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法人情報

聖隷横浜病院の経営移譲


横浜東病院の医療の存続を願う会と横浜市

2000年(平成12年)5月に、「介護保険制度下において地域の高齢者が安心して治療や療養ができる病院の施設整備に関する陳述書」が横浜市長に提出され、同年9月の市議会において、国立横浜東病院の医療の存続を願う請願を採択、地域のニーズに対応した計画を検討・協議することが決定された。

聖隷福祉事業団としての移譲受け入れの決断

厚生労働省の「国立病院・療養所の再編成計画」に基づき、国立横浜病院と統合後廃止予定となっている国立横浜東病院の引き受けについて、法人内検討した結果、聖隷福祉事業団は創立の精神である「隣人愛」と「無私の愛」を基本に、地域住民から支持と信頼を受ける病院として地域の医療需要に対応しその役割を果たすため、国立横浜東病院の移譲を受け、横浜市保土ヶ谷区の中核的な病院としての使命を担い、横浜市並びに近隣の各医療機関及び福祉施設等との連携を図り、広く地域の医療・福祉・在宅ニーズに応えることを目的に、聖隷横浜東病院(仮称)を設立開院することとし、移譲受け入れが理事会および評議員会で承認された。

国立病院移譲までの経緯

・2001年(平成13年)1月
 厚生労働省健康局あてに経営移譲に関する要望書を提出。
・2001年(平成13年)2月
 国立病院再編成計画に基づき、厚生労働省・神奈川県、横浜市、聖隷福祉事業団の4者による国立横浜東病院の経営移譲についての関係者会議が開催され、2002年度(平成14年度)を目途に当事業団に経営移譲されることと、移譲に関するすべての準備作業において協力することの合意がされた。
・2001年(平成13年)7月 
 厚生労働省(関東信越厚生局)に国立横浜東病院の現況調査報告書および経営移譲に伴う増改修計画案の提出
・2001年(平成13年)8月
 第1回国立横浜東病院経営移譲プロジェクトを開催し、経緯とプロジェクト発足、現況調査報告と増改修案について報告。基本構想、将来構想、事業計画、人員計画等について検討された。
・2001年(平成13年)9月
 第2回国立横浜東病院経営移譲プロジェクトを開催し、現況調査報告および診療科・増改修計画案・職員計画・事業計画等が検討された。
・2001年(平成13年)10月
 第3回国立横浜東病院経営移譲プロジェクトを開催し、増築棟を中心に病棟、手術室、厨房、透析室の基本設計図面の検討、基本設計図面確認とスケジュール確認、将来構想、基本構想の検討がされた。
・2003年(平成15年)3月1日 
 国立横浜東病院から聖隷横浜病院として経営移譲

移譲時からの旧病院外観

新外来棟(A棟)稼働(2019年7月)

経営移譲前段階での増改築要望について(聖隷としての熱き思い)

・当時は、数次にわたる建築基準法、消防法、医療法等の改正対応について、既存建物遡及免除の法の範囲の中で運営されていたが、聖隷福祉事業団としては、建物・設備の老朽化の著しいものもあり、非常時にあっても地域住民の生命を守る使命を有することからも、移譲時において建築基準法、消防法、医療法等の法令の精神を遵守するための移譲前の施設整備が必要である。
・移譲を受けるからには、サービスの質を向上させるとともに、経営的にも健全な病院を目指す。
・移譲時までに必要最低限の改修工事を完了させたうえで移譲を受けたい。
・工事の早期着手を厚生労働省、神奈川県、横浜市への協力要請する。   

聖隷横浜病院の将来構想

1. 将来構想の基本的な考え方
高齢化社会に対応するため、神奈川県保健医療計画との整合性を図りながら、結核病床50床を地域に求められる療養病床への早期転換を図るとともに、訪問看護ステーション、ヘルパーステーション、居宅介護支援事業及びデイケア事業にも取り組み、保健・医療・福祉の包括的な医療の提供体制を構築する。なお、良質な医療を安定的に提供するためには、それを担う医師が臨床の能力を身につける適切な研修を受けることが不可欠であると考え、人材育成のため臨床研修指定病院を目指す。

