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ホーム  > 園長コラム  > 「自分は社会でなにができるか」

「自分は社会でなにができるか」

「絆というものを、あまり信用しないの。期待しすぎると、お互い苦しくなっちゃうから。だいたい他人様から良く思われても、他人様はなんにもしてくれないし(笑)。迷ったら、自分にとって楽なほうに、道を変えればいいんじゃないかしら。演技をやるために役者を生きているんじゃなくて、人間をやるために生きているんです。代表作?ないのよ。助演どころか、チョイ役チョイ役って渡り歩く、チョイ演女優なの。自分は社会でなにができるか、と適性をさぐる謙虚さが、女性を綺麗にしていくと思います。
楽しむのではなくて、面白がることよ。中に入って面白がるの。面白がらなきゃやってけないもの、この世の中。老人の跋扈(ばっこ)が、いちばん世の中を悪くすると思います。病を悪、健康を善とするだけなら、こんなつまらない人生はないわよ。死に向けて行う作業は、おわびですね。謝るのはお金がかからないから、ケチな私にピッタリなのよ。謝っちゃったら、すっきりするしね。
“言わなくていいこと”は、ないと思う。やっぱり言ったほうがいいのよ。
こちら希林館です。留守電とFAXだけです。なお過去の映像等の二次使用はどうぞ使ってください。出演オファーはFAXでお願いします。このように服を着た樹木希林は死ねばそれで終わりですが、またいろいろなきっかけや縁があれば、次は山田太郎という人間として現れるかもしれない。えっ、わたしの話で救われる人がいる?それは依存症というものよ。後は自分で考えてよ」

 これは10月29日の朝日新聞に宝島社の全面広告で掲載された、9月15日に癌で亡くなった樹木希林さんの生前の言葉を集めて掲載された記事です。多分読まれた方も多いのではないかと思います。
 私はこの記事を読んで、樹木希林さんの生き方に対する考えにあらためて感銘を受け、共感し、そして考えました。
下線の「自分は社会で何ができるか、と適正をさぐる謙虚さが、女性を綺麗にする」とあります。女優であるからこうした表現になったのだと思いますが、私も、子どもたちに「神さまは一人ひとりにタラントを与えてくださった。そのタラントは他者のために使ってこそ生かされる」こと、つまり「自分は社会で何ができるか」を、保育者自身も含めて、子どもたちに日常の保育(特に統合保育)を通して伝えたいと考えています。皆と生活する中で体験し、覚えてほしいのです。
 『自分は社会でなにができるかと適正をさぐる謙虚さ』を考えたことがありますか?『自分のことで精一杯』でしょうか? 
誰でも神さまからその人にあったタラント(能力)を与えられています。皆、違うタラント(能力)です。もし皆同じ能力であったらどうでしょう。そうなると人間ではなくロボットです。人間は凸凹があり、違うからお互いに関わりあえるのです。ロボットはこれからAI(人工知能)の発達によって能力は人間以上になることだって可能です。しかしお互いに関わりあえることができるでしょうか? しかも適正をさぐる謙虚さを持ちながら・・・です。
『人としてどう生きるか。そしてどう死ぬか』 樹木希林さんは私たちに示してくれました。
私も残された人生どう生きるか、そしてどのように死んでいくかをしっかり考えたいと思います。樹木希林さん ありがとう。