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聖隷の“旬”を届ける「i am…」

浜松市リハビリテーション病院 作業療法士


上杉 治

作業療法士の未来を見据えて
患者に寄り添いながら自らが進むべき道を走り続けたい


浜松市リハビリテーション病院は、2008年より浜松市から聖隷福祉事業団が指定管理者として受託運営を開始。225床の「生活を支える医療」の拠点として、 「えんげと声のセンター」・「スポーツ医学センター」・「高次脳機能センター」を設立し、特徴ある医療を展開。149名(※1)のリハビリテーション(以下、リハビリ)スタッフが患者に寄り添う。「患者さんのバックグラウンド・生き様に寄り添う」をモットーに、最前線で活躍する作業療法士 上杉治に迫る。

i am「上杉 治」

理想を追い求め悩んだ大学時代 そして作業療法士へ

大学時代に授業よりも没頭したライフセービング部の様子

陸上競技で求められる「スピードへの追求」に、人命救助という目的も加わることに惹かれ、大学時代に授業よりも没頭したライフセービング部の様子。

高校時代、陸上部の中長距離選手として活躍した上杉は、「1秒でも速くそして遠くに…」とシビアな世界で記録と戦う環境に身を置いていた。当時の愛読書はアスリートの生き様を描いている雑誌「Number(ナンバー)」(文藝春秋社)。雑誌に掲載されているアスリートのストイックさに憧れ、部活動も受験勉強も常に高いモチベーションを維持してきた上杉は、見事、第一志望の国立大学に合格。入学した大学でも陸上部に入部したが、タイムを縮めるということは、どういう意味を持つのだろうかと考えるようになった。
陸上競技で求められる「スピードへの追求」に、人命救助という目的も加わることに惹かれ、大学時代に授業よりも没頭したライフセービング部の様子。

そのころライフセービングに出会い、自分の能力が高まることで人を救えるという目的の明確な活動に興味を深めていった。また、専攻した体育学科の内容や部活動よりも、哲学や文学に惹かれていき、読書や映画観賞に没頭していった。アスリートとして極めていこうとする友人たちとの人生観の違いを感じつつ月日は過ぎ、気付けば4年生の就職活動の時期になっていた。周囲が次々と内定を決めていく中、上杉は自分の進むべき道が見出せないまま卒業を迎えた。

卒業後は、自動車メーカーの契約社員として働きながら、これからの自分を引き続き模索していた。当時の様子を上杉はこう振り返る。「文学や人の生き様など、自分は『人が生きていく』ことに昔から惹かれていたのではないだろうか。元来スポーツが好きなので人体にも興味がある。『人が生きていく』ことに関われ、大学で専攻した体育学の知識が無駄にならない仕事は何かと日々自問自答していました。そんな思いを実現できる職業として、自分なりにたどり着いた結論が、日常動作(着替える・箸を使う等)が困難になった人々の作業(※2)を取り戻す訓練をおこなう作業療法士だったのです」。

大学卒業後の翌年(2007年)の春、上杉は静岡県内の専門学校に入学し、作業療法士の資格取得のために学業の再スタートを切った。

作業療法士として 父として 歩みだす

双子を含む男の子ばかり3人(6歳・4歳・4歳)と全力で遊ぶ。

双子を含む男の子ばかり3人(6歳・4歳・4歳)と全力で遊ぶ。

目標を見い出した上杉は、資格取得に向けて猛勉強し、2010年、27歳で晴れて作業療法士となった。
上杉が初任地に選んだのは、資格取得のための実習を受けた伊豆地域にある病院だった。ようやく念願であった作業療法士の仕事、自身のリハビリ技術で日本を支えていくという気概。充実した気持ちで張り切る上杉。そのような時、一生懸命に対応していたはずの患者から思いもよらぬ言葉をもらった。「担当変えてよ!あんたなんかに私の何が分かるのよ」と言われた時のことは今でも忘れられないという。「1、2年目の新人時代はあれもこれもと患者さんに押し付けるばかりで、患者さんやご家族のお気持ちに寄り添えていなかった」と振り返る。上杉はこのリハビリの現場で作業療法士としての土台を学びながら、この世界で生きていく覚悟ができていくのであった。

