「ここに愛があります」ヨハネ4章10節
日本キリスト教団 中遠教会
兵藤辰也牧師
先日我が家の子どもが「バケモノの子」というアニメ映画を見ていました。私も脇から眺めました。ストーリーの中に小さなエピソードが幾つかありましたが、その1つが「私は誰?私は愛されている?」という疑問が主人公の中にありました。この疑問は登場人物たちの中にそれぞれの形で潜んでおり、それぞれがこの事に人知れず悩んでいるのです。こんな疑問とまともに向き合う事は難しいので、普段は心の奥底にしまってあるのです。
映画の中で「私は愛されている?」という疑問にまともに向き合った主人公がまず思いつく事、それは「誰も私を愛していない」という思いでした。この思いが主人公を破滅へと追い立てようとしますが、その瞬間にもう一度自分のこれまでの人生を振り返る思いも湧いてきます。そして自分にも自分を愛してくれる人がいることに目が開かれ、破滅に陥らずに済む、こんな場面があります。
聖書を読んでいくと「愛がありますか」と真剣に問いただされます。更に聖書は「愛されるはずのない私」がいることそして「そんな私をさえ愛してくれる人がいる。ここに愛がある。」これら2つのことに気づかせてくれるのです。
日本キリスト教団 中遠教会
兵藤辰也牧師
先日我が家の子どもが「バケモノの子」というアニメ映画を見ていました。私も脇から眺めました。ストーリーの中に小さなエピソードが幾つかありましたが、その1つが「私は誰?私は愛されている?」という疑問が主人公の中にありました。この疑問は登場人物たちの中にそれぞれの形で潜んでおり、それぞれがこの事に人知れず悩んでいるのです。こんな疑問とまともに向き合う事は難しいので、普段は心の奥底にしまってあるのです。
映画の中で「私は愛されている?」という疑問にまともに向き合った主人公がまず思いつく事、それは「誰も私を愛していない」という思いでした。この思いが主人公を破滅へと追い立てようとしますが、その瞬間にもう一度自分のこれまでの人生を振り返る思いも湧いてきます。そして自分にも自分を愛してくれる人がいることに目が開かれ、破滅に陥らずに済む、こんな場面があります。
聖書を読んでいくと「愛がありますか」と真剣に問いただされます。更に聖書は「愛されるはずのない私」がいることそして「そんな私をさえ愛してくれる人がいる。ここに愛がある。」これら2つのことに気づかせてくれるのです。