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聖隷の“旬”を届ける「i am…」

聖隷佐倉市民病院 第4期建築工事


昔も今もこれからも。
今日の患者さんと誠実に向き合っていく。


梅雨の雲間からの夏を感じさせる日が差す中、東京駅から電車を乗り継いで約1時間。1874年(=明治7年)設立の腎不全対策の基幹施設であった「国立佐倉病院」は、佐倉市民に奉仕することをモットーに「市民」の名を受け、「聖隷佐倉市民病院」として、2004年に聖隷福祉事業団へ経営移譲された。国立病院時代からの特徴である腎疾患、脊椎・関節等の整形領域などが強み。腎疾患をもちつつ、他の病気の治療ができるので全国から患者が集まる。患者は地元佐倉市からが約6割、近隣の市外・県外からは約4割にものぼる。

移譲時から聖隷佐倉市民病院は400床の病床を稼働させるのを使命としてきた。その「400床」が新病棟増築によって間もなく実現する。この第4期建築工事プロジェクトのリーダーである副院長の鈴木、総看護部長の髙木、事務職の松井に新病棟開設と聖隷佐倉市民病院への想いを語ってもらった。

i am「聖隷佐倉市民病院」

副院長 鈴木理志「先人からの使命が息づく 聖隷佐倉市民病院」

鈴木理志(すずきさとし)

鈴木理志(すずきさとし)
副院長。前身の国立佐倉病院時代から働く職員の一人。腎臓内科医としてCKD(慢性腎不全)全領域の治療にあたる。第4期建築工事のプロジェクトリーダー。

前身の国立時代から在籍している鈴木。移譲時の稼働病床(※1)は200床であったが、千葉県が決めた許可病床(※2)は400床。これは、地域に十分な医療を提供するために400床規模の病院になってほしいという期待値である。この期待に応えるべく「400床」稼働がこの病院で働く人々の夢から目標、使命へと変わっていった。

古くからこの地域には複数の総合病院があり、互いが得意とする診療科をすみ分け連携しながら、地域医療を支える同志として切磋琢磨してきた。国立佐倉病院もその一員として質を向上し続けてきたが、他院と比べて量、すなわちベッド数が足りなかった。我々もいつの日か質と量の両立を目指したい。この想いが使命として長く受け継がれてきた。また医師は就職先の条件の一つとして、やりたい医療をやれる施設か否かを見る。そのボーダーラインのひとつが400床規模の病院と言われている。良い医療を提供するには、良い医師が必要だ。「400床」という数は聖隷佐倉市民病院の「使命の値」であった。

しかし新たな船出は決して順風満帆なものではなかった。研究がメインの国立病院と地域医療メインの民間病院が一つの箱に入った。それはもはや異文化の衝突であった。医療に対する考え方や、コミュニケーションの取り方など変化についていけない職員が一人また一人と病院を去ってゆき、医師数は最も少ないときで現在の4分の1の15人まで減った。しかし、伝統ある病院を国から聖隷へバトンタッチしてダメになったなんて先人に顔向けができないと、皆でがむしゃらに危機を脱しようとした。

ミキサー車が生コンを充填

この日はミキサー車が生コンを充填、新病棟が徐々に姿を現してきた

鈴木や残った職員たちは、変化を「新しい文化」ととらえ必死になって受け入れることにした。一方で国立病院から聖隷へ伝播していった文化もあった。それは診療科も職種も越えた他院では見られない人の繋がりだった。この繋がりは現在も聖隷佐倉市民病院最大の武器である。

移譲から14年間、日々のがむしゃらな働きが功を奏し、残すは400の病床を稼働させるために病棟を増築するのみ、というところまでたどり着いた。しかし聖隷の法人本部からストップがかかった。全国的に人口は減少していく傾向で、しかもこの地域内には病院が多い。それを危惧する法人本部は建築許可を出さず病院サイドと衝突した。

院長や病院事務職員は法人本部と何度も交渉をした。「交渉が決裂して『成果(=利益)を出してきたのに何でなんだ!』とやさぐれたこともあったよ。でも事務スタッフの皆は本部がある浜松から赴任してきているのに、親身になって聖隷佐倉市民病院のために本部を説得し、建築の承認をとってくれた。本当に感謝している」と鈴木は言う。

そして2018年5月、ついに第4期建築工事すなわち新病棟増築工事が着工された。いかなる苦労も惜しまずに400床へ向けてやってきた。そこにあと少しで手が届く。鉄骨1本が建つ、壁1枚がはめ込まれる、ミキサー車が生コンを充填する、工事音が響く。それら全てに鈴木はワクワクしている。

