前監事:鈴木睦明(2025年7月-特別号1)果敢に挑戦してください
私の聖隷人生は、昭和54年1月1日、聖隷三方原病院医事課から始まりました。当時、料金計算は算盤、レセプトは手書きの時代でした。暫くして聖隷浜松病院と聖隷三方原病院をオンラインで結ぶこととなり、体力勝負ということで聖隷浜松病院電算室に異動しました。電算は未経験でしたので、プログラムの作成等で悪戦苦闘の毎日でした。
昭和61年10月に法人本部企画部に異動となりますが、前年の約1年間は、国立浜松病院(現:浜松市リハビリテーション病院)の移譲計画を担当しました。残念ながら、その段階では実現できなかったのですが、この時の試行錯誤が企画部の大きな課題であった「東京都多摩ニュータウン計画」に生かすことができました。この計画書を携え、上司と共に東京都福祉局、南多摩開発本部や厚生省を訪ねました。後に知るのですが、東京都住宅供給公社(明日見らいふ南大沢の事業主体)との関係もこの計画書が縁結びとなったようです。
明日見らいふ南大沢オープン直後
宝塚エデンの園での勤務を経て、多摩計画の準備に約4年を費やし、平成8年7月に「明日見らいふ南大沢」が開設されました。この準備期間中は、都公社と喧々諤々の議論がありました。特に診療所や介護居室の設置については双方の考えが嚙み合わず、調整に苦慮しました。明日見に約7年間勤務し、その後も高齢者公益事業部に在籍したので、聖隷人生の多くの時間を「エデン事業」に携わらせていただいたことになります。
私の自慢は、どの職場でも、厳しいけど頼りになる先輩、快活で気のいい同僚、生真面目で賢い後輩達に恵まれたことです。彼らの支えで、少々厳しい場面も乗り越えることができました。
監事に就任して6年、施設を訪れる度に「聖隷」を実感しました。園児を傍らにキーボードを叩く保育園の昼食風景、傘立てまで整理された玄関、秋なのに枯葉が見当たらない施設の駐車場、地域の福祉サービスとの連携を熱心に模索する病院、地域の専門職との交流研修に注力する施設等々。そこには、患者・利用者さんに対して、より良いサービスを提供しようと努力する頼もしい姿がありました。
理事退任時は東から西まで大勢の方が駆け付け、退任パーティーを開いてくれました。
(奇しくも自分たちの結婚式と同じ会場!夫婦で驚きました)
ある種の閉塞感に包まれた昨今ですが、組織の存続には、明確な目的、外的・内的要因への上手な対応や調整等が不可欠です。聖隷の場合、いつでもなすべき役割があります。
そしてその実現には、
・職員の皆さん一人ひとりに駆動輪となっていただくこと
・互いに信頼し合い積極的な議論を重ねていただくこと
・失敗して転んでも果敢に挑戦していただくこと
これらを意識していただくことが大切だと思います。皆さんのご活躍に大いに期待しております。長い間、大変お世話になりました。心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
そしてその実現には、
・職員の皆さん一人ひとりに駆動輪となっていただくこと
・互いに信頼し合い積極的な議論を重ねていただくこと
・失敗して転んでも果敢に挑戦していただくこと
これらを意識していただくことが大切だと思います。皆さんのご活躍に大いに期待しております。長い間、大変お世話になりました。心より感謝申し上げます。ありがとうございました。