聖隷の保育事業のはじまり
聖隷の事業と共に保育園の歴史が始まりました。
昭和のはじめ、当時不治の病として恐れられていた結核に罹った方々は社会から迫害を受けていました。そうした方々の療養を助けたのがキリスト教を信じる人たちでした。それが聖隷の事業の始まりです。
保育園は、それに関わる人たちの子供を預かる託児所として生まれたのです。
当時、近隣の村においては、畑のそばにある溜め池に子どもが落ちてなくなる事故も多く起きていました。そのような事故を心配した村長の依頼を受けて、農繁期の忙しい時期には近隣の子どもたちもいっしょに預かって保育しました。
早朝から一軒一軒リヤカーで家を回り、子どもを預かって保育しました。その中には乳児もいたために授乳の時には畑まで子どもを連れていき、授乳している間は、母親の代わりに田畑の仕事を手伝うこともしていました。
その当時は、専任の職員もなく、手の空いた看護師やお手伝いのおばあさんたちによって保育が行われました。
そして昭和31年、それまでの託児所の建物が改築され「わかば保育園」と名付けられ、認可保育園となり、地域の子どもたちも入園できるようになりました。聖隷の最初の保育園です。
それが、現在の「聖隷こども園 わかば」の誕生でした。
聖隷の事業の原点であるキリスト教精神「隣人愛」と同じように、聖隷の保育園、こども園も原点は同じであり、社会に必要とされている施設として、関わる職員は常に愛をもって、今までの働きに誇りを持ち、今この時を大切にしながら未来に希望をもって歩んでいます。
昭和のはじめ、当時不治の病として恐れられていた結核に罹った方々は社会から迫害を受けていました。そうした方々の療養を助けたのがキリスト教を信じる人たちでした。それが聖隷の事業の始まりです。
保育園は、それに関わる人たちの子供を預かる託児所として生まれたのです。
当時、近隣の村においては、畑のそばにある溜め池に子どもが落ちてなくなる事故も多く起きていました。そのような事故を心配した村長の依頼を受けて、農繁期の忙しい時期には近隣の子どもたちもいっしょに預かって保育しました。
早朝から一軒一軒リヤカーで家を回り、子どもを預かって保育しました。その中には乳児もいたために授乳の時には畑まで子どもを連れていき、授乳している間は、母親の代わりに田畑の仕事を手伝うこともしていました。
その当時は、専任の職員もなく、手の空いた看護師やお手伝いのおばあさんたちによって保育が行われました。
そして昭和31年、それまでの託児所の建物が改築され「わかば保育園」と名付けられ、認可保育園となり、地域の子どもたちも入園できるようになりました。聖隷の最初の保育園です。
それが、現在の「聖隷こども園 わかば」の誕生でした。
聖隷の事業の原点であるキリスト教精神「隣人愛」と同じように、聖隷の保育園、こども園も原点は同じであり、社会に必要とされている施設として、関わる職員は常に愛をもって、今までの働きに誇りを持ち、今この時を大切にしながら未来に希望をもって歩んでいます。