浜松市リハビリテーション病院は同市の高次脳機能障害の拠点病院。

ちょうどそのころ、プライベートでは自らを支え続けてくれた女性と結婚し第一子が誕生した。続いて双子が誕生し、三児の父親となった。この双子の誕生をきっかけに、上杉夫妻は仕事と家庭の両立という課題に直面した。また自身が家庭を持ったことで、自らの親を思う気持ちも芽生え始めた。夫婦で話し合った結果、双子の1歳の誕生日を機に、故郷の浜松市へと戻る決意を固めた。
上杉が新天地に選んだのは浜松市リハビリテーション病院。同院は静岡県を代表するリハビリテーション病院であり、地元浜松の人たちに貢献ができることも上杉にとっては魅力的であった。前任地で感じたリハビリへの愛や熱意をより広めたいという意気込みを胸に、32歳の春、上杉は人生2回目の大きな決断を下した。

専門職としての経験を積み人を育てる立場へ 

組織の方向性を分かりやすく示してくれるリハビリ部門を統括する技師長森下一幸(右・理学療法士)と。

組織の方向性を分かりやすく示してくれるリハビリ部門を統括する技師長森下一幸(右・理学療法士)と。

「聖隷は、組織の方針や方向性を院長や技師長が丹念に説明してくれます。その大きな方針や目標を達成するために、自分の職場そして個人として何をすべきかを思い描きやすいと感じています。転職したばかりの時に、上司や先輩職員がフランクになんでも相談に乗ってくれたことも、本当に嬉しかったです」と聖隷に転職したころを懐かしく振り返る。浜松市リハビリテーション病院に入職し3年目を迎えた上杉は、1日約8人の患者を担当しており、作業療法士としての専門知識と技術を磨きつつ、新人教育を行う立場となった。 
担当する患者は、機能の回復を目指す患者もいれば、職場復帰を目指す患者まで様々である。

上杉がリハビリで大切にしているのは二つ。一つはその患者のバックグラウンドを読み解き、その人に合ったリハビリを提案していけるよう患者と向き合うこと。もう一つは患者の強みを引き出して、その強みを最大限に発揮できるように支援をすること(専門用語では「ストレングス」という)である。「その人が失った自分にとって大切な作業(※2)を、再びその人と結びつけようとする作業療法士には、その人がどんな人生を歩んできたかという『物語』を読み解く力が必要だと思います」と上杉は言う。

入院患者やそのご家族とのコミュニケーションを大切にしている。病棟の廊下で患者さんとすれ違った際に靴の様子を確認する上杉。

過去に上杉は右手のリハビリを受けている患者を担当した。その男性は人前で話すことを仕事としていた。上杉はその患者にこう伝えた。「右手が回復すればマイクが持てるようになり、以前と同じように左手を動かしながら聴衆に語りかけられますよね」。着替えのリハビリでも「右手が動けばワイシャツを着てネクタイが締められますね」。その話を聞いて、患者の目の色が変わったことを上杉は見逃さなかった。その患者にとって聖域である壇上に、ネクタイを締め、マイクを持って再び登壇する。それは、右手機能のリハビリだけではなく、生き方を取り戻すことにつながるのだ。

時に作業療法は、身体機能を改善するだけではなく、生きる活力を引き出す不思議な力を持つのである。
作業療法士になりたての頃、上杉が患者から言われた厳しい一言を今でも忘れていない。
「私自身、あの時の経験がなかったら、今の自分はないです。特に、後輩の育成には当時の経験は役立っています」。新人スタッフが陥る自分の価値観を患者に押し付けることを未然に防ぐために、「その訓練は何のためにやっているの?どんな効果を期待しているの?患者さんは今どんな想いなんだろう?」と後輩に問いかけることを心がけている。社会経験を積んだ上杉だからこそ、人材育成の重要性をより強く意識している。「転職した聖隷は人材育成方針やクリニカルラダー (※3) が整備されていて、これなら最短・最善に後輩育成ができると人材育成のシステム全般に感激しました」。

