では、なぜ奄美大島へ事業を展開することとなったのでしょうか。

それは、今から66年ほど前になりますが、聖隷にて青年期を過ごしておられた雨宮恵牧師が、1958年の4月末に神から離島開拓の伝道者としての使命を与えられたと感じて、日本に復帰後5年を迎えたばかりの奄美へ渡りました。そして奄美での牧師活動を通じて、離島の地に福祉の必要性を強く感じ、当時の理事長である長谷川保に協力を要請しました。本土から、物的にも心的にも隔絶した奄美には、寝たきりの高齢者のための老人ホームと乳幼児の保育事業が必要と判断し、聖隷の事業を離島奄美の地で開始する事となりました。

この度、「奄美佳南園」は、2024年5月に50周年を迎えます。実は聖隷の中で最初につくられた特別養護老人ホームでもあります。
聖隷の事業が遠い奄美の地にも存在し、聖隷の仲間がともに地域のために頑張っています。
奄美大島は2021年7月26日に世界自然遺産に登録され、風光明媚な自然あふれる島です。奄美大島に旅行する機会がありましたら、改めて聖隷での奄美事業の歴史を感じていただければ幸いです。

1974年の奄美佳南園

現在の奄美佳南園

  1. ホーム
  2.  >  役員がつづるコラム「膠漆之心」
  3.  >  理事長:青木善治(2024年4月号)新入職員の皆さんへ~ひとりではない、仲間の大切さ~
PAGE
TOP
施設探す