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「交流ひろば‘‘まな’」

昨年度から今年度のはじめにかけて、和合愛光園2号館の周囲を整備しました。
和合せいれいの里内に入ってこども園めぐみの駐車場に入る途中に「交流広場 まな」と書かれた門、門扉があります。そこが「交流広場 まな」です。既存の築山に滑り台を付け、球型の変形ボルダリングを設置したり、新たに設置した遊歩道を通って奥には乳児用の遊具や砂場があり、芝生も植え、保育園やこども園の子どもたちも安心して遊べるようにしました。
ところが、夏の間にあっという間に雑草がニョキニョキと伸びて、いつの間にか遊ぶスペースが無くなっていました。(ビックリ)
保護者会の皆様には、奉仕作業として草刈を当初年間で2回計画しましたが、今回急きょ年度の半ば(9/30)でお願いすることになりました。ご協力ありがとうございました。
交流広場「まな」は、保育園やこども園の子どもたちだけでなく、親子広場に来られた親子や和合せいれいの里を利用していただくすべての方々の交流の場となればと思っています。
和合せいれいの里には幸いにも高齢者、何らかの障がいをお持ちの方、乳幼児と様々な方々が生活しています。私たちの社会はこうした様々な方々との交流は意識的に、意図的に交流の機会を設けて行うことが多いように思います。しかし、ここでは散歩の途中や園庭で遊んでいても色々な方々に出会うことができます。そこで子どもたちは、自分と違っていることに気づき、子どもたちはその違いを「変な顔!」「指が無い!」「お話しても知らん顔してる!」等とストレートに口にします。それは自然な子どもの「どうして?」「なぜ?」の疑問からなのです。そうした子どもの疑問を、「相手を思いやって言ってはいけないこと」として子どもに伝えると子どもはそれ以上そうした方々と関わろうとしません。言ってはいけないことだと覚えるからです。(勿論、子どもの成長発達によっては、その言葉が果たして適当であったかは子どもに促します)相手を知るための疑問ですから、子どもといっしょに考え「どうしてだろうね?」と子どもに問うと、子どもはそれなりに色々考えます。そして「相手を知っていく」のです。「相手を知る」ことは「相手を理解する」ことに繋がります。
違う者同士がそれぞれに自分を主張してもまずは交わることはないでしょう。「相手を知る」ためには「自分と違う」という気づきも必要なのです。 ここ和合せいれいの里には子どもたちにとっても色々な方々との交わりがあります。
「交流広場 まな」はそうした交流の場になることを望んでいます。
追 記
「まな」の由来は、ひとつは和合愛光園の‘愛’の一字をとって、ここでは‘あい’ではなく ‘まな’と読み、もうひとつは旧約聖書から神さまから与えられた食べ物でマナというものがあります。そこから付けました。
マナは「その日必要な分だけ与えられ、翌日の分として残しておいても翌日は腐ってしまった」とあります。神さまはどんな時でもその日に必要なものは与えて下さいます。
<「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」:マタイ:6 34>