2019年9月、新病棟は竣工(※3)をむかえる。もちろん新病棟開設がゴールではない。新病棟が完成すれば成果を必ず求められる。新たな規模と機能にふさわしい医療の質と量を同時提供し、利用者の信頼を得られるよう今から取り組んでいる。これからが聖隷佐倉市民病院の勝負だ。「良いことは3人に伝える。悪いことは10人に伝える。それが口コミってものなんだ。だから、今まで通り診療科の枠をこえて患者さんを断らず、その日その日の患者さんと誠実に接する。口コミの積み重ねがうちの評価につながると思っているよ」とひたむきな姿勢が結果につながると鈴木は確信している。

総看護部長 髙木智美「新たな環境を全員で創る。それが看護師一人ひとりの成長につながる」

髙木智美(たかぎともみ)

髙木智美(たかぎともみ)
総看護部長。2014年に聖隷三方原病院より聖隷佐倉市民病院へ異動。
看護部門のリーダーとして新棟開設に向けて活動をしている。

「現場看護師の声が大切にされ、一人ひとりに考える機会があるのよ」。髙木は聖隷佐倉市民病院のこの風土が専門職、また病院として成長していく大きな要因だという。今期の建築計画では、図面作成の段階から建築準備チームの一員として多くの看護師が関わっている。「整形外科の病棟は女性の入院が多いから、シャワー付きの個室を増やしたいわ」「小児患者の入院時に幼い兄弟も一緒に過ごせる広い個室がほしい」など、現場を熟知した看護師たちから次々と声が上がった。車椅子用トイレやコンセントの位置一つとっても、本当にここでいいのか、設置する備品との関係はどうかなど、看護師で次長の篠塚を筆頭に調整を進める。「今日も篠塚次長が現場の看護師と、施設担当者、建築業者と一緒に工事現場に入っているの。ナース服、スーツ、作業着…いろんな格好の人がヘルメットを被ってね、実際に現場を見て話し合うの。お互い、譲れないことってあるじゃない」。皆の意見を吸い上げ、看護部として決めたことは納得のいくまで議論し形にしていく。

聖隷佐倉市民病院は困っている患者を断らないように体制を整えてきた。その結果、一つの病棟に様々な科が混在している状況だ。だが、増床により一つのフロアに関連する診療科が集約される。「看護師として専門性を高めやすく、より質の高いケアを提供できる環境に生まれ変わるの」。髙木はさらなる看護師の活躍に胸を躍らせる。病棟の再編に伴う人事異動に向けて前倒しで人事や物品購入の時期等の話し合いを進めている。スケジュール管理を万全に、看護ケアのシミュレーションを行う勉強会も計画している。やることはまだ山積み、頭を悩ませることも多いが、髙木は昼休みにも外来の様子を見に行くなど、職員や患者が困っていることはないかとこまめに現場へと足を運ぶのを忘れない。

職員一人ひとりの声が大切にされる風土が根付いている聖隷佐倉市民病院

一つひとつ考え抜いたことが建築という目に見える形となることは、ぞれぞれの誇りと自信になる。「ともに進む仲間と、患者さんの苦しみを察知し、背中をさすりながら話を聴くことを大切にする、聖隷佐倉市民病院の看護を継承していく」と髙木。母のように皆を見守りながらも、進むべき道へと力強く舵をとる。

総合企画室長 松井克章 「全員が同じベクトルで進むには」

松井克章(まついかつあき)

松井克章(まついかつあき)
総合企画室長。2014年に法人本部より聖隷佐倉市民病院へ異動。第4期建築工事の計画、実行を経営的な観点から支える。

新病棟開設に向けて着々と建築工事が進む聖隷佐倉市民病院。やりたい医療が続けられるように、竣工後も利益を出し続けなければならない。病院経営を参謀のように補佐するのが松井たち事務職の仕事。文字だけならかっこいいが、実はとても地道で縁の下の力持ち役なのだ。法人本部との建築の最終交渉の時には、承認を取るまでは聖隷佐倉市民病院に帰らないと背水の陣で臨んだりもした。
病床が増えるにあたっては、「忙しいのにもっと忙しくなるの?」と歓迎しない職員もいた。確かに忙しくなる。しかし、総看護部長の髙木が言っているように病棟ごとに診療科が集約されることで、結果として職員は働きやすくなる。「事務職も説明に行かねば」とスライドを作成して、病院中を説明して回り理解を求めた。さらに院長にも協力を仰ぎ、職員が集まる場でトップメッセージとしても伝えていった。

