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ホーム  > 特色と取り組み  > 令和6年能登半島地震における災害派遣医療チーム活動(DMAT等)

令和6年能登半島地震における災害派遣医療チーム活動(DMAT等)

この度の地震により被災された地域の皆様に心よりお見舞い申し上げます。

当院では静岡県からの要請に基づき、災害派遣医療チームの派遣を行いました。

近況報告

2月2日 DMAT(第6班陸路)がメディアからの取材を受けました。

DMAT(第6班陸路)のうち当院の職員3名が今回の活動について静岡新聞社からの取材を受けました。
取材のやり取りの一部を紹介します。

〈取材対応者〉
看護師  :山根 康裕
看護師  :高山 祐輔
業務調整員:鈴木 涼亮(診療放射線技師)

【今回の活動】
現場での活動 1月26日~1月27日
搬送調整・・・山根看護師
福祉・・・高山看護師
物資、記録等・・・鈴木技師

【搬送調整について】
病院から後方病院への搬送が主で、依頼内容を見て搬送中、搬送先で医療行為が必要か等を判断し搬送の方法(DMATの車or自衛隊の車or民間救急の車)を石川県の本部と調整した。

【1.5次避難所、2次避難所への搬送は?】
元々はDMATが調整を行っていたようだが、今回の活動に入ったときには施設間や自治体で決めることが出来る段階にいた。

【福祉の活動について】
輪島市内の福祉施設は施設の損壊やスタッフ不足等で全員避難させる方針になっていた。
今回活動時は、最後の施設に3人残っており搬送が行われる段階だった。

高山看護師と山根看護師は、要介護の方が避難所で活動量が下がることで状態が悪化した方に対して、輪島市内で受け入れ施設を立て直せるか視察を行った。
実際視察に行った介護施設は2階は倒壊していたが1階は比較的無事な状態であった。
被災時には核となる施設のため、スタッフの意識も高く被災後の物品の整理なども進んでいた。

【輪島市内の介護施設を立ち上げるニーズはあるのか?】
要介護の人も2次避難になると元々の生活圏から遠くなり、いつ帰ってこれるか分からないため地元に残りたいニーズは多かった。

【地元に残りたいニーズも多いと思うが、1.5次、2次避難の必要はあると思うか?】
被災者のニーズはあると思うが、ライフラインの問題や被災地で働く人達が疲弊することを考えても避難をして被災地の人を減らすことが重要だと感じた。

【今後、静岡県に起こりうる災害に対して、今回の活動を通して活かせることはあったか?】
能登半島では地形的に支援のアクセスが困難になったので、同じような状況に陥る可能性がある伊豆半島などは予め想定しておくことが必要ではと感じた。

・今回の活動について一言

高山看護師:
「今回は災害時の福祉施設の現状など実際に見ることが出来た貴重な体験でした。今後、院内の防災対策や地域との活動に活かしていきたいです。」

山根看護師:
「災害時には病院の周りの施設や人とのコミュニケーションが大事だと感じたので、普段から関係性をより深くしていきたいです。また、今回のDMATは聖隷浜松との混合チームでしたが、このように同じ事業団の繋がりを普段から強くすることで災害時にも活かせると思いました。今回被災地へ応援をした上で自分たちが被災した事を想定すると、被災側がDMATなどの応援に対して早くから引き際を意識することで結果的に自立が早まると感じました。」

鈴木技師:
「今回初めてDMATの活動に行きましたが、自立を促すためにも深入りした応援はせず、地域の人の手助けをする意識で支援することが必要だと感じました。地元の方の感情としても、DMATの応援に助けられるよりも普段の医師や看護師に助けられた方がいいのではないかと思います。」

DMAT(第6班陸路)の近況 (1月26日~1月28日帰院)

1月26日は双胴輸送船である「ナッチャンworld」に宿泊になります。
「ナッチャンworld」は、東日本フェリー株式会社が運航していた高速フェリーで、青森と函館を結ぶ航路に就いていましたが、現在は防衛省が民間企業と契約し運用しているようです。
今回の震災では、災害対策拠点として活用されています。

※画像は個人情報が含まれる部分は画像処理しています。

本日の活動を終え、ほっと一息

船内の休憩スペースが就寝場所

1月27日
本日も昨日に引き続き輪島市保健医療福祉調整本部にて搬送調整の活動を行いました。

自衛隊の方とのミーティング風景

山根看護師と髙山看護師は、輪島市内の介護施設を訪問し、要援助者が受け入れられるかどうか視察しました。

引き継ぎなどを行い、最後に本部長に挨拶をして今回の活動は終了になりました。

吉岡医師と輪島市保健医療福祉調整本部 本部長

1月28日
DMAT(第6班陸路)16時頃 無事に帰院しました!