基本方針
(1) 社会福祉法人聖隷福祉事業団(以下「事業団」という。)は、国立横浜東病院の経営移譲を受け、聖隷横浜病院を開設し、同院が担ってきた医療はもとより横浜西部保健医療圏の中核的な医療機関として、住民の健康と生命を守るべく、地域に根差した医療サービスを提供していく。
(2) 医療を提供する者として、インフォームド・コンセントの徹底、診療情報の開示、セカンドオピニオンの推進等により、良質な医療を受ける選択の自由等の患者の権利を尊重し、信頼関係を構築する。
(3) 質の高い効率的な医療提供体制を確立するため、オーダリングシステム及び電子カルテの導入を検討するとともに、科学的根拠に基づく医療(EBM)の推進を行う。
(4) 地域住民がいきいきと穏やかに生活できる社会づくりの拠点とし、病病・病診連携を基本とした在宅介護支援サービスに取り組み、保健・医療・福祉の総合的なサービスの提供を行う。
(5) 地域との連携をより一層強めるため、地元の医師会、保健・医療・福祉の各分野で協議会等に参加する等、積極的な活動を行う。
(6) 社会福祉法人が設置する病院として、社会福祉法第2条第三項に定める第二種社会福祉事業(生計困難者のための無料又は低額な料金で診療を行う事業)を行う。

2. 病院機能・規模
経営移譲時においては、国立横浜東病院からの引き継ぎ患者を考慮し、一般200床による病棟運営を行うが、開設後の患者の動向等を踏まえ、段階的に運営病棟を拡大し、平成16年度末を目途に一般300床及び療養病棟50床による全病棟運営を目指す。
◇主たる機能
・国立横浜東病院が担ってきた救急告示病院及び病院群輪番制病院については、体制を強化・充実し、引き続き実施する。
・良質な医療を提供するため、専任職員による医療相談室を設置し、保健・医療・福祉との連携を図りながら複雑化、多様化する医療相談に対応する。
・地元自治体・保健所・医師会との協力体制のもと、地域住民に対する保健予防活動事業として健康診断業務を実施する。
◇病院規模 職員配置
①移譲時の病棟  
 350床(一般300、療養50)ただし、移譲開設時は一般200床
②全病棟運営時の病床(平成16年度末目途) 
 350床(一般300、療養50)
③全病棟運営時の職員配置計画(平成16年度末)
 医師:44名(うち非常勤職員14名)
 看護師・助産師、准看護師:171名
 看護助手:28名
 医療技術職員:36名
 事務職員等:43名
 合計:322名(うち非常勤職員14名)
◇診療科目(16診療科)
内科、精神科、呼吸器科、消化器科、循環器科、小児科、外科、整形外科、脳神経外科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻いんこう科、放射線科、麻酔科
◇組織及び運営
・国立横浜東病院の入院患者については、患者の意向を尊重し引き継ぐこととする。
・聖隷横浜病院に勤務を希望する国立横浜東病院の職員については、事業団において、職員配置計画の範囲内で選考採用試験(書類選考及び面接選考)を実施して採用を決定する。
・経営の健全化に努め、可能な限り業務委託の推進を図る。
・聖隷横浜病院の運営に必要となる医師、看護師、医療技術職員等の医療従事者については、継続的な確保に努める。
◇当面の職員配置計画
当面の職員数は、次の通りとする。ただし、開設後の患者の動向等を踏まえ、必要に応じて職員配置を考慮する。
職員数
医師:34名(うち非常勤職員14名)
助産師・看護師・准看護師・看護助手:111名
医療技術職員:26名
事務職員等:33名        
合計:213名(うち非常勤職員14名)

<当初の基本理念>
私たちは、常に利用者の立場にたち、新しい価値の創造を通じて、地域に貢献し続けます

<当初の基本方針>
1. Safety & Quality(安全と質)
2. Satisfaction(満足)・・・患者さんと職員に対して
3. Finance(財務)・・・経営が不安定だと求められる医療ができない
4. Operation(運営)

