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沿革

昭和初期、結核は不治の病として人々に恐れられ、忌み嫌われていました。その結核と貧しさに苦しみ“天地の間に身の置き所もない”と悲嘆にくれる一人の青年がいました。それを知った数人の若きクリスチャンが協力しあい、小さな病室を建てて彼を温かく迎え入れました。これが聖隷三方原病院のはじまりとなったのです。時に1930年(昭和5年)5月のことでした。

地に落ちた一粒の麦にも似たこの愛の業は、その後病者から求められるままに広げられていきます。3度目の移転先であった粗末なバラックの病舎は「ベテルホーム(神の家)」と名付けられ、渡辺兼四郎医師をはじめとするホームの人々は近隣の住民の迫害にあいながらも病人に奉仕し、病舎を守り続けました。

こうした無報酬で看護に専念する若きキリスト者たちの姿は、周囲の人々に大きな感動を与え、1937年(昭和12年)には浜松市三方原に多くの援助を受けて聖隷保養農園を開設するまでとなりました。

その後も迫害や経営困難と戦いながら100人近い患者と職員を抱えて、その日の食料調達もままならなくなった園長・長谷川保は、1939年(昭和14年)12月24日、ついに事業閉鎖を決意しました。ところが翌25日、クリスマスの記念すべき日に、天皇陛下より多額の御下賜金を拝受という思いもよらぬ幸運により、事業は劇的に救われたのです。

天皇陛下からの御下賜金

看護の様子

その後1942年(昭和17年)聖隷三方原病院の前身、聖隷保養農園附属病院を開設しました。多くの皆様に支えられ、肺結核治療をはじめ胸部外科、小児医療、精神科医療など着実に体制を強化しました。

1973年(昭和48年)聖隷三方原病院と改称し、1981年(昭和56年)日本初のホスピスを開設しました。それぞれの方に最も適した治療を、ご本人及びご家族の同意のもとに進めています。

創立後70年余りが経過し、数度の増改築をおこなった現在、救命救急センター、ドクターヘリを初めとした地域住民の生命を守る先端的医療から、嚥下リハビリ、人工透析、訪問看護、長期入院学童のための院内学級、周辺の福祉施設への医療協力など包括的な医療体制の充実を図り、地域に貢献する高機能病院として体制を整えました。

2002年3月には、(財)日本医療機能評価機構より「地域における役割を適切に担い、医療の質の向上とサービスの改善への取り組み」が認められ、認定証の発行を受けました。