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「自己との対話」で「自分を愛する」

新年 明けましておめでとうございます。
昨年4月に開設され、期待と不安でのスタートでしたが、皆様の温かなご支援や励ましによって無事2018年を迎えることが出来ました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
2018年の新たな年を迎え、毎年のことながら「今年は、自分にとってどんな年になるのかなあ」、またこの年齢まで生きてくると社会の変化の気づきも確かなものがあります。ですから「これからの社会はどんな風になっていくのだろうか」と併せて少しばかり考えるようにもなりました。
私は、30年以上前に受けたカウンセリングの研修で『自己との対話』を知りました。それは、神様との対話である“祈り”にも通じているようにその時思いました。
今年元旦の朝日新聞の「一瞬のハッピーがあれば、人はまた走れる」の見出しの記事から、現代社会に生きる私たちを、平成のライフスタイルの変化を前半と後半を数字で比較していました。
それによると、CDの生産額やカラオケの一組当たりの利用人数は減り、個人写真の数は増えているということです。
そこから見えてくるものは、「色々な人たちによって構成されていた社会という括りが、少しずつ小さな括りの社会になってきている」と、紅白歌合戦の事例やカラオケ利用者の最近の様子からの記事が載せられていました。
『そうした社会の中では、否応なしに自分と向かい合うことが必要になってくる』とあり、「暇と退屈の倫理学」の著者の國分巧一郎(高崎経済大学准教授)との話で、「“暇”は『自分で自分のすることを決められる自由』」で「“退屈”は『満たされない状態』」だとし、『“暇”だからと言って“退屈”しているのではない』とありました。また、ユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントの『“孤独”と“寂しさ”は違う。“孤独”とは自分自身と一緒にいること。自分と一緒にいられない人が“寂しさ”を感じ、一緒にいてくれる人を求める。だから自己と対話ができない。“孤独”にならなければ、人はものを考えられない。“孤独”こそ現代社会に失われているもの』と記されていました。
記者のSNSに投稿した綺麗だと思った花火の写真も「いいね」が13。内なる自分が言う『「いいね」が1だろうと1300だろうと、今まで見てきた一番美しい花火だったことに変わりない』。もう一人の自分が答える『当然だ。人と比べてばかりいたらすべてが面白くなくなる。この感覚が多分ハッピーだ。』と記されていました。 そうです! この感覚が、「自己との対話であり」、「自分を愛する」ことでもあるのです。
「自己との対話」や「自分自身と一緒にいる」は、あのカウンセリングの研修で学んだものに通じています。
今、幼児クラスで、「気持ち絵カード」を使って今の自分の気持ちを知り、その気持ちはどこからくるのかを考えて、友だちにも伝えるようにする保育を始めました。自分の気持ちを考えることは「自己との対話」です。
「自己との対話」は果たしてどこまでできるのかは始めたばかりで未知数ですが、少なくともこうした保育を通して少しでも『自分を愛する』ことができるようになればと願っています。