5月の第二日曜日は「母の日」です。一般的には家族が母親にプレゼントを用意し感謝の気持ちをあらわす日と解されているようですが、ご家庭においてはいつもの日曜日と同じように過ごすご家庭もあれば、この日だけは、お母さんに家族で用意したプレゼントを渡し日頃の感謝の意を伝えるなど「母の日」の捉え方はご家庭によって様々ではないでしょうか。
「母の日」は、調べてみると世界中の各国にあり、その起源や日は国によって違うようです。日本の母の日は、アメリカのキリスト教会で行われたのが始まりとなっているようです。
この世に今、生きている私たちは、誰もが母の胎内から生まれました。同時に父がいなければ、生命は母の胎内に宿ることはできません。母と父がいて初めて命が宿る、生まれてくるのです。
以前、生まれて間もなく母親が亡くなり、母親に代わって祖母に育てられていた園児がいました。
その園児が4~5歳児頃でしょうか。私が「誰もが、お母さんのお腹の中にいて、ある時、神さまが『そろそろ、お母さんのお腹から出ましょう(陣痛があり)』と言われると『オギャー』ってどんな人も生まれてくるのです。私もそうだったのよ」と話した時、その子は家に帰って祖母に『私もお母さんから生まれたの?』と聞いたそうです。祖母は「当たり前じゃないか、ここにいる(仏壇に)お母さんからあなたは生まれてきたんだよ」と話したと私に話してくれたことがありました。
この子は「自分を生んでくれた母=仏壇の中の母」とは認識していなかったのです。「母がいない」現実の生活の中で、自分と母を結びつけるものが唯一、仏壇の中の母であったのです。「自分がこの(仏壇の中の)母のお腹の中にいた!」ことに私の話しから気づき、「私にもお母さんはいる!」と認識されたと思われる出来事でした。『私には母はいない!』が、『私の存在は、私を生んでくれた母がいるから』となりこの子は、改めて自分の存在(母の胎内から生まれた)を確信できたのではないかと思われたのです。
「母の日」とは、家族の為に色々家事を始めとして家族の為にお世話をしてくれる母に感謝する日だけでなく、その前に、「母は私を生んでくれた人」であり、「私を生んでくれてありがとう!」の気持ちを忘れてはならない日でもあるように思います。
「父の日」も同様です。色々な事情があって父親と生活していない子どもたちにも、母と父がいて、自分が今この世で‘生’を受けて生きていることを伝えていきたいと思います。
そしてやがては、自身が母となり、父となり新しい命を育み、併せて祖父母の存在も同様に伝えていけたらと思います。
「母の日」は、調べてみると世界中の各国にあり、その起源や日は国によって違うようです。日本の母の日は、アメリカのキリスト教会で行われたのが始まりとなっているようです。
この世に今、生きている私たちは、誰もが母の胎内から生まれました。同時に父がいなければ、生命は母の胎内に宿ることはできません。母と父がいて初めて命が宿る、生まれてくるのです。
以前、生まれて間もなく母親が亡くなり、母親に代わって祖母に育てられていた園児がいました。
その園児が4~5歳児頃でしょうか。私が「誰もが、お母さんのお腹の中にいて、ある時、神さまが『そろそろ、お母さんのお腹から出ましょう(陣痛があり)』と言われると『オギャー』ってどんな人も生まれてくるのです。私もそうだったのよ」と話した時、その子は家に帰って祖母に『私もお母さんから生まれたの?』と聞いたそうです。祖母は「当たり前じゃないか、ここにいる(仏壇に)お母さんからあなたは生まれてきたんだよ」と話したと私に話してくれたことがありました。
この子は「自分を生んでくれた母=仏壇の中の母」とは認識していなかったのです。「母がいない」現実の生活の中で、自分と母を結びつけるものが唯一、仏壇の中の母であったのです。「自分がこの(仏壇の中の)母のお腹の中にいた!」ことに私の話しから気づき、「私にもお母さんはいる!」と認識されたと思われる出来事でした。『私には母はいない!』が、『私の存在は、私を生んでくれた母がいるから』となりこの子は、改めて自分の存在(母の胎内から生まれた)を確信できたのではないかと思われたのです。
「母の日」とは、家族の為に色々家事を始めとして家族の為にお世話をしてくれる母に感謝する日だけでなく、その前に、「母は私を生んでくれた人」であり、「私を生んでくれてありがとう!」の気持ちを忘れてはならない日でもあるように思います。
「父の日」も同様です。色々な事情があって父親と生活していない子どもたちにも、母と父がいて、自分が今この世で‘生’を受けて生きていることを伝えていきたいと思います。
そしてやがては、自身が母となり、父となり新しい命を育み、併せて祖父母の存在も同様に伝えていけたらと思います。