横浜開設時のメンバーにアンケート聴き取り

・中村知明さん(当時の準備室 事務局)
・梶間弘美さん(当時の準備室 検査部門)
・白木通彦さん(当時の準備室 経理部門)
・太田信久さん(当時の準備室 施設部門)
・土屋甲司さん(当時の準備室 放射線部門)
・和久田晴久さん(当時の準備室 相談室部門)
・山田百合子さん(当時の準備室 医事、地域連携部門)
・高岡伸次さん(当時の準備室 CE室部門)

・鈴村里佳さん(当時の栄養部門)
・池田恵美さん(当時の薬剤部門)
・岩瀬猛之さん(当時の看護部門)

※当時、移譲にあたっての困難や課題、地域・利用者等の受入れ、やりがいなどの聴き取りをした内容のまとめ

<移譲のプロセスについて>
国立明石病院岩屋分院(聖隷淡路病院)の移譲の後、国立横浜東病院(聖隷横浜病院)、国立佐倉病院(聖隷佐倉病院)を1年ごとに移譲を受けることが決定し、さらに1年後に国立奈良病院の移譲を受ける検討もされていた。(結果的には現在の三病院となった)国立横浜東病院内では、国で病院再編計画の検討がされていたこともあり、90年代後半には、職員間で「病院がなくなる?」みたいな噂話が聞かれていた。移譲先が聖隷福祉事業団に決定されても、知名度は低く「静岡の方に拠点がある法人」程度の情報で、将来を不安に思う国立職員も少なからずいた。

<移譲準備室メンバーについて>
横浜病院の準備室は、聖隷浜松病院の職員を中心にメンバーが選抜された。淡路移譲時の前例もあり、「自分に声がかかるに違いない!」と思う人や「自分が行きたい!」と手上げした人(都会で働ける!新しいこと大好き!でワクワクが大好物である当時の若手職員の存在)など、それぞれの思いを胸にプロジェクトが移譲1年半ほど前に立ち上げられた。準備室では、“横浜”という土地柄、事務職員を中心に港ヨコハマに行ってみたいという期待感があった。

<病院を中心とした浜松地域の職員空洞化のこと>
淡路病院移譲時の浜松地区からの人材派遣に続き、横浜病院移譲の準備室が立ち上がった。当時の職員全体の反応としては、各部署の主要職員が準備室に招集されたこともあり、各職場内のざわめきと役職員の空洞化状況も起こり、浜松地区では、この急速な拡大に心配する声もあった。しかしながら、サービスの継続を望む当該地域のための新たな事業に対する取り組みとして前向きにとらえる聖隷らしい雰囲気があった。

<聖隷理念を感じる移譲プロジェクト>
・多職種(他職種)が連携し、互いの領域を超えて協力し合って課題解決を行う基盤ができあがっていた。意見がぶつかっても地域に必要かつ質の高いものを提供したいという方向性が一致していた。
・転籍を迷う職員から国立ではトップダウンの傾向で自分たちの意見が通らないが、聖隷ではどうかと聞かれ、上長であっても自分の意見を話すことが可能、たとえ意見が通らずとも納得いくまで対応する風土があると伝えた。
・『隣人愛』の大切さは自分の中でも曲げず、理念や価値観など培ってきたもの、やれることを模索しました。何かあればすぐに相談に行けて迅速に対応できて、聖隷らしい取り組みができた。
・よいサービスを提供するために節約して必要なものに投資する、このプロジェクトを通じて聖隷の理念や志の必要性に気づくことができた。
・聖隷の理念・価値の良いところは、経営的視点を持ちつつも、利用者にとってどうかといった視点が第一に考えられ、それを内部で主張してもよいという価値観があるところだと感じる。