今回の活動で発災から続いていた当院の陸路でのDMATの支援は一区切りしました。
被災地では、元日に発生した能登半島地震から、まもなく1カ月がたちますが状況の変化に応じたニーズに細やかに対応するため、DMATだけではなく、各学会からの応援など色々な団体の活動が増えているそうです。
当院も今後も様々な形で引き続き支援を続けていきます。
被災地の一刻も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

DMAT(第6班陸路)の近況 (1月25日~1月26日)

1月25日は安全を考慮し、輪島まで行かずに氷見市で宿泊しました。

1月26日6時に氷見市を出発し、9時に輪島市役所の輪島市保健医療福祉調整本部へ到着しました。

本日の任務は、輪島市保健医療福祉調整本部にて搬送調整係を指令されました。

輪島市の病院・医療機関から搬送する患者を、どの病院に、どのDMATが、どの搬送手段で搬送するのか金沢以南保健医療福祉調整本部と調整する活動をしています。

※画像は個人情報が含まれる部分は画像処理しています。

オンラインストレージを使用して資料を共有し、クロノロ(壁に貼ってある紙)で情報共有しています。
クロノロ・・・災害時緊急時の状況や活動の内容を時系列に記録、整理した情報

2024年1月25日 8時05分 DMAT(陸路)出動

1/25 8:05に陸路のDMATが当院から出動しました。

当院として、6班目の出動となります。

本日は、まず参集拠点である輪島市保健医療福祉調整本部へ指令を受けるために向かいますが、天気予報では北陸の日本海側で雪が続き、積雪の増加に警戒が必要とされているので、高度救命救急センター長の早川医師から「無理をしないように、くれぐれも安全第一で!」と送り出されました。

今回のDMATは聖隷浜松病院との混合チームになっています!!

〈派遣スタッフ〉
医師 聖隷浜松病院 外科:吉岡 義朗
看護師         :山根 康裕
看護師         :高山 祐輔
業務調整員       :鈴木 涼亮(診療放射線技師)

※画像は個人情報が含まれる部分は画像処理しています。

DMAT(第5班陸路)が無事帰還しました!!

DMAT(第5班陸路)が1月22日14:59に帰院しました。

無事を祈っていた職員達に温かく迎えられました。

今回の派遣メンバーの尾藤医師は
「日本DMATの資格を取ってからは初めての活動でしたが、他のメンバーのサポートのおかげで役割を果たすことが出来ました。」と報告されました。

DMAT(第5班陸路)の近況(1月19日~1月21日)

1月19日から活動場所は輪島市町野町の避難所となり移動
道路は土砂崩れなどで移動にも時間がかかります。

※画像は個人情報が含まれる部分は画像処理しています。

町野町は周りの家屋は8割ほどが倒壊しているそうです。
今回の活動場所は輪島市町野町の避難所。
避難所はもともと町野で唯一の小中学校が合併している施設です。
2つある学校の体育館には現在でも200人ほどが避難生活をしています。
集団避難も行われていますが、この地域に残っているのは地元に残ることを選択した地元の方。
一部の方を除き、この学校に登校していた生徒や親はほとんど避難をしたそうです。

避難所の様子と活動していた中学校の教室。
築年数が新しいのでダメージは少ないですが、活動する部屋の横の天井が崩れています。
DMATはこの部屋で寝泊まりしました。

活動場所の横の部屋の天井が崩れている

町野町は、支援物資により衣食住が充足してきており、医療についても地元のクリニックの医師を中心に成立しつつありました。
もともとこの地域は自助、共助の意識が強い地域であり、まだ災害後間もないですが、様々な問題を自力で解決しようと奮闘しています。

