~開設50周年に寄せて~

理事長・事業部長からメッセージです。

青木 善治

理事長
青木 善治

 浜名湖エデンの園開園50周年にあたり、ご入居者の皆様に心よりお祝いと感謝を申し上げます。また園の運営にご援助を賜っております地域の皆様に心より御礼申し上げます。
 開園の1973年当時は、高度経済成長に伴い、核家族化による家族形態の変化が顕著となり、「孤独死」が社会的な問題となった時代でした。このような中、聖隷福祉事業団の創始者である長谷川保は、楽しく生きがいのある安心した生活の場が必要であると考え、日本で初めての有料老人ホーム浜名湖エデンの園を開園しました。社会福祉事業の常識が最低限度の生活保障であった当時においては、個人の尊重、自由及び幸福追求を目的とする先駆的な老人ホームのモデルとなる取り組みだったと思います。
 そして、開園以来、隣接している聖隷三方原病院とは密接な関係を築き上げてきました。24時間体制の救命救急センターを持つ同院は、園の指定医療機関としてご入居者の健康面を守りながら、医住近接を実現してまいりました。また、ご入居者の中には、病院内でボランティアとして活躍され、共に地域医療を支えていただいている方が数多くいらっしゃいます。
 そのような関係性の中で、2008年、私が事務長を務めていた聖隷三方原病院において、日本で初認可となる「ドクターヘリが常駐する屋上ヘリポート」を備えた新館を建築しました。ご入居者の皆様におかれましては、工事説明会を開催した際に、園の上空を1日に何回も飛行するヘリコプターの大きな騒音に対しても「地域の大切な役割だから」と、寛大な心でご理解をいただきました。そのお蔭もあり、同院のドクターヘリは年間500件近くの総出動件数を数える年もあり、地域の救命活動に多大な貢献をすることができております。ご入居者及び地域の皆様には、ご理解とご支援を賜り、改めて感謝申し上げます。
 浜名湖エデンの園は、開設当初の1号館108居室から、この50年を経て、全6号館429室に発展してきました。歴史、規模ともに聖隷福祉事業団のフラッグシップにふさわしい有料老人ホームです。皆様には数ある有料老人ホームの中から、浜名湖エデンの園を選んで良かったと感じていただけるよう、職員一同、永続的な事業経営と安全で安心な環境の提供、さらには健康でいきいきと暮らせる、より質の高いサービスの提供に努めてまいります。
 末筆ながら皆様のご多幸を祈念いたしまして、お祝いのご挨拶とさせていただきます。

平川 健二

高齢者公益事業部長
平川 健二

 浜名湖エデンの園開園50周年まことにおめでとうございます。
衷心よりお慶び申し上げます。

 50年という年を、孔子は『論語』の中で「五十にして天命を知る(知命)」という言葉で表しています。
私自身を振り返っても、30歳、40歳の頃は自分の思いと周囲の環境が十分にかみ合っていない、またかみ合っていないことを客観的に把握することもできていなかった、と今となってようやく理解することができます。
50歳を迎えた時は、「天が自分自身に与えた使命を自覚するに至った」というまでには到達していませんが、私がすべき役割を客観的に少し見られるようになった気がしました。

 浜名湖エデンの園は1973年に長谷川保の思いによって誕生しました。「終わりよければすべて善し。人生の最後の行程を幸せに過ごすことの願い」という思いを実現するために。
日本で初めての本格的な有料老人ホーム(当時は「高齢者世話ホーム」という名称でした)として開園し、ご入居者も職員も共に手探り状態で、時にはいばらの道を歩んできました。
そして50年の月日が経過し、浜名湖エデンの園は我が国の有料老人ホームのモデルケースとして、人生の最後の行程を幸せに過ごす棲家として、改めて自覚する機会を今与えていただいている気がいたします。

 孔子は『論語』を通じてこう述べています。
「六十にして耳従う(耳順(じじゅん))~60歳になって、人の言葉が素直に聞かれるようになった~」、「七十にして心の欲するところに従えども、矩(のり)をこえず(従心(じゅうしん))~70歳になって、自分がしたいと思う言動をしても、人の道を踏み外すことがなくなった~」
浜名湖エデンの園も益々年を重ね、高みに向かって歩んでまいります。

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