<移譲前後で印象に残るエピソードなど>
・移譲は国策として行われ、厚生労働省に「地方企画専門官」と呼ばれる担当者がいた。その「専門官」と携帯電話番号を交換し、夜間土日関係なく、常に連絡が入る関係となった。専門官は移譲に伴う国立病院職員の処遇待遇に気を遣い、国立病院の労働組合の顔色を伺うことが多く、地域医療への影響や移譲を請け負う聖隷側職員への配慮が今一つの印象があった。
・移譲条件として、国立病院職員を半分以上採用することで譲渡価格が9割引きになるという条件があったため、移譲前の国立病院内でリクルート活動を派手に行いたかったが、そのハードルは高く、限られた公式な説明会にて情報発信し、個人単位での接触・勧誘は厳禁されていた。
・移譲前の国補助金による増改築工事が特別に許可されたが、工事の設計会社は聖隷では実績の少ない業者を採用したことで、国立病院側と工事関係の情報交換が難しかったことに加え、設計会社ともコミュニケーションが図りづらかった。
・早い段階で開設準備室が立ち上がり、初期準備室メンバーと横の繋がりが出来、準備段階で困った時の相談先が明確で声かけがしやすい環境があり進めやすかった。
・国立横浜東病院の敷地に設置されたプレハブ準備室は、多くの多職種メンバーが集まり、円滑なコミュニケーションを促進し、何でも相談しあえる場所であり、今でいう心理的安全性の高い現場でした。病院へはその関係部署の許可なしでは原則出入りすることはできず引継ぎをスムーズに進めることに苦慮した。
・地域関係機関(近隣病院、医師会、救急隊など)の協力も徐々に図ることができ、人との繋がりのありがたさを身に染みて感じた。
・言い方が悪いが、建物は“ボロボロ”にもほどがあり、壁もひび割れ、何かが出てきそうな雰囲気があった。
・職場の雰囲気はのんびりとしていて、多くのムダを認識していたため、人員も含めて効率化すれば“何とかなる”モードで仕事した。
・移譲当日は3月1日の午前0時にカギの引き渡し、大雨で病院内の雨漏りが多く発生した。
・検査部門では、帰宅後に風呂で洗髪中に呼び出しがくることも結構あり、徹夜後日勤などという今の時代の働き方にはそぐわない懸命な働き方をしていました。
・終業後コミュニケーション(食事会、飲み会)も活発でした。職員が少なく同じ志を持つということが、こうした団結に繋がっていた。
・準備室では皆さん朝から深夜まで働き、帰りに夕食ではなくお酒を一杯、ため息をつまみに飲むこともありました。
・国立から聖隷へ移る転籍職員向けに浜松や三方原へ施設見学が開催されました。

<移譲における課題>
・移譲職員・聖隷の異動職員・中途採用職員・新卒採用職員・派遣または委託職員の混成チームで業務を開始しており、事前の情報収集や共有では把握できていないことに基づく混乱はありました。
・価値観やベクトルが合わない人との確執や都会ならではの冷たさや非情さに心を打ちひしがれることがしばしばあった。
・「聖隷」の知名度の低さや同じ志の継承の難しさを思い知らされた。
・地域医師会との関係性を良好に保つことの大変さを強く感じた。

<教育について>
・誠実に業務を行う職員さん達が多く、“国立”病院と“民間”病院とでは組織体制の違いから考え方などの違いは感じましたが、強制感などはなく聖隷の考え方など、業務を通じて教わった。
・「お互いに元聖隷の職員だから」「転籍職員だから」ということで分けて見ずに接していた。
・サービスの提供の仕方の違いなど、とても複雑な環境でしたが、業務のやり方などは国立ルールに則ることも多かった。

<準備室でのやりがい>
・これまでの聖隷事業とは縁もゆかりもない土地で聖隷理念のもとに事業を立ち上げる難しさとやりがいを同時に感じることができた。
・聖隷横浜オリジナルを移譲職員や異動職員・新入職員の混成チームが一丸となって作り上げていくことにやりがいを感じた。
・失敗したとしても、誰かのせいにするような雰囲気はなく、職種を超えて皆が前向きで、ひたむきによい病院にしようという気概がやりがいにつながった。
・自分で考えて創り上げること、上手くいかないことも多々ありましたが、難関も逃げずに取り組まないと行けない環境があったことが、今に活きている経験と感じている。
・準備室の仕事はやりがいというより、とてつもなく大変なミッションでした。それでも各担当者が、頑張ってやるしかなかった。

<移譲後の利用者反応>
・近隣地域住民からは国立病院存続を願う署名が出されており、まずは聖隷により地域医療が継続されることに安心されていた。その上で、増改修工事によりハードウエアの環境が良くなっていくことや、救急応需に力を入れ、診療科再編により医療機能が向上したとの評価もいただいた。
・建物、設備改修もあり、国立時代と比べ明るくなったという声はあった。
・“聖隷”という名前を聞いたことが無い患者さんも多く、“キリスト教?”名前の由来の質問や一部ご不安の声も聞かれた。
・「聖なる奴隷」「名前が悪いから名称を変えろ」との辛辣な声もあった。
  