今回の活動は、自立しつつあるこの地域のサポートを市役所や地域の消防、派遣された自衛隊とともにおこないました。

21日は後続の沼津市立病院のDMATに引き継ぎました。
輪島の本部DMATとWEBミーティングをして、今回の活動は終了です。

DMAT(第5班陸路)の近況(1月17日~1月18日)

【1月17日】
岐阜県高山市で聖隷浜松病院DMATと引き継ぎを行う。
日没までに輪島市へ到着できず、夜間走行は危険なため氷見市内で宿泊となった。

【1月18日】
早朝、氷見市を出発し輪島市役所 門前総合支所到着後、輪島市保健医療福祉調整本部のミーティングへ参加。
午前中の活動は地域の避難所のスクリーニングに2カ所伺う。
午後から一般車の進入が難しい悪路を自衛隊帯同にて走行。
その先の避難所の段ボールベッドの設営を行う。
避難所にベッド設営するにあたって、避難所内の物資を自衛隊、他DMATと運び出した。

※画像は個人情報が含まれる部分は画像処理しています。

輪島市役所 門前総合支所

避難所

坂下看護師と自衛隊員

避難所内の物資運び出しの様子

Drヘリチームに今回の活動のお話を聞きました

Drヘリでの活動を終えた有賀看護師に写真を提供いただき、今回の活動についてお話を伺いました。

今回の活動は、能登町の病院から金沢大学病院へ、もう一軒は穴水町の病院から金沢大学病院への搬送の2件でした。

このうち1件は気胸で胸腔ドレーンが留置された低酸素血症の新型コロナ感染症患者だったようです。(陽性と判定されている患者のヘリ搬送はおそらく当院が初だそうです)
※胸腔ドレーン…肺を広がりやすくするために胸腔(肺などの臓器が入っている空間)の気体を出すためのチューブのこと

いつもの搬送より、さらに厳重な感染防護具を身につけての搬送は大変な活動だったと思いますが、有賀看護師は「いつも通り(普段の救急室での対応)のことをやっただけ」と語ってくれました。
普段から感染症対策を確実に行い、身についているおかげで、このような特殊な状況でも冷静に活動できるというの事を感じました。

被災は続きますが、感染症も広がっていることで病院の状況も変化しているようです。
陸路では場所によって搬送に数時間かかることもあるようなので、新型コロナ感染症患者の搬送はハードルが高く、まだまだ空路の需要は続きそうです。

※ヘリからの写真は患者搬送中に撮影した写真ではありません。

石川県地図とヘリ所要時間

金沢大学病院ヘリポートにて

2024年1月17日 16時48分 Drヘリチームが帰還しました

1月17日 16:48 ヘリチームが無事帰還しました。

本日は2件の搬送を行ったそうです。

明日以降、被災地では暫く天候が崩れると予報されているため、貴重な活動となりました。
※天候が悪いなど安全飛行ができない場合はDrヘリは活動できない。

2024年1月17日 7時51分 DMAT(陸路)出動

Drヘリの出発を見送った後に、陸路でのDMATが出動しました。
今回の災害において、当院としては5班目の出動となります。
本日は、まず参集拠点である輪島市保健医療福祉調整本部へ指令を受けるために向かいます。
被災地での活動期間は1/18(金)~1/21(日)を予定しています。

〈派遣スタッフ〉
四肢外傷治療科医師:尾藤 博信
看護師      :杉山 貴之
看護師      :坂下 亮
業務調整員    :花元 丈彦(事務職)

※画像は個人情報が含まれる部分は画像処理しています。

2024年1月17日 7時42分 Drヘリチーム出動

静岡県からの要請がありDrヘリチームの派遣が決定し、7時42分当院を出発しました。
被災地では空路での搬送の需要が続いているため、病院間の患者搬送を主な目的として派遣され、本日日没まで活動する予定です。

〈派遣スタッフ〉
四肢外傷治療科医師:原田 薫
看護師      :有賀 崇博

DMAT(志賀先生)近況報告

当院救急科の志賀先生がDMATロジスティックスチーム3次隊として、1/11~1/16の6日間、能登町で支援活動を行っています。

被災地の能登半島では上下水道が充分には復帰せず、寒さも続く中、厳しい状況が続いています。
災害対応も亜急性期に入り、能登町にも、DMAT以外の沢山の組織や団体が支援に入っています。

