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ホーム  > 園長コラム  > 「ボーっと生きてんじゃねーよ」   ~チコちゃんに叱られる~

「ボーっと生きてんじゃねーよ」
  ~チコちゃんに叱られる~

新年 明けましておめでとうございます。
今年のお正月は穏やかな静かな3が日でした。元日の初日の出(御来光)を仰ぎ行かれた方もあったのではないでしょうか。私のところにも御来光を仰ぎに行かれた方から御来光(初日の出)の写真が元日に送られてきました。
 「なぜ、初日の出を御来光と言うのか?」をチコちゃんに聞かれたら私はきっと答えられません。チコちゃんに『ボーっと生きてんじゃねーよ』と叱られそうです。
この番組をご覧になっている方もおありかと思いますが、NHKの「チコちゃんに叱られる」という番組で、5歳のチコちゃんが色々日常的な疑問を大人に質問するのですが、それに答えられないとチコちゃんから『ボーっと生きてんじねーよ』と叱られてしまうという番組です。この番組は、子ども目線もありますが、番組を通して色々な疑問に大人も考えながら学んでいくといった内容です。
子どもはその時疑問に思ったことを大人に問います。子どもの何気ない疑問に私たちは応えていますか?「大きくなったらわかるよ」「学校へ行ったら教えてもらえるよ」「そんなこと聞かれても・・・難しいな」「子どもはそんなこと知らなくてもいいの」などと子どもの疑問、質問に対してあまり考えないであやふやにしてはいないでしょうか。きっとチコちゃんがそばにいたら「なんだ!その答えは!ボーっと生きてんじゃねーよ」と叱れそうです。
 便利になったコンビニを始めとしてスマホを使っての便利な生活は日ごとに拡大しながら、これからますますAI(人工頭脳)によって私たちは “考える”必要がなくなる生活がやってくるといってもいいでしょう。<ボーっと生きる?!>
“考える”と言えば、最近の若者は“考えない”<ボーっと生きる?!>という記事を読んだことがあります。その理由として<生活そのものが考えることを必要としなくなり漠然と日々を過ごしていること>、もう一つは<『生活しにくい、苦しいのはなぜ?』、『自分はこれからどうしたい、そのためには今は何をしたらいいの?』、『自分が生きている目的は何?』など考えても解決策が見いだせない息苦しい複雑な社会構造>が理由としてあげられていました。「派遣で仕事をしても不安はあるが、正規職では雇用してもらえない」「結婚したくても今の給料では不安」、「子どもは3人ぐらいほしいが教育費を考えると・・」等々。<こうしたことは“自己責任”だけで解決できるものではないため、“考える”こと自体が空しくなって“考える”ことを止めてしまった若者>とありました。
 『人間は考える葦である』とブレーズ・パスカル(仏の哲学者・物理学者・数学者・思想家)は「パンセ」で書いています。
人間は自然の中で生きている弱い葦のようなものだが、“考える”ことが出来ることに人間としての偉大さと尊厳を示した言葉だとされています。
 考えることをしなくなったら人間ではなくなります。どうぞ今年はチコちゃんから「ボーっと生きてんじゃねーよ」と叱られないように少しでも人間として“考える”ことを意識し、自身の存在をみつめる年にしてみませんか。きっと何かが変わるかもしれませんよ。