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「子育てをたのしむ」

以前、私が磐田で「磐田子育て支援総合センター」に関わっていた時に、離乳食で一時的に育児ノイローゼを思わせる母親から相談を受けたことがあります。
初めて授かった赤ちゃんを生まれてからそれは、それは、大切に丁寧に育て、さて離乳食の段階に入ると、「本に書いてあるとおり一生懸命食べてもらおうと作ってもまったく子どもは食べてくれない・・・。そんな日が何日も続くと今度は、「どうやって作ろうか、どうしたら食べてくれるだろうか」と外で子どもをバギーに載せて散歩している時でも考えてしまって外の景色や子どもの表情はまったく見えなくて、いつも離乳食のことが頭にあって・・・、どうしたらいいのでしょうか?つらいです」と話されたのです。皆さんはいかがでしょうか?
これほどまでにならなくても、「一生懸命手間隙かけて作った離乳食もひとさじ口に入れても出してしまい、少しでも食べてもらおうと口元に持っていっても口を開いてくれない」といった経験はあるのではないでしょうか?
一生懸命作れば作った程、食べてもらえなった落胆は大きいですね。こうした事例は極端かも知れませんが、ここまで悩まないにしろまた離乳食に限らず色々な場面で『子育ては大変だ!』と思われたことも多いのではないでしょうか。
私はこの母親に「上手に手抜きをしましょう」と提案しました。いつもいつも手間隙かけて作らなくても、「ベビーフード」も合わせて利用することを勧めました。「食べてくれなかったらベビーフードも良しです」と。
しかし、「エッ!ベビーフードですか!?」と言われました。「ベビーフードは母親としては使いたくない!自分が作ったものを食べさせたい。大切な大切なこどもだから・・」と思わせるような発言で、また手作りすることが愛情表現であるように思われていたようでした。しかし、散歩にでても子どもの様子も空の色も草花も、鳥の声も目にはいらない、聞こえない母親を子どもは喜ぶでしょうか?「小さいからわからない」のではありません。子どもは感じています。自分のことを大切にしてくれる大人がいつもそばにいてくれる。それは立派な離乳食を手間隙かけて作ってくれたとしても暗い表情で接しられたら、子どもは大切にしてもらっていると感じるでしょうか?
子どもと接するときは、時間的な余裕も必要ですが、それだけではなく心の余裕がないと子育てを楽しめないし、子どもは『自分は大切にされている』と感じることも少ないように思います。
今回、夕食提供を試験的に3月に試みます。まずこれは園として、①子どもの生活リズムを考えたら、就労してお迎えの遅い方については、園で早めの夕食を済ませることで、子どもの早寝、早起き、朝ごはんの生活習慣、それは人間として生きる基本を身につける。(現代はあまりにも子どもが大人の生活に振り回されている現状があります)そしてそのことが、②保護者の方にも余裕を持って子どもに接してもらえたらきっとそこから子育てを楽しむことを味わっていただけるのではないかと期待しての試みです。決して、今までの働く親側に立った子育て支援とは違うことをご理解いただけたらと思います。