能登町役場の4階に能登町保健医療福祉調整本部が設置され、志賀先生はこれらのまとめ役として、要望と資源の調整を行っています。

現場で活動している志賀先生からコメントをいただきました。
「自分は本部長として、全体の調整を担当しています。支援活動を通して、受援側・支援側、それぞれの立場から、沢山の意見を頂いています。
大切なのは、「受援者は被災者である」ことを常に意識する事だと感じています。
支援はまだまだ続いていきます。被災地の復興を願っています。」


※画像は個人情報が含まれる部分は画像処理しています。

活動の様子 志賀先生は左から3番目

能登町役場の外の様子

2024年1月11日 志賀医師 DMATとして出動

〈今回のDMAT派遣スタッフ〉
救急科医師:志賀 一博

1月11日 静岡県からの要請により志賀先生がDMATとして出動しました。
今回はロジスティックチーム隊員として派遣されており、能登町役場内の能登町地域医療救護活動支援室にて活動される予定になっています。
ひとりでの出動は心細いかと思いますが、出発時には誇りと不安が入り交じった表情をされていました。

※画像処理しています

DMAT(第2班陸路)がメディアからの取材を受けました!!

DMAT(第2班陸路)に帰院した4名にメディア各社からの取材を受けていただきました。
取材のやり取りの一部を紹介します。

〈今回のDMAT派遣スタッフ〉
四肢外傷治療科医師:原田 薫
看護師      :有賀 崇博
業務調整員    :鈴木 友也(看護師)
業務調整員    :小泉 崚 (臨床検査技師)

・今回の活動内容について
活動の内容は大きく分けて2つ
①病院避難:本部業務 珠洲市総合病院入院患者の院外への搬送
 原田医師、鈴木看護師が担当
②診療支援:発災から病院を支える珠洲市総合病院のスタッフの支援
 有賀看護師、小泉技師が担当

・活動状況
余震による緊急地震速報で朝起こされることもあった
珠洲市総合病院は海抜7mに位置しており、津波が来たら逃げられないため常に危機感があった
リハビリ室の床に持参した寝袋で寝泊まりしていた

・珠洲市総合病院の被災状況
病院周辺は家屋の倒壊など被害が大きかったが、病院の建物は比較的無事だった
電気は供給されていたが水が供給されていなかった
病院の貯水タンクは損壊のため2つのうち1つが使用できない状況だった
水の補給も十分ではなく、トイレの水も流れない状況で、病院から常に節水と周知されていた 

・印象に残った症例について
地震発生からおよそ124時間たった6日夜、石川県珠洲市で倒壊した住宅から救助された珠洲市の93歳の女性の救命にあたった
がれきなど長時間重量物に挟まれていた人を急に救助すると突然腎不全や急性循環障害(ショック)などを生じる『クラッシュシンドローム』の可能性があった
珠洲市総合病院はもともと急性期病院ではないので集中治療室にてDMAT隊がメインで治療にあたった
他のDMATと連携し減張切開(皮膚切開により患部の腫脹の圧を下げる)と低体温に対する治療などを行った

・今回の活動について一言

原田医師
「被災は続いていて、自分たちだけ帰ってきた状況なので、自分たちができることは精いっぱいやったが、珠洲市の方々はまだまだ苦しんでいる状況なので継続した支援が必要だと感じました。
自分の今までの経験(原田医師は昨年トルコの地震に対して海外派遣の経験がある)を全て活用した上で、仲間たちのサポートもあり今回のミッションを遂行できました。」

有賀看護師
「今回の自分の主な活動は病院の職員を助ける活動をしていました。
患者さんはもちろんですがスタッフの肉体的、精神的負担を軽減させることを念頭に置いていました。
現地のスタッフは人的資源が少ない中でいつも通りの医療を提供できないことが負担になっていたので、我々DMATがサポートすることで解消できるように努めました。
被災地だから助けられない、しょうがないというのはとても残念です。
やれることはすべてやる。助けられる命は精いっぱい助ける。災害がなかった時以上の治療を目指して支援をしました。」

鈴木看護師
「現地に行った者だけでは限界があり、早川先生をはじめいろいろな周りのサポートの上で今回のミッションが成り立ったと感じました。
現地の病院のスタッフは、全員が被災者です。自分たちは帰ってこれますが、彼らは今後も続くのでその中で医療を続けていかなければならないことを思うと、より強く支えたいという気持ちになりました。」