<聖隷で働く現役の皆さんにメッセージ>
・国立病院移譲のプロセスはまさに法人理念「キリスト教精神に基づく隣人愛」の実践でした。事業規模に関わらず新しいことを始めるとき、また、課題にぶつかったとき等、迷ったときは常に理念に立ち返って考えてみてください。
・新しいことを楽しめる気持ちを大切に、さまざまなことにチャレンジしてほしい。失敗することもあるかもしれませんが次に活かせばいいと思います。
・新しいことにチャレンジすることは、大変なことも沢山ありましたが、やりたいことをさせていただき、人に恵まれ楽しく仕事をさせてももらいました。聖隷らしさを失わず、『仕事は楽しく!』取り組んでください。
・「将来に活きない経験は無い」ということ。失敗してもめげずにチャレンジして欲しい。自分の殻を破る面白さを感じられると良いと思います。
・チーム一丸となることが、いかに大事かということ。また、そうなることで自分自身の新たな知識も高まり、それが大きな成果へと繋がります。
・一人の力では限界があります。他職種との連携を密にし、失敗を恐れず自らの意見をしっかりと言える聖隷職員になってほしいです。
・このような大きなプロジェクトに立ち向かうチャレンジ精神やその結果得た経験は、個人としてまた組織として大きな財産となり、後の組織運営に活かされ続けました。これこそは聖隷人としての人材育成風土だと感じます。失敗をも恐れない若い世代の抜擢、活躍、チャレンジが今後も継続されていくことを願います。
・新しく事業所を始めるときでも、職場を異動するときでも、ゼロベースではなく、諸先輩方が作り上げてきた土台やノウハウがあってこそ成り立っていることを忘れないください。
・常に相手の立場、目線にも気を配り、利用者ファーストで相手を思いながら温かい接遇、笑顔で接してください。

聖隷横浜病院移譲に関する対面取材

2026年1月19日 法人本部5階応接室にて
取材受けられた方:中村知明 氏(現:法人本部監査室長兼法務室長)

移譲準備から聖隷横浜病院開設準備室事務局と中心的役割を担い、聖隷横浜病院の第一歩を築かれました。準備期間から開設当初の大変だったことなどをうかがいました。
取材内容のまとめとして、職員の皆様向けにメッセージも掲載してあります。

内容
1.病院移譲の準備期間  2.病院移譲後  3.地域との関係構築
4.開設後の運営課題    5.まとめのメッセージ

1. 病院移譲の準備期間
広報活動
開設準備室ができる1年間は本部企画部の所属となり、開設準備で様々な事務作業に追われました。当時の本部企画は、第1企画部が横浜病院移譲を、第2企画部が佐倉病院の移譲を担当していました。淡路病院移譲のノウハウが行政や地域の関係機関、国立病院側との調整に活かされたと思います。開設1年前に国立横浜東病院に隣接した私有地にプレハブの準備室が設置され、現地に赴き強く感じたことは、“聖隷”の認知度の低さです。企画部で手作りパンフレットを作成し、国立病院職員への説明会などで配布して広報に努めました。

人員の確保
準備室で注力したことは職員の確保です。国立病院職員に聖隷転籍に向けた説明会は本部人事部の協力のもと実施しました。聖隷をより知ってもらうために、地元浜松への見学ツアーも企画しました。移譲の要件として、国立病院職員の半数を転籍させる必要があり職員の確保には気を使いました。

施設整備・改修工事
移譲の1年半前には移譲プロジェクトが立ち上がり、施設整備・改修計画などが検討されました。企画部の施設担当部門が中心となり行政との調整にあたり、補助金により必要な病棟改修が実施されました。国発注の補助金による施設整備に加えて聖隷発注の大規模修繕計画により病床の6人床から4人床、個室改修、外壁塗装、配管改修などの増改修がされました。

