「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」
テサロニケの信徒への手紙一5章16~18節
日本キリスト教団遠州栄光教会 牧師 星野 健
「いつも喜んでいなさい」という聖書の言葉は、先月の聖句の「求めなさい、そうすれば与えられる」という言葉と同じように、積極的で前向きな響きのする言葉です。でも、ほんとうにそのように生きようとしたら、何時間かで挫折してしまうのではないでしょうか。
でもこの「喜んでいる」というのは、いつも嬉しい気持ちでいるとかハッピーな気分でいることではありません。絶えず祈ることによって、嬉しいことがあったら幸せで悲しいことがあったら不幸せという表面的な命よりももっと大きく、尊い、ほんとうの命の輝きへ、神が招き、導いてくださいます。
この園で先生方と子どもたちがいつも祈り、コンパスの針がいつも北を指すように、悲しみや痛みのなかでも、わたしたちの心が喜びの方へ向き、感謝が満ち溢れる道へ、ともに招かれます。
テサロニケの信徒への手紙一5章16~18節
日本キリスト教団遠州栄光教会 牧師 星野 健
「いつも喜んでいなさい」という聖書の言葉は、先月の聖句の「求めなさい、そうすれば与えられる」という言葉と同じように、積極的で前向きな響きのする言葉です。でも、ほんとうにそのように生きようとしたら、何時間かで挫折してしまうのではないでしょうか。
でもこの「喜んでいる」というのは、いつも嬉しい気持ちでいるとかハッピーな気分でいることではありません。絶えず祈ることによって、嬉しいことがあったら幸せで悲しいことがあったら不幸せという表面的な命よりももっと大きく、尊い、ほんとうの命の輝きへ、神が招き、導いてくださいます。
この園で先生方と子どもたちがいつも祈り、コンパスの針がいつも北を指すように、悲しみや痛みのなかでも、わたしたちの心が喜びの方へ向き、感謝が満ち溢れる道へ、ともに招かれます。