小泉技師
「自分は今回が初めてのDMATの活動でした。活動は主に病院の中の災害対策本部にいましたが、病院の中で医療的なことでなくてもどんなことに困っているのかを感じました。
現地のスタッフの疲労を感じていたので、スタッフが休息ができるような支援を心がけました。
原田先生が現地の病院長に対してDMATを代表して、我々が出来ることはなんでもしますと言ってくれました。
医療をするだけでなく、できることは何でもして患者だけでなく医療者をも助けたいというスタンスにとても感動し、共感しました。」

今回はDMATのメンバーがいかに大変なミッションに誇りを持って挑んだかという貴重なお話をいただけました。
原田医師、有賀看護師、鈴木看護師、小泉技師、お疲れの所、取材にお答えいただきありがとうございました。

DMAT(第2班陸路)が無事帰還しました!!

DMAT(第2班陸路)が本日15:30に帰院しました。
被災地での余震におびえながら、過酷な環境での活動を経て、安全とは言えない悪路を通って帰って来るDMATメンバーのことを職員はずっと心配していました。
DMATメンバーが車から降りてきた顔を見た瞬間、職員は安堵の表情を見せました。

帰還の挨拶

院長からのねぎらい

記念撮影!

活動の報告

病院へ

DMAT(第2班陸路)の近況(1月9日~1月10日)

DMAT(第2班陸路)の近況

【1月9日】
2:47〜9:00 ER夜勤支援を有賀看護師、友也看護師で行う。
8:05~11:10 ドクターヘリ搬送2件の調整、連絡、搬送実施
9:15 全体ミーティング
11:10 自衛隊輸送ヘリ搬送リストを変更し調整
11:35 自衛隊機で15:35着で石川県立中央病院へ8名搬送予定
12:00 自衛隊機は医療者2名同乗必要となる。
12:02 自衛隊機対応にドクターカー5台準備
12:07 自衛隊機 14:00着へ変更 乗車隊員は聖隷三方原病院DMATの原田医師、有賀看護師に決定 友也、小泉業務調整員は早めに隊員ピックアップのため移動開始とする。
11:30~12:17 ドクターヘリ搬送1件の調整、連絡、搬送実施
12:15 玄関前に13:00に防災テント設置の手伝い依頼あり
12:20 緊急消防援助隊へ自衛隊機搬送のため救急車3台要請 13:30に着希望
12:55 友也、小泉業務調整員は車両部隊として、ヘリ着陸ポイントの西部緑地公園へ移動開始
14:43 自衛隊輸送ヘリCH-47 ヘリポートの野々江総合運動公園離陸
16:38 自衛隊輸送ヘリCH-47は西部緑地公園へ着陸
16:47 原田医師石川県立中央病院へ移動開始。車両班も西部緑地公園から石川県立中央病院へ行き先を変更
17:09 原田医師、有賀看護師が石川県立中央病院着
17:11 車両部隊も石川県立中央病院着
17:30 石川県立中央病院の活動拠点本部に挨拶
17:55 ヘリ部隊と合流し金沢医科大学病院へ資機材回収に向かう。
18:25 金沢医科大学病院より資機材回収して任務完了となる。

1月9日 聖隷浜松病院DMATに引き継ぎを行い、聖隷三方原病院DMATの活動は終了となりました。
夜間の帰路は危険なので宿泊し、1月10日朝から聖隷三方原病院に向かっています。

※画像は個人情報が含まれる部分は画像処理しています。

この環境で4泊しました

被災地の道路状況

聖隷浜松病院DMATと

帰り道・・・

地割れ1

地割れ2

DMAT(第2班陸路)の近況(1月5日昼~1月8日)

DMAT(第2班陸路)の近況

1月4日には被災の影響が大きい珠洲市総合病院での派遣が決まり現場で活動を開始しました。
厳しい寒さが続き、雨や雪など天候が悪化している過酷な状況で、早朝から深夜までの支援活動を続けています。