2. 病院移譲後
診療機能
これまでの国立病院が担っていた病院イメージを払拭し、地域の急性期医療を念頭に、救急を柱とした診療機能の強化を図りました。また、産科や小児科といった分野の展開が地域からも期待されていました。内科は臓器別に再編され、専門性の高い診療をアピールしました。初期研修医の臨床研修については、開設2年目(2004年)から開始し、関係性の強かった千葉大学附属病院のプログラムに協力病院として参加した後に、単独のプログラムへと発展させました。開設時は一般300床+療養50床の350床体制でスタートしました。療養病棟は運用することなく急性期機能に転用ののち返還しました。
 
増築棟の建設
手術室、厨房、分娩室などを新設、厨房を先に作って移転し、旧厨房を手術室に改修しました。透析(血液浄化センター)も新設(約10床規模)。

医師確保の困難
国立病院から転籍した医師は少数で、当初は関係性の深い千葉大からの派遣に頼る部分がありました。医師紹介業者も活用しましたが、採用しても短期で退職するケースが多く、医師確保には苦慮しました。産婦人科医師は聖隷浜松病院から派遣してもらいました。

新しいパンフレット作製と聖隷よこはま広報誌の発行
「聖隷横浜病院」のロゴデザインとともに、新たなパンフレットを作成しました。ロゴの字体は明朝体とは違うものとし、全体的に、みなと横浜の海のイメージを取り入れた青をイメージカラーとしました。聖隷マークは必ずカラーで使用することにこだわっていました。マークは、色がないと意味を持たなくなってしまうからです。
広報誌の第一号は開設から半年後の2003年9月号から発行しました。当初は 毎月発行で、認知度向上のため近隣の自治会経由で全戸配布を依頼していましたが、途中から回覧形式に代わりました。

移譲決定時に作成したパンフレット

開設後の初代パンフレット

無料低額診療事業
無料低額診療事業とは、経済的な理由で医療を受けられない方が、無料または低額で診療を受けられるようにする取り組みです。社会福祉法に基づく第二種社会福祉事業として位置づけられています。この事業は、生計が困難な方々が必要な医療を受ける機会を制限されないようにすることを目的としています。横浜市の一部エリアは生活保護受給者の割合も高く、事業の対象となる方々を支える必要性から、開設当初より事業開始しています。地域にとっての必要な制度として神奈川県や横浜市からも評価されました。

3. 地域との関係構築
地域の反応
移譲前から横浜東病院は、住民からは「高齢者が通う大きな診療所」のイメージで聖隷の認知度ゼロでした。一方で業界関係者からの知名度は高く、医師会や周辺病院からは、「職員を引き抜くのでは」「患者を奪うのでは」と警戒されました。病院運営に関係する業者は、これまでの国立病院の取引業者から新たな業者に変更することを意識した運営を心掛けました。地域に開かれた病院づくりの取り組みとして、「健康フェスタ」を開設初年度から開催しました。

医師会との関係
当時の副院長と地域連携室が中心となり、地域医師会、医療機関との連携を積極的に推進してくれたこともあり、徐々に関係性が構築されていきました。

4.開設後の運営課題

経営面の課題
国立病院時代の経営は慢性的に赤字だったと聞いており、収入面の課題に加えて改修工事など新たな投資費用の回収など、新規開設とはいえ、経営はゼロからではなくマイナスからのスタートの印象でした。


5.まとめのメッセージ
・国立病院移譲のプロセスは、自分にとっては、まさに法人理念「キリスト教精神に基づく隣人愛」の実践でした。事業規模に関わらず新しいことを始めるとき、また課題にぶつかったとき等、迷ったときは常に理念に立ち返って考えると良いと思います。移譲事業に関わったことは、大げさな言い方ですが、聖隷創設の思いをあらためて知るくらいの経験をしたと感じます。過去の聖隷事業とは縁もゆかりもない土地で、聖隷理念や精神のもとに事業を立ち上げる難しさとやりがいを同時に感じることができました。聖隷を知ってもらうために自分自身があらためて聖隷の歴史を知り、理念を語るべく学習したことも聖隷理念をより理解するきっかけとなりました。立ち上げ時の混沌とした中で、出身が異なる混成職員チームの価値観の統一とベクトルを合わせていくことで聖隷創設者たちの思いに馳せるくらいの気持ちでいたことを記憶しています。
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