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聖隷の“旬”を届ける「i am…」

浜名湖エデンの園 介護福祉士


井ノ口 史織

入居者の心地よい毎日を最前線で支える喜び。
日々の喜びや悲しみを分かち合い、共に生きる。


聖隷三方原病院に隣接する浜名湖エデンの園は、有料老人ホームという言葉も知られていない1973年に、今でこそ珍しくはないオール電化のマンション型居室や、毎日3食の食事や健康管理などのサービスがついていた。陽当たりのいい斜面に建つ1~6号館で構成されている大規模なホームの中では、あちらこちらで入居者が悠々自適な生活を送っている。食堂では毎日3食を気の合う方と召し上がり、図書室では好きな本を静かな空間で読み、喫茶コーナーでは入居者同士がお茶を飲みながら談笑し、多目的ホールでは賑やかなイベントが開かれる。4号館からつながる陽光が燦燦と入る心地よい廊下を進み、6号館の介護居室に着く。「今日はいいニュースがあるといいですね」と元気な声で話し掛けながら、入居者と新聞を読む介護福祉士の井ノ口の姿がある。介護福祉士として入居者を支え、日々奮闘する井ノ口に迫る。

i am「井ノ口 史織」

「人の役に立ちたい」介護福祉士としての原点

「人の役に立つ」をキーワードに福祉の道へ(大学卒業時)

井ノ口は父、母、妹の4人家族で、近くには祖父母、叔母も住んでおり賑やかな環境で育った。将来の夢は「お花屋さん、ケーキ屋さん…。うーん、ピアノの先生もいいな!」と思い描くどこにでもいる普通の女の子だった。

小学校4年生の頃、祖母が体調を崩し入院した。そしてその後、祖母は亡くなった。やるせない気持ちの井ノ口だったが、祖母の入院先で心に残る体験をしていた。院内には病気やケガをした人のために働く人があちらこちら。特に祖母の様子を度々確認する看護師の姿を見ながら「人の手助けをする、こういう仕事があるんだ」と幼いながらに感じた。「将来は人の役に立つ人になりたい」と幼い井ノ口の心に小さな目標ができた。また中学生の頃、友人が不登校になった。学校に来られるように手助けをしたいと思いながらも、関係はどんどん疎遠になっていった。友人を支えられなかったことに悔いが残った。そして「人の役に立ちたい」という気持ちが、井ノ口の心の中でより一層強くなっていった。
そんな思いは大学を決める時にも変わらず、「人の役に立てる」福祉や対人支援の仕事をしたいと思い、聖隷クリストファー大学社会福祉学部社会福祉学科へ進学した。

就職先を模索している中、専門学校を卒業し介護福祉士として就職をしていた友人から、よく仕事の話を聞いていた。「やっぱり現場は大変だよ!介助量が多く、夜勤もあって体力もいる。毎日ヘトヘトだけど、最前線で人のために働いているって感じる。すごくやりがいある仕事だと思う!」楽しそうに話す友人に触発された。「私がやりたい仕事は介護だ」。目指したいものがはっきりした井ノ口が就職先に選んだのは「自分が産まれたところ」であり、「家族が病気になったら入院、通院するところ」と身近に感じていた聖隷福祉事業団だった。

入居者の心に寄り添う介護を

いつも相談に乗ってくれた同僚と(入職当時)

いつも相談に乗ってくれた同僚と(入職当時)

井ノ口が配属となった浜名湖エデンの園は、約370名もの高齢者が入居している大規模な介護付有料老人ホームだ。ここは元気なうちから入居し、人生の最終段階まで安心して暮らすことができる。入居者は出身地もかつての職業も様々で、60代から最高齢は107歳と幅広い年齢層だ。そんな人生の大先輩でもある入居者からは学ぶことが多く、井ノ口は毎日刺激を受けていた。
 
井ノ口が配属されたケアサービス課は自立していた入居者がけがや病気などで一時的に生活支援が必要になった場合や、日常生活を送る上で継続的な援助・介護が必要になった場合に24時間の看護・介護サービスを提供する部署だ。   