以下は業務調整員の鈴木友也(看護師)による記録を一部修正
※画像は個人情報含まれる部分は画像処理しています。

【1月5日】
12:45 珠洲市総合病院へ派遣決定
13:25 珠洲市総合病院へ出発
14:30 途中、通行止めのため進路変更
15:50 穴水市内で給油
17:45 倒壊家屋の影響により迂回
18:15 珠洲市総合病院駐車場 到着
18:20 珠洲市総合病院 DMAT受付完了
18:40 珠洲市総合病院DMAT全体ミーティング
19:42 1月6日以降は病院支援指揮所の本部活動となることが決定
20:15 Ns本部申し送り実施
21:50 寝床作成
22:15 本日の振り返り
22:45 散開
22:55 医師の先遣隊による引き継ぎ実施

当院DMAT4名の珠洲市総合病院での就寝場所

【1月6日】
5:26 余震(珠洲市:震度3) あり
6:30 朝のミーティングにて各隊の配置決定
7:45 珠洲総合病院病院支援指揮所へ
8:27 珠洲市総合病院朝礼参加(原田医師、有賀看護師)
8:52 トイレ資機材搬入作業開始(珠洲市生活サポートセンター 珠洲市健康増進センター)
9:22 珠洲市健康増進センターへトイレ資機材搬出完了
9:25 病院帰投 その後本部活動
20:00 聖隷三方原病院、聖隷浜松病院合同ミーティング
20:20 全体ミーティング
22:15 夕飯
21:45 ERにてクラッシュ症候群の患者対応(原田医師)

雪が降り始めた病院の外の様子

【1月7日】
7:40 活動拠点本部ミーティングに原田医師出席
9:25 クラッシュ症候群の患者搬出(陸路)
9:30 CSMチーム設置
※CSM(confined space medicine):がれきの下の医療
 救助中から気道確保、輸液、止血などの医療を行うこと
11:32 心不全患者 体外式ペーシング挿入
11:38 本日のドクターヘリ搬送不可決定
12:08 13時に重症2名搬出予定とする
12:15 本日の自衛隊ヘリ搬送中止決定
14:20 体外式ペースペーカー挿入患者搬送開始
14:39 余震あり 震度4 全員問題なし
14:55 大雪による通行止めあり
17:10 ER Nsが雪のため帰宅困難になることからDMAT Nsによる勤務フォロー実施
18:45 体外式ペースペーカー患者が石川県立中央病院到着
19:30 全体ミーティング
20:00 珠洲市総合病院内DMAT、聖隷浜松病院と合同ミーティング
21:20 給水車が雪のため来られないので、節水をと連絡あり。手洗い禁止となる。
22:30 急性心筋梗塞疑い対応のためER診療のフォローに入る

珠洲市総合病院内DMAT、聖隷浜松病院とのミーティング
リハビリ室にて

カレンダーの日付はリハビリ室が再開できず12月28日のまま

【1月8日】
7:05 自衛隊輸送ヘリ搬送準備のため搬送担当医師と病棟を回り、夜間の状態変化があった患者の聞き取り実施
7:38 石川県立中央病院へ患者2名の搬送依頼し了解得られる。ただ、陸路で行けるか確認必要
7:40 搬送車両がすぐ使用できるように、各DMATへ車両の雪かき依頼
7:50 大雪による通行止めは解除
9:44 搬送予定患者がDPATにサポートしてもらう必要あり依頼して来院しサポートしていただいた。
10:27 自衛隊輸送ヘリCH-47 1便目搬送のための患者搬出開始
10:46 ヘリポートへの患者搬出16名完了
10:58 ヘリポートの地面状況は積雪のためかなり荒れており独歩での搬入は難しく、担架で搬入開始
11:00 サポートセンターより孤立集落に行く自衛隊ヘリにトリアージ要員としてDr、Ns必要と連絡あり
11:23 2便目のCH-47搭乗予定の担送患者搬送のため、救急車4台活動拠点本部へ依頼
11:40 CH-47 1便目患者16名搭乗完了
14:00 CH-47が14:30着と連絡あり
14:02 救急車4台サポートセンターへ要請
14:21患者を病棟からヘリポート搬送開始
17:52 聖隷浜松病院DMAT着
18:00 聖隷三方原病院と聖隷浜松病院の申し送り実施
19:00 全体ミーティング
20:20 聖隷三方原病院、聖隷浜松病院合同ミーティング

Drヘリチームに今回の活動を取材しました!!