ワークライフバランスも重視 働きやすい環境作りも

毎晩の夕食の片づけと子どもたちとの入浴を日課としている「イクメン作業療法士」の上杉。

就職活動の挫折、転職、また作業療法士としてのステップアップと紆余曲折の人生を歩んできた上杉も家庭に帰れば、三児の父親であり、夫でもある。上杉には、家事や育児は妻がやるべきという考え方は無い。
「高校の英語教師として忙しく働く妻の家事や育児の負担を減らすために“手伝っている”のではなく、妻と“分担”しないといけないと思うんです。毎日子どもをお風呂に入れることと、夕食の片づけをすることは私の担当と決めています。職場にはそんな専門職がたくさんいますよ」とイクメンの顔を見せる。

日々共働きで、忙しく過ごす上杉が大切にしている家族との旅行。「私の勤める職場は、おかげ様で有給休暇も取得しやすい雰囲気なんです。昨夏も家族で北海道に5日間旅行に行かせてもらえて、本当にいい休暇になりました」。と職場への感謝も忘れない。

リハビリテーション部のスタッフルームにて同僚の作業療法士、理学療法士、言語聴覚士と。

もちろん、ただ早く帰り、休暇を取得するのではなく上杉は日々仕事の生産性を考え、残業も減らし、限られた時間の中で業務の高密度化を心掛けている。 「例えば、職場会などの話し合いの場で漠然と議論する時間を設けるのではなく、スタッフが集まって行うべきことは重要事項の伝達などに絞るべきだし、話し合いは短時間で効率よくをモットーに考えています」。そうした中で生み出した時間は、人材育成に費やす時間にあてている。

さらに、「専門職としての知識や技術の継承はもちろんですが、新人にも働きやすいと思ってもらえる体制をつくっていきたい」とワークライフバランスを自らが率先して実行することで、職員が働きやすい雰囲気づくりにもつなげている。超過勤務を減らし家族との時間を大切にするだけでなく、健康な心身を維持するためにセルフコントロールに気を付けることは、医療人として大切なことだと上杉は自覚している。

作業療法士の未来を築くためこれからも走り続ける 

2014年横浜で行われた世界作業療法学会にて。

2014年横浜で行われた世界作業療法学会にて。

上杉にこれからのことを問うとこう答えた。「2014年に、横浜で行われた世界作業療法学会に参加し、そこで欧米の作業療法士たちの空気感、確かな教養に裏打ちされた発言内容や測定方法に驚愕したんです。私は自分の感覚で患者さんへの効果測定をしているし、自己満足で終わっている部分があると思います」。上杉は自らのスキルを客観的に分析する機会を得たことで新たな課題を見出したのだ。

上杉はこう続けた「目の前の患者さんのリハビリ訓練を一生懸命やるのはもちろんですが、 作業療法の力でどう世の中を変えていけるのか?、成果指標や研究のデザインの仕方、費用対効果などの経済性や工学も含めて、エビデンスの提示方法をもっときちんと学びたい」と向学の志を新たにしている。実は勤務を続けながら、大学院への進学を考えていると、照れくさそうに語る上杉。社会情勢や医療を取り巻く環境の変化にも的確に対応できること、そのような人材にならなければならないと、上杉は自分に課せられた大きな使命を自覚している。

「生きるを支える仕事への気概、人の人生を支えていることの自負、専門職として患者さんに寄り添うことも大切にしながら、大学院で学んだことは、またここ浜松市リハビリテーション病院で還元したい」と、上杉は作業療法士の未来を見据えて、今、自分が進むべき道を明確に思い描いている。
(※1)・・・2017年6月現在の常勤職員数
(※2)・・・食べたり、入浴したり人の日常生活に関わるすべての諸活動を「作業」とよぶ。具体的には、セルフケア(着替え、トイレなど 日常的な生活行為のこと)、家事、仕事、余暇、地域活動をさす。(日本作業療法士協会ホームページより抜粋。)
(※3)・・・自分の役割や実践能力を確認し、目標を明確にできる「クリニカルラダー」をキャリア支援のツールとして導入。

浜松市リハビリテーション病院 施設概要

所在地 〒433-8511
静岡県浜松市中区和合北1-6-1
電話番号 053-471-8331
FAX 053-474-8819
開設日 2008年4月
定員・定床数 225床
施設種別
  • 医療施設
  • 健診事業
ホームページ こちらをご覧ください
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