介護についての勉強はしていたが、就職当初は実際の現場ではどうしていいのか分からなかった。特に認知症を持つ入居者はフロアを行ったり来たりしたり、会話もままならなかったりする。その様子を見て新人の井ノ口に戸惑いの表情が表れた。しかしやらなければならない仕事は山積み。「おトイレに行きましょう」と言って誘導しても、拒んで動いてくれない。「どうしたらいいのだろう」。なかなかスムーズにできず、悔しさと焦りが込み上げた。
ふと先輩を見ると入居者の話をよく聴き、入居者が何に困っているのか、心身の調子はどうなのか、そういったことを入居者との関わりから汲み取っていた。「介助をすることに集中しすぎてしまい、ご入居者の心に寄り添えていなかった」。自分が実施したい介助を自分のペースで声掛けをするのではなく、入居者のペースに合わせて関わるよう意識をすると「●●さん、今日は穏やかに過ごせているな」と実感する日が多くなった。

井ノ口は介護をしていくうえで、入居者のことを良く知り、今その瞬間に入居者が何を感じているのか相手の気持ちを理解しようとする姿勢が大切だと気付いた。

2013年度に浜名湖エデンの園では「パーソン・センタード・ケア」(※1)の考えを導入し、「ご入居者の視点にたった、お一人おひとりを尊重したサービス」の実践に取り組んでいる。また井ノ口は過去の経験からも、介護の仕事は感覚的に行うだけではなく、入居者の過去や現在の様子を把握し、根拠や裏付けを持って日ごろのケアを実践することが重要だと感じ、2013年に認知症ケアマッピング(※2)の研修を受講。根拠に基づいた介護ができるよう、スキルの向上に努めている。

暑い夏の「初めてのお別れ」

ご逝去後、その人らしい綺麗なお顔でお見送りできるようメイクを施す

井ノ口が初めて入居者を看取ったのは入職1年目の暑い夏の日だった。会話は難しかったが、時に井ノ口をじっと見つめ、パチパチと瞬きをするなどアイコンタクトで気持ちを伝える80代の女性。ささやかだが心の交流をもてることが嬉しかった。

彼女は数週間前から徐々に食事量が減っていった。飲み込みやすいようにベッド・リクライニング車椅子の角度を変える、飲みこみやすい食べ物に変更するなど工夫を重ね、体が弱らないようどうにか食べてもらえないかと奮闘した。しかし食事量は増えず、次第に眠っている時間が長くなり、反応が薄れていった。目で見えなくても、せめて傍にいることを感じてもらいたいと、「今朝もセミが元気ですね」「ヒマワリがたくさん咲きましたよ」と話しかける。静かだが温かな交流の日々が続く中、彼女は穏やかに息を引き取った。外で鳴くヒグラシの声が遠く、悲しげに聞こえた。

「病気じゃなくても、人は死ぬんだ」。当たり前だが、実感した。人は、祖母のように病院で治療を受けながら最期を迎えるものだと思っていた。介護とは食事や入浴、排泄介助のイメージが強かったが、人の「生」だけでなく「死」にも深く関わるのだということを痛感した。寂しさとともに心に浮かんだのは、怖さではなく「自分に何ができたのだろう」という疑問だった。

浜名湖エデンの園では、ある日突然亡くなる方もいる。「××さんが興味のありそうなニュースを見たから、今日はその話をしよう」と出勤した直後、夜勤職員からその入居者の逝去を告げられたこともあった。毎日会えることが当たり前ではなく、今日が、今が最後かもしれない。「日々できることを精一杯やらなければ」。井ノ口は介護福祉士としての在り方をあらためて心に刻んだ。

一人ひとりに心地よい毎日を

入居者の“普段通りの生活”を支えるため、互いを大切に切磋琢磨し成長できるチームを目指している(フロアスタッフと)

「入居者自身がどうしたいかを大切にしたい」と井ノ口は言う。 先日、遠方に住む家族から「足腰が弱らないように、なるべく本人を歩かせるようにしてほしい」という要望があった際も、まずは本人の気持ちを確認した。「わざわざ歩行練習をするほど動きたくはない」と本人は気が進まないようだった。井ノ口は、本人が日ごろ自室と食堂を歩行器を使って行き来しているのを知っている。普段の様子から、健康維持のための運動量は足りていると、本人の気持ちと合わせて電話で家族に伝えたところ、家族も「そういうことなら」と納得してくれた。大切な家族を預かる身として、毎日の変化を目の当たりにできる自分たち介護福祉士が、離れて暮らす家族にしっかり説明することが重要なのだ。