Drヘリチームで帰院したお二人に今回の活動について振り返っていただきました。

〈派遣スタッフ〉
救急科医師:眞喜志 剛
看護師  :坂下 亮

・今回の活動内容について
手術が必要な患者を中心に医療環境が壊滅的な珠洲市内から近隣の大学病院等まで2日間で3件の搬送を行いました。

・今回活動した被災地の状況について
小松周辺はまだ比較的被害が少ないように見えましたが、活動していた能登半島では地面のひび割れがあちこちで起きていたり、近所のコンビニでは食べやすい食べ物などが不足していたり、被害の重さを目の当たりにしました。

・今回の活動で大変だったこと
大変だったというか、1件の搬送に2時間ほどかかり、他のDrヘリとの調整の時間もあるので、まだまだ搬送が必要が必要な患者さんがいるのに要求に応えきれなかった事が残念でした。
※Drヘリは運航の安全のため、日が出ている限られた時間しか活動できない

・今回の活動について一言

眞喜志先生
「自分たちは支援が2日間でしたが、被災された方々は、今後終わらないのではないかと思えるほど大変な復興が待っていると思います。そういうことを感じて自分は今後もDMAT以外の形も含めて支援を続けたいと思っています。」

坂下看護師
「今回の活動で、被災地は陸路が壊滅的な事を見て搬送にDrヘリがとても有用だと感じました。まだまだ支援が必要な人がいると思うので、また機会があれば行って支援したいなと思いました。」

今回は現地で活動したメンバーから貴重なお話をいただけました。
眞喜志先生、坂下看護師 お疲れの所、取材にお答えいただきありがとうございました。

2024年1月5日 15時30分 Drヘリチーム無事帰還しました!

1月5日 15:30 ヘリチームが無事帰還しました。

被災地では1/4は1件、1/5は2件の病院間搬送を行いました。
帰還時、帰還したスタッフは病院職員の温かい歓迎をうけました。

聖隷三方原病院 帰院

帰院の瞬間

早川高度救命救急センター長との熱い抱擁

山本病院長に労っていただきました

病院長、看護部長と

スタッフに迎えられて

スタッフに迎えられて
ヘリポート~院内通路にて

眞喜志先生ベストショット!!

DMAT(第2班陸路)の近況(1月4日現地到着~1月5日昼)

DMAT(第2班陸路)の近況

【1月4日】
12:45 病院出発
15:25 長良川SA通過
17:10 小矢部川SAにて給油
19:12 公立能登総合病院 到着
19:28 参集拠点にてDMAT受付
21:05 一旦散開 チームスタッフ高岡市内で宿泊

【1月5日】
6:27  参集拠点の公立能登総合病院へ出発
7:25  公立能登総合病院到着
7:29  DMAT活動拠点本部にて代表者2名で受付後、全体ミーティング
11:25 聖隷浜松病院DMATと合流

駐車場の地面が割れています

静岡DMATカー集合

公立能登総合病院 到着!

DMAT活動拠点本部
※個人に配慮し画像処理しています

※個人に配慮し画像処理しています

※個人に配慮し画像処理しています(当院チームスタッフ小泉さん除く(手前))

2024年1月4日 12時45分 DMAT(第2班陸路)出動

静岡県の出動要請を受け、聖隷三方原病院DMAT第2班が出動しました。
第2班は陸路にて被災地へ向かい、現地の支援を行います。

〈派遣スタッフ〉
四肢外傷治療科医師:原田 薫
看護師      :有賀 崇博
業務調整員    :鈴木 友也(看護師)
業務調整員    :小泉 崚 (臨床検査技師)

現地で調達が困難なため多くの物資を詰め込みました

派遣メンバー

12時45分 職員に見送られながら出発しました

2024年1月4日 11時45分 Drヘリチーム出動

静岡県からの要請がありDrヘリチームの派遣が決定し、11時45分当院を出発しました。
被災地では陸路が悪路となっているため、病院間の患者搬送を主な目的として派遣されています。

〈派遣スタッフ〉
救急科医師:眞喜志 剛
看護師  :坂下 亮

事前の情報確認

情報収集の様子

看護部長からの激励(お守りの贈呈!)

見送る職員

行ってきます!!

11時45分飛び立ちました!