経営意識を持ってもらうために、診療科ごとの予算を例年より早く算出し、予算達成に向けて院内一致団結して戦略を練っている。「全国各地で病院が経営危機に陥っているなんて話はよく聞きますよね。健全な経営ができなければ投資ができず、利用者のニーズに応えられなくなるのは企業も病院も同じ。当院では医師も看護師も医療技術職も皆がそれを理解しています。事務職も経営情報をわかりやすく現場に伝えられるよう、経営指標を『ダッシュボード』と称して掲示したり、以前は『佐倉経済新聞』と称して配布していました。意外と好評ですよ」。

病院職員と工事関係者との打合せ
新病棟完成に向けて一丸となって取り組む

そんな松井も赴任当初は聖隷佐倉市民病院の文化に困惑した。過去に共に働いた職員たちがもつ松井のイメージは「堅物」「まじめ」「コツコツやる努力の人」。そのような松井が病院ロゴは「PLUS SMILE」、スローガンは「笑顔」を掲げるほど笑いを求める職場へ放り込まれた。同僚たちが冗談で茶化してきても、大真面目に答える松井。そして、病院建築の経験は無し。松井の苦労はいかほどであっただろうか。しかし、根が努力家の松井。自分の置かれた状況を理解し、屈託ない職員たちに囲まれていたおかげで、松井は少しずつ聖隷佐倉市民病院に溶け込んでいった。インタビュー時にも次のエピソードを教えてくれた。

「先日、病棟の新しい図面を院長と副院長に見せたら怒られたんです。『新病棟名がA棟・B棟なんて。松井!お前は笑いのセンスがない!」ってね。だから国立病院の時からある建物は『国立記念博物館』って書き直しちゃいました。本当に承認されたらどうしようかと冷や冷やしましたけどね」と。今やすっかり「聖隷佐倉市民病院の人」となった松井。笑いを交えながら話し合いをすることで意見が言いやすくなり、結束力が高まることを実感している。

「松井の言うとおりに動けば大丈夫」。副院長の鈴木も全幅(ぜんぷく)の信頼を寄せている。

昔も今もこれからも聖隷佐倉市民病院であるために

左:松井 中央:鈴木 右:髙木

取材を終えて病院前にて
左:松井 中央:鈴木 右:髙木

副院長の鈴木は自信を持って言った。「医師人生の全てを懸けて聖隷佐倉市民病院の発展に取り組んできた。でも私や誰かが強力に旗振りをしてやってきたわけではなく、職員がお互いに協力する自発的な団結力でピンチを乗り越えてきた。それは移譲前から続く病院の文化。私はそれをちょっと後押ししただけ。皆が待ちに待った『悲願の400床』にあと少しで手が届く。自分の医師人生に悔いはない」と。

インタビューを終えて病院の正面玄関に向かうと、和らかい日差しが降り注ぐロビーがある。そこには利用者と職員が穏やかに接していて何とも言えない温かい雰囲気で満たされている。院長の佐藤が掲げるスローガンは「笑顔」。その笑顔とは患者の笑顔。患者が笑顔になるためには職員が笑顔でいられること。確かに職員たちの表情は皆明るい。

国から聖隷へ経営移譲されて15年。明治時代から継承される国立佐倉病院の文化と全職員の熱意が融合した聖隷佐倉市民病院。インタビューした三人は声を揃えて言う「今号は『i am』ではなく、『we are』なんだよ!」
※1 稼働病床・・・許可病床数から休床の届出をしている病床の他、平成25年7月1日~平成26年6月30日の1年間に一度も入院患者を収容しなかった病床を除いた病床。参考:厚生労働省HP

※2 許可病床・・・医療法の規定に基づき使用許可を受けている病床。参考:厚生労働省HP

※3 竣工・・・建造物などができあがること。

聖隷佐倉市民病院ギャラリー

聖隷佐倉市民病院 施設概要

所在地 〒285-8765
千葉県佐倉市江原台2-36-2
電話番号 043-486-1151
FAX 043-486-8696
開設日 2004年3月
定員・定床数 稼働病床:304床
許可病床:400床
(2018年4月現在)
施設種別
  • 無料又は低額診療事業
ホームページ こちらをご覧ください

病院外観

病院外観

聖隷佐倉市民病院ホームページ

聖隷佐倉市民病院ホームページ
第4期建築工事の進捗はブログ「「さくら茶」」で報告しています

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聖隷佐倉市民病院は地域の中核病院として、各専門職種のスムースな連携を特色に職員一人一人の“顔の見える”チーム医療を展開しております。
医師、看護師をはじめ各専門職種はそれぞれの専門性を尊重しつつも、職種間の壁を取り払って、利用される方々の笑顔を一丸となって目指している病院です。
是非、皆さんのご参加をお待ちしております。

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