浜名湖エデンの園は介護が必要になる前に入居していただき、その後介護が必要となっても最期の看取りまで一つの施設内で対応できる。だからこそ要介護度が上がっても、入居者が元気な時からの習慣、こだわりを続けられるよう最大限応えたい。本人が記した自分史や入居者から聞き取った生活状況調査を元に、最期に至るまでの過ごし方について入居者や家族と相談、多職種とも支援方法について検討してから看護・介護を行う。口から食べられなくなっても、昔からコーヒーが好きな人には、コーヒーの香りだけでも楽しんでもらう。花が好きな人のベットサイドには花を絶やさず生ける。音楽が好きな人の部屋には癒しの音楽を流す。
試行錯誤の毎日だが、井ノ口は経験を重ねるにつれ、一人ひとりにとって心地よい環境づくり、ケアの提案が次第とできるようになっていった。

ここでしか得られないもの

人生の大先輩である入居者からは多くを学ぶ

人生の大先輩である入居者からは多くを学ぶ

浜名湖エデンの園の介護居室では、葬儀の際に遺族と職員で小さなお別れ会を開く。先日井ノ口が出席した会では、家族が入居者の生涯を話して聞かせてくださった。「母は神奈川で生まれ、関東大震災で被災。親戚を頼って移住後、りんご農園を始めました。食べ物のない戦時中は着物を売って私たち子どもを育ててくれたものです。父の死後、母は自分でこの浜名湖エデンの園への入居を決めました。いわゆる「エデンの園」はアダムとイヴがりんごを食べた場所とされますから、りんごに関わった母にとって浜名湖エデンの園は最期を迎えるにふさわしい場所だったのだと思います」。10分ほどの短い時間ではあったが、初めて知る入居者の人生に井ノ口の心は震えた。
 
家族からの手紙には、「5歳の時から働いて、働いて生活してきた母。人生の終わりにこんなに温かな人に包まれて心安らかな生活が与えられるとは。まさに生きていて良かった。感謝・感謝でした。職員の方々の温かい心で旅立たせていただきました。これからもすばらしい職員がいっぱい育ちますように」と記してあった。信頼し任せてくれたことが何より嬉しかった。「自分の老後を自ら考え、浜名湖エデンの園を選んでくれた入居者の望む生活を叶えたい」。井ノ口は、日々の小さな喜びや悲しみを分かち合いながらその人を知り、必要な支援を専門職として提供する。人生の幕が下りるその時まで、その人らしく過ごせるように。

小柄な身体にみなぎるパワーを秘め、今日も髪をアップにまとめ井ノ口は気合十分。「おはようございます!お加減いかがでしょうか」。フロアに凛とした声が響く。
※1パーソン・センタード・ケア…その人を取り巻く人々や社会とかかわりをもち、人として受け入れられ、尊重されていると、本人が実感できるように、ともに行っていくケアをいう。認知症をもつ人を一人の「人」として尊重し、その人の立場に立って考え、ケアを行おうとする認知症ケアの一つの考え方。この考え方は、自然科学や神学を修めた後に老年心理学教授となったトムキットウッドが、1980年代末の英国で提唱したもの。

※2認知症ケアマッピング(Dementia Care Mapping )…認知症をもつ人々が過ごすグループホームなどの施設内で、彼らがどの程度よい状態かよくない状態か、また、どのような行動をしているのかなど、認知症を持つ人に焦点をあてて観察する評価方法。

浜名湖エデンの園 施設概要

所在地 〒431-1304
静岡県浜松市北区細江町中川7220-99
電話番号 053-439-1165
FAX 053-439-1991
開設日 1973年5月
定員・定床数 409室
施設種別
  • 介護付き有料老人ホーム
ホームページ こちらをご覧ください
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現在建築中の浜名湖エデンの園1・2号館の完成予想図

現在建築中の浜名湖エデンの園1・2号館の完成予想図
2020年春の完成が待ち遠しい

開設当時の浜名湖エデンの園(1973年)

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