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阪神・淡路大震災から30年

阪神・淡路大震災から30年が経ちました

甚大な被害が発生した阪神・淡路大震災から2025年1月17日で30年となります。
震災での経験を後世へ伝えていくために、当院職員ご家族の震災体験談を掲載いたします。

震災体験談~佐藤さんご家族~

佐藤さんご家族は当時志筑の自宅で就寝中でした。

【震災当日のこと】

震災が発生したとき、どこにいて何をしていましたか?
・2階で寝ていた、朝5時頃だった。

その瞬間、どのようなことを感じましたか?
・地震だ!と思った。ドーン!グラグラグラグラーっと大きく揺れた。
・どうしようって思って次の瞬間娘の上に四つ這いで覆い被さって守った。
・普段とは全然違う地震でトラックでもぶつかって来たかと思った。
・部屋のドアが開かなくなって、父親が隣の部屋から窓を開けて入ってきた。
・隣の家が潰れておじいさんが下敷きになっていたので夫と祖父が助けに行った。

【震災後の生活】

震災直後の生活はどのように変わりましたか?
・家で過ごした。断水や火事などもなかった。あまり困ってない。

避難所での生活や支援活動について教えてください。
・自宅周辺の人は避難せずほぼ自宅で過ごしていた。北淡は大変だったみたい。


【心のケアと復興】

震災後、心のケアはどのように行われましたか?
・建築途中の自宅が倒れたことがショック。大工さんがなかなか家を見に来てくれなかった。こっちから話をしに行かなければ、対応してくれなかった。

復興に向けてどのような取り組みが行われましたか?
・2階建てにしようと建築中だったが、1階建てに変更した。

【現在の生活と震災の影響】

現在の生活において、震災の影響を感じることはありますか?
・ある程度大きな地震が起きた時、すぐに避難できる体制を整えるようになった。(各部屋のドアを開けて家族に避難を促すなど)
・付けのエコキュートなどの耐震について気にするようになった。

震災から学んだことや、今後の防災に対する考えを教えてください。
・防災リュックの準備が必要だと感じた。

【未来へのメッセージ】

次世代に伝えたいことや、同じような災害が起きたときに役立つアドバイスはありますか?
・トリアージは医療センターで初めて実施された。
・とりあえず逃げる事が重要。
・来世は震災の少ない欧州人に生まれたい。

震災体験談~矢野さんご家族~

矢野さんご家族は、江井の自宅で就寝中に被災しました。

【地震がきたとき】 
・なんともいえない気味の悪いゴォォという地鳴りで目が覚めた。その後身体が空中に放り投げられたように2回下から突き上げられた。飛行機が墜落したかと思った。すぐに強烈な横揺れで体が揺さぶられた。何もできず揺さぶられ続けた。その時ようやく地震だと理解し、何とか布団をかぶった。恐怖心に負けないように声に出して1.2.3と数を数えた。38で揺れがおさまった。とても長く感じた。

【揺れがおさまってから】
・停電で真っ暗の中、外に出ようとした。家がゆがんだ影響で扉が開かず、何度も体当たりして開けた。外に出ると近所の人たちも次々出てきた。家族も全員家から出てきて無事を確認でき少し安心した。車のラジオで淡路が震源の巨大地震があったことを知った。

【家の被害】
・台所の食器は全て割れ、家具も倒れたり動いたりめちゃめちゃだった。家の中のものが壊れた程度に済んだと思っていたが、上をみると屋根瓦がずり落ち、家も傾いていて、家の中から空が見えた。のちに行政の判定で全壊と言われた。

【町の被害】
・古い家が多かったため、倒壊せず残った家も、屋根瓦が落ちたり傾いたりしていた。墓石やブロック塀も倒れた。ブルーシートで覆われた家がかなり多く、後に撤去され、更地だらけの町になった。江井のシンボルの住田邸も倒壊し、町の雰囲気が豹変した。

【地震後の生活】
・ライフラインの復旧が早かったのが幸い。家の片づけをしながら普段に近い生活ができていたが、何事も暗く控えめな生活だった。テレビも暗い報道ばかりだったが辛抱していた。余震が怖く、少しの地鳴りや揺れで過剰に体がこわばってしまうほど怯えていた。
ただ、家族も近所の人も助け合い、がんばろうという雰囲気があった。家が全壊し店舗の狭い空間で生活していたが、家族がひとつになれた気がしていた。

【地震が来ると分かっていたら対策したこと】
・家の耐震化や備蓄など当然必要。だが、あれだけの地震を経験して必要性も理解しているのに、今は何もできていない。

【その他:消防団の活動】
・地震後すぐに消防団員として出動した。郡家の1階が倒壊して夫婦2人が行方不明になっている現場に行った。2階の床下から、ぺしゃんこになった1階の隙間に、夫婦2人が重なり合って(お互いをかばっているようだった)挟まれているのを懐中電灯で照らして発見した。夫婦が着ていたパジャマの色や柄まで覚えており、今でも思い出すと涙がでてくる。

【その他:商工会の活動】
・江井の商工会青年部で地震の年の8月に夏祭りを実施。江井の人たちに少しでも地震を忘れて笑顔になってもらおうと企画した。地震をとおして、地域のつながりや一致団結することの重要性を学ぶことができた。人にやさしくなれた。

終わりに

震災から30年、筆者含め当時のことを知らない世代も多くなる中、このような震災体験談は貴重で、大切なものだと感じます。ご協力いただいた、佐藤さん、矢野さん、そしてそのご家族に深く感謝申し上げます。
聖隷淡路病院は地域に根差す病院として、患者様及び地域の皆様に安心して過ごしていただけるよう、災害時への適切な備えを